横取り
解放区。かつて、鬼没旅団が帝国領域であったところを渦動結界破壊活動によって解放した自由区。
旅団はかつては力があった。そのころの彼らは、帝国の支えとなる神域と呼ばれる渦動結界を、東瀛やシベリア、ルソン、マラヤなど呼ばれる帝国周辺でいくつも没滅し続けてきた。まだ残るその解放区の一つ、東北区にシルカ河がある。
僕は、その川沿いの小さな村の司教宅で世話になっていた。解放の後、旅団の送り込んだ司教の関わっているこの小さな村でも、僕がかつて天草のカトリックで教えられた古くからの教えがしっかりと息づいていた。それは、かつての旅団の神域破壊が確かに作用しており、帝国の影響が完全に排除されたことを意味していた。
その凍てついたツンドラの大地にも、東北区の南からの風が吹き始めた。川面を見下ろすオーソドックス教徒の司教宅や周りの村々の人々は、毎年、その風で四旬祭の終わりが近づいたことを知る。まもなくシルカ川やその下流のアムール川の氷が流れ始めるだろう。
それを確認した僕は、世話になった司祭に礼を言いつつ、川を下っていった。僕の背中には、遠隔コントロール機器が多数背負われていた。
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帝国艦隊司令部では、陸上部隊によって形成した補給路を基に、アムール中流域と河口域で氷に閉じ込められた艦隊を解放する準備を進めていた。まもなく、支援部隊は冬季凍結の際にいったん撤収させていた乗組員を再び搭乗させるため、氷結した地点へ向かうことになっている。乗員とともに行く者は、先遣隊と本体部隊とからなる陸上部隊、そして指揮官の林康煕だった。
冬の荒れ野を彼らは進んだ。すでに周囲は、雪の中に春先の気配が増しつつある。ハイラル川では、すでに氷が砕かれて下流に流れて始めていた。
「俺たちは・・・・遅かったのでは?」
康煕はつぶやいた。
「林康煕様、下流へと船が流されていった後があります」
展開する捜索部隊の調査の結果は、康煕にとって一安心だった。下流へと向かった先にあったものは・・・・たしかにまだ艦隊群の姿はあった。氷に閉ざされたまま、下流へ流されている途中だった。
「そうか、一安心だったな。艦隊を動かすにはちょうどよかったな・・・・」
だが・・・・河口に展開していたはずの近衛艦隊はすでに僕が乗っ取っており、その姿はなかった。
「師よ、鳴沢司令長官。河口の氷は全て流れ去っています」
「なに? それで、近衛艦隊はどうした?」
「長官、河口の氷は全て溶けて、オホーツクの沖へと流れ出ています。そして・・・・・近衛艦隊は消え去っています」
「最新鋭艦隊が……近衛艦隊が消え去っている?」
杭州府の司令長官室に座ったままの鳴沢は、林康煕の報告を聞いて独り言を言った。
「最新鋭艦が、近衛艦隊が消えた? どういうことだ?」
考えがまとまらないまま、鳴沢は命令を発した。
「全ての哨戒艦を展開し、近海を全て調べ尽くせ」
それにすぐに答えたのは、艦隊司令部の担当官だった。
「砕氷哨戒艦は全て、すでに展開済みです」
「それなら元の氷結箇所周辺を、特に河口域で閉じ込められた箇所付近を徹底的に捜索しろ」
単に流氷とともにオホーツク海へ漂流しているならば、すぐ見つかるはずだった。黒い艦影ならば、雪と氷の会場ではすぐに見つかるはずだった。だが・・・・次々に入ってくる各地の調査結果は、近衛艦隊が忽然と消えてしまったことを物語っていた。
「盗まれたのか・・・・。まさか、秀明か…。なぜだ。なぜあいつが俺に対抗しようとしている?」
鳴沢は、周りのアサシンや側近にも大声で指示を出した。
「近衛艦隊が盗まれたかもしれん。いいか、わが帝国の最新鋭艦たちだぞ。まだアムールにいるかもしれん。どこかの島陰にいるかもしれん。陸上と海上、島陰のすべてを探せ。必ず見つけろ」
鳴沢司令長官は、海上の哨戒艦に加えて、復帰した帝国の主力艦隊のすべてまでも展開させ、大捜索がなされた。もちろん陸上部隊による捜索もなされた。しかしその結果は何も得られなかった。その結果が示していることは、やり口がかつての鬼没旅団の工作の仕方ということだった。それは彼にとって確かに僕の仕業だということを物語っていた。
鳴沢は切り替えが早かった。盗まれたものは仕方がない。それなりの策を処するだけだと。問題は、盗まれた最新鋭艦群を鬼没旅団がどのように使うかだった。
「充分な対応をすべし。それだけだ」
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春の流氷はまだ南下を続けている。僕はアムールの河口で、近衛艦隊の灰色をすべて白色に塗り替えていた。流氷とともに、近衛艦隊はサハリンの東海岸沿いから千島列島沿いをへて、ジグザグ航路を進んでいく。航路途中で立ち寄ったのはペトロパブロフスク。そこはカムチャツカ半島への帝国の動きが活発になることを見越して、脱出寸前の基地だった。ただ、いまはまだ旅団の支配する軍港がまだ残っていた。
「接近する帝国艦隊に次ぐ。これ以上接近すれば、陸上からの対艦攻撃により全滅させる」
「こちらは帝国最新鋭艦隊を盗んだ旅団の人間、宇喜多秀明だ」
「最新鋭艦隊? それで、そちらが味方であることを、誰が証明するのか?」
「こちら、工作員ジャラールアルアラビーの義による兄弟となった宇喜多秀明。司令のジャクラン司令か、工作員ジャラールに連絡を取ってほしい」
「しばし、待て」
この待てという言葉の後、僕はどれほど待たされただろうか。周囲の海域は氷が解け始めている。白色の艦影は春の海の蒼さの中にかえって目立っている。この時ほど、ジャクランやほかの旅団のメンバーたちに計画を周知根回ししておくべきだったと、思ったことはなかった。
ようやく軍港に入場できたのは、6時間ほどたった後だった。入港すると、軍港は撤収作業でごった返し、僕と艦隊は完全にお邪魔虫だった。それでもすべての艦船は新たにネイビーブルーに塗り替えられた。脱出寸前の彼らにとっても最後の仕事だったらしい。
撤収部隊の艦隊とともに、僕の艦隊も出航した。彼らも僕も、互いに互いの旅程は知らないまま、全ての艦船は軍港を後にした。
このあと、カムチャツカからの撤収部隊は毛色はわからないものの、ジブチへ向かっていた。他方、僕の操艦する艦隊は、旗艦につづく最新鋭艦の単縦列陣となって太平洋を一路南下していった。このようにして、100隻の最新鋭艦隊が帝国の目を盗むように太平洋からティモール海経由で行方をくらませた。
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帝国の杭州府参謀本部では、北方補給路確保をしたものの、再び鬼没旅団を討伐するには陸上部隊の再建が必要だった。そして、最新鋭艦からなる近衛艦隊を横取りされた今、艦隊の再構成も必要だった。鳴沢は、渦動結界の源、太極の源らしく、支配する世界のすべてのことを見通せているはずなのだが、何らかの存在が一部を遮蔽されていた。
「おそらくは、大天使ミカエルの差し金だろうが…」
大まかなことはわかっていても、それの正体を把握してはいなかった。そして鳴沢すなわちアザゼルに見通せない時空があることによって、僕の企てが可能となっていた。
「彼らは我々の近衛艦隊を利用する策を練るに違いない。我々も準備をしよう。彼らの本拠地が分からないにしても、ペルシアの先にあるに違いない。パレスチナの神殿の丘は壊滅したが、それでも彼らは健在だ。我々は戦力を充実させ、対処しなければ・・・。彼らがどこに集結しているかが分かれば、そのあたりが本拠地なのかもしれん。・・・・それは聖杯城に違いない」
「ペルシアを征服し、ケデロンの谷まで遠征した我らだ。今後、国力の操力を上げて艦隊を復活させよう。その艦隊戦力さえあれば傭兵たちをつかって聖杯城をみつけだすこともできるだろう、そして攻略もできる。充分に調べ、準備をして攻勢に出る」
鳴沢のその判断は、戦略としては妥当なものだった。だが、帝国の戦力の二度目の壊滅を呼びかねない危険性もはらんでいた。
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ケルゲレンの入り江は強風に吹かれている。それでもポール島、ベルアール島の島陰は奪取した近衛艦隊を停泊させ隠し通せる場所だった。アラビアに何かあれば、直ちに急行できる。そんな場所だった。
そのあと、僕は帝国の動きを知るべく、アチェ経由でマラヤへ、そして杭州府へと向かった。