ユーフラテスの地、ヨブ記38章11節の警告
旅団側のものになった最新鋭の元近衛艦隊は、すでに周辺海域に広範囲に散開し終わっていた。そこへ、旅団艦隊外縁に展開している哨戒機第八群が続報を伝えて来た。
「インド方面前線からの敵艦は複縦陣を形成。旅団艦隊の目の前を越えて、アデン湾、ジブチ要塞方面へ向けて進軍中」
「秀明より、了解。旅団艦隊全艦、太極発動。渦動結界多重展開」
その声と同時に、旅団艦隊の全ての艦が非常に濃密な結界を発動し始めた。指向性を持たせた結界が艦隊前衛を越えて、帝国の打撃艦隊上空から飛翔体母艦隊上空へと広がっていった。
「秀明より、ジャクラン司令及び全軍に連絡。これより二機の飛翔機体により霊剣操の詠唱展開・念波展開とともに、渦動結界を用いた攻撃を開始する」
敵艦隊も、結界重複展開に気づいているはずだった。だが、その対応が始まる前に旅団艦隊から二つの飛翔機体がスルスルと飛びあがっていく。その二つの機体めがけて濃密なエネルギー波が追う。
「袁提督、わが打撃艦隊の背後、ソコトラ島の島陰に敵艦隊発見」
「敵艦は、奪取されたわが近衛艦隊と思われます」
帝国の打撃艦隊旗艦に座乗した袁崇燿は、旅団艦隊の動きの全容と意図を把握できないでいた。旅団艦隊が、奪取された帝国近衛艦隊であったことを考えれば、結界を展開できることはある程度予測していたことだった。だが、飛び上がった飛翔機体が何をしようとしているのか。その飛翔機体めがけて何らかのエネルギーが供給されているが、それが何なのか。それらは、彼にとって全くの未知のことだった。それでも彼がすべきことは敵旅団艦隊の撃破であることだった。
「打撃艦隊回頭、全砲門開け」
「飛翔体母艦隊、散開して離脱せよ」
「駆逐艦隊の旗艦に、そして杭州府へ連絡しろ」
ソコトラ島の湾内に旅団艦隊が出現すると同時に、すべての帝国打撃艦が複縦陣から回頭した。回頭と同時に砲撃も始り、砲弾と飛翔弾がソコトラ島の空を満たす。
その時、帝国打撃艦隊の後続である飛翔体艦隊上空には、旅団艦隊の飛翔機体2機。その2機が帝国艦隊の展開する広範な海域の上空に、霊剣操の詠唱を響かせる。いや、空に響き渡る詠唱だけではない。同時に、霊剣操の念波がよどみなく空中、水中のすべてを満たした。
それと同時に・・・・・密集体形を取っていた飛翔機体母艦隊群はもちろん、ソコトラ島から飛翔体艦隊にかけて展開していた打撃艦隊からの砲弾も、それらを発する砲も、装甲も、周囲に展開していた打撃艦本体までが、実に半個艦隊にあたる飛翔体母艦艦隊のすべてを巻き込み、周囲の打撃艦がはるか天空へ爆発的な風とともに吹きとばされた。
・・・・・・
「飛翔体母艦隊が連絡を絶ちました」
「先陣の打撃艦隊司令が連絡を絶ちました」
「なんだ? 何があった?」
「杭州府から緊急連絡です」
「杭州府から? どうしたんだ? 何事か?」
「司令長官。杭州府の艦隊司令部によりますと、帝国艦隊のうち後続の飛翔体母艦艦隊が壊滅。先頭の打撃艦隊も陣形を乱し大混乱にあります」
鳴沢は後続の駆逐艦隊旗艦に座乗しつつ、その報告を聞いていた。一瞬にして状況を把握していた。
「旅団艦隊だな」
「いかがいたしましょうか?」
「打撃艦隊を全方面に散開させろ。このままでは敵の餌食になるだけだ」
鳴沢には予測されていたことだった。問題は次の手だった。
・・・・・・・・・
僕と絶姫は、大混乱にある打撃艦隊を次々に血祭りにあげていく。単縦陣のままで回頭して突進してくる打撃艦は格好の獲物。それらをまとめて吹きとばしては、次の獲物を探す。当然のことだが、敵の打撃艦は次第に四方に散開していき、効率的に仕留めることができなくなった。それでも僕は、ペルシア湾に向けて逃げ続けている打撃艦隊を追い続けた。しかも、僕の艦隊の後を、帝国軍の強行偵察艦がついてきていることも知っていた。ただ、まだ鳴沢の怒りを得ていない。鳴沢の目の前で、帝国の打撃艦隊を少しずつ削っていく。それによって鳴沢を怒らす必要があった。
・・・・
「前方、また打撃艦を発見」
「飛翔機体射出」
その声とともに、旅団艦隊は太極を動力源とした結界と詠唱展開・念波展開。それが前方の打撃艦を粉砕した。何度も何度も、幾隻も幾数十隻も。そして百隻、数百隻と敵打撃艦を葬っていく。打撃艦隊はそれに激しく応戦したものの、帝国打撃艦からの砲撃はほとんど意味がなかった。
ついに、後続の帝国艦隊に動きがあった。高速駆逐艦隊が旅団艦隊目指して殺到し始めた。僕と絶姫は射出した飛翔機体からの霊剣操詠唱展開・念波展開と結界とによって対処しようとしたが、帝国駆逐艦隊の旗艦からも結界展開と霊剣操詠唱展開・念波展開が発せられている。それが、秀明たちからの作用をほとんど無効化していた。
「父上。敵艦も霊剣操を詠唱展開・念波展開していますね。このままでは飛翔機体による攻撃はかえって危険です。艦隊旗艦に帰艦しましょう」
「絶姫。そうだな。敵艦の監視を続けつつ、離脱しよう」
僕は旅団艦隊に指示し、そのままペルシャ湾へと逃走を開始した。機会到来と見た帝国艦隊は、攻めに転じた。
「今だ、敵は逃げだしたぞ。さあ、中央を突破により敵艦をすべて撃沈する」
「彼らは、帝国の最新鋭艦です。何をしてくるか、わかりません」
躊躇する帝国側だったが、何度も強行偵察を繰り返す旅団艦隊に反撃を繰り返すうちに、帝国艦隊はペルシャ湾へと誘い込まれていった。
・・・・・・・・・
僕たちは、艦隊とともにユーフラテス川へ、そしてイーサンアルグーバ湖の奥へ、さらに奥へと逃げ続ける。鳴沢座上の旗艦を含む帝国駆逐艦隊、そしてそのあとに続く残存打撃艦隊は、復讐に燃えて旅団艦隊の後へと殺到した。そうして、湖の湖面を満たすほどに敵艦隊が入り込んだ時だった。そのチャンスを待っていたように、完全に準備ができていた砲撃陣地から火炎弾が降り注いだ。湖からチグリス、ユーフラテスへの出口、そしてチグリス・ユーフラテスの上流、下流などの流域全体は次々に干上がっていく。ついには帝国艦隊の打撃艦隊は干上がった湖底に着座し、動きを失った。もちろん、旅団艦隊も動きを止めざるを得なかったが。それでも、帝国艦隊の残存打撃艦艦と殆どの駆逐艦隊がチグリス、ユーフラテスの乾いた川底の中に閉じ込められてしまった。
鳴沢は独り言を言いつつ、状況を分析しようとした。その際に、ユーフラテスが干上がるという預言書を思い出した。また、ヨブ記38章11節を思い出した。
「あれはカトリックの民たちが持ち去った古い書簡集にあったフレーズだったろうか。『ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ』 それらが意味することは、ペルシアの先には手を出すなと言う、アザゼルへの警告なのだろうか。確かに、その先には聖なる別の民たちの領域、つまり欧州と、南北アメリカ大陸とがある。その領域へと手を伸ばそうとする帝国への、アザゼルへの警告とでもいうのか。それゆえに、秀明がここに来ているのであろうか。秀明の策略にしてやられているのは、そのためなのだろうか。」
「またしても・・・・秀明。それならば、敵の太極を止めてしまえばよい。敵の横取した近衛艦隊の結界展開に用いられる太極は、そもそも私が及ぼす力によって制御されるものだ。それは横取されようが、私の支配下にある。なれば、私からの制御を断ち切ればよい」
その考えに、下士官が口をはさんだ。
「しかし、師よ。それはイーサナルグーバ湖に閉じ込められたわが帝国駆逐艦隊の太極も動かなくなります。結界展開力をも失うことになります」
「いや、この処置によってあいつらが奪った近衛艦隊など、武器の一切が仕えないはずだ。もはや鉄の塊。残存打撃艦には通常主砲がある。太極が動かなくとも、艦隊が動けなくとも、通常主砲によって敵艦と陸上の敵部隊を砲撃できさえすればよい。残存している打撃艦隊の袁崇燿提督に命令を伝えろ、一斉砲撃にて、目標の敵艦隊及び周囲砲撃陣地を一掃してしまえ。そして、そのまま強襲揚陸艦の上陸部隊はユーフラテスからアラビアへ攻め込め。アサシンたちも陸上部隊に続け。急げ」
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僕と絶姫は動かなくなってしまった旗艦を、なんとか動かそうと様々に動き回っていた。しかし、太極が艦全体の動力源であることを悟ると、艦隊はもはや無用の長物であり、かえって動かぬ砲撃目標であることを悟った。
「父上、敵の残存打撃艦隊からの砲撃が始まりました。友軍の砲撃陣地が次々に炎上しています。友軍の砲撃陣地が反撃している間に、私たちも早く脱出しなければ」
「そうだな。陸上の砲兵部隊は、砲を自動応答にしつつ、部隊を早く聖杯城防衛ラインへ撤収させた方がよい」
「それは、私の方からジャクランへ伝えます。私たちも早く脱出を」
僕たち二人は、両軍の砲撃戦が展開されている中を脱出していった。