ジャクランの最後と、帝国の再びの動き
「だれ・・・だ? お、お・・・絶姫なのか」
薄明りの地下神殿。そこに低く力のない声の呼びかけ。その弱弱しい声は、タエはもちろん僕まで強く動揺した。
「ジャクラン師」
タエは半分泣き声のままジャクランに返事を返した。
「わが子よ、生きていたのか…・」
弱弱しい声ではありながら、ジャクランの感情は高ぶっていた。その高揚はまるで消える直前の蝋燭のように、また消え入ろうとする薪の最後の燃え上がりのように......。
「師匠こそ。ずっとお会いしたかった。お慕いしておりました」
すっかり薄くなった白髪に加えて、干からびた老人の肌なのだが、タエはそのジャクランの耳に口を寄せていた。それぞれが、相手を見つめて思い出したようにやり取りを交わしている。僕は、タエとジャクランとの対話をしやすくするため、ジャクランを抱え起こした。
「お、おまえは・・・・・おお、秀明ではないか」
ジャクランは骨ばった体をこわばらせながらも、ジャクランの背中を支える僕を懸命に見ようとした。僕は思わずジャクランを支える腕を振るわせながら答えた。
「はい」
「二人ともよくここまで来られたな。よく…生きていてくれた……」
ジャクランは感慨を込め、また不思議な現象を目の当たりにしたような驚きの表情を見せた。その感慨は、僕たちも同感だった。
「ええ、ジャクラン司令。私たちは、神殿の丘での戦いをしのぎました。帝国の攻撃は激烈を極めました・・・・しかし、天の導きはその時表れました。帝国の攻撃によって、神殿の至聖所脇の壁が崩れ、僕はこのパピルスを見出したのです」
僕は、首に下げていた包みを広げ、その中から古いパピルスを注意深く広げた。
「ここにはエチオピア高原と言う意味が読み取れました。神殿に聖櫃がなかったことから、・・・・・聖櫃を預けた場所を示しているのだと推測しました」
「そうか、確かに聖櫃はここまで運ばれた・・・・。そのパピルスは君の推測の通り、預かり状だろう。だが、今の時代になって聖櫃はここにはない。はるかな昔、ローマ帝国の時代、古代にすでに別の城に移されている。・・・・・聖杯もまた・・・・我々があの結界に追い込まれる前に、同じ場所にすでに預けてある」
「では、そこを守らなければなりません。僕とタエとがそこに行きます。できれば、ここにいる残りの皆にも助けてほしいと思います」
「タエ? それは誰じゃ? お前たちは・・・・秀明と絶姫ではないのか」
その問いにタエが答えた。
「私は今「タエ」と名前を変えています。彼も今は『アキー』と名乗っています。」
横たわるジャクランが驚いて半身を起こそうとした。
「何があったのか? ・・・・名を変えることは何かの祈り、・・・もしくは決意を持ったのかのう?」
「はい、私たち二人は導かれるままに従う従順さを学びました。決して帝国の寂静に至る盲従ではなく、私たち二人は自由闊達の中で啓典の主の愛を受けつつ主を愛することに基づく従順を学んだのです」
タエがジャクランに応えた。
「そうか、お前たちはわだかまりがすっかり消えたのだな。よかった・・・・・。そうか、二人はやはり私たちの希望となっていたのか。ああ、私たちは閉じ込められても、自由に対する希望を持ち続けておいてよかった。これで敵を一掃できる」
ジャクランは弱々しいながらも微笑みながら指摘した。タエは意外な話を聞くように驚きつつ、聞き直した。
「希望? わたしたちがですか・・・どんな希望ですか?」
「わが子、絶姫よ、お前たち自身じゃよ」
「私たち自身が希望ですか? 私たちは、ジブチの要塞も聖杯城も守ることができませんでした」
「聖杯城? あの城跡か? 確かに結界に追い込まれる前まではそうだった。しかし、今は先ほど言った私の一族のいる城が、真の聖杯城と言うべきであろうな」
「どういうことですか」
タエはまるで分らないというように、ジャクランへ困惑の顔を向けた。ジャクランは少しからかうようにタエを見つめた。
「私の一族は、代々啓典を収めた聖櫃を守ってきた。それが啓典の民たちの救いを約束するものであるがゆえに…。そして、我々がこの地で守って来た聖杯も、そこへ移さざるを得なくなったのじゃ。それゆえ、その城が我々の守るべき聖杯城となった…」
「それなら、ジャクラン司令、あなたはそこへ帰らなければなりません。そして、皆もそこへ行きましょう」
僕は、ジャクランの容体を知りつつも、そう言った。そう言われたジャクランは現実を静かに指摘した。
「いや、それはならんことじゃよ。私は死を覚悟していた。それゆえに聖杯を移したのじゃ。そして、今、お前たちが目の前に来てくれた。さあ、私の言葉を受け継ぎなさい。お前たちを祝福しよう」
タエは、現実を受け入れようとしていない。先ほど、ほほ笑みをくれたジャクランの様態が悪いなどと考えられないようだった。
「待ってください、その聖杯城へお連れするのですから、言葉を受け継ぐなどと言うことは言わないでください」
悲鳴のようなタエの言葉に、ジャクランは深く息をして答えた。
「いや、私はもう終わりなのだよ。もうすぐ啓典の主が再臨なさる。私をお迎えくださる時なのじゃよ」
「しかし」
「お前たちは、残りの民たちとともにこの洞窟で時を待ちなさい」
「どういうことですか」
ジャクランから一気に様々なことを教えられたことで、僕とタエは多少混乱した。他方、ジャクランは語るべきことを語り終えたというように、また疲れを覚えたのか、肩で息をしながら、最後の力を込めて語った。
「アキー、お前の首の包みにあったもう一つの文書、そう、羊皮紙のそれじゃ。それに書かれている言葉がカギじゃ。そう、今にわかる…」
そう言って、ジャクランは目をつぶった。
・・・・・・・・・・・・・・
旧旅団のメンバーが逃げ込んだのは、伝説のシバ王国のアクスム、その未だ知られていない地下神殿跡だった。その周辺に張り巡らされているものは、今や啓典の主に向けてまつろう神爾となったオンゼナの作り上げた新しい技、中立化渦動だった。それは、いわば、全ての全方位の外界からの渦動や力を吸収中立化する多方向多位相多周波数重畳渦動とでもいうべきものだろうか。それが鳴沢による広範な渦動結界の領域内にもかかわらず、その渦動結界を中立化し、しかも反射を生まず、一切を無効化する力場だった。
「この重畳渦動は、俺の技の応用・・・・。移動結界のベクトルを変換したことによって作り上げたんだぜ」
オンゼナは自慢げに声を響かせた。以前より饒舌だ。まるで、本来生きるべき場所に戻って来たような様子でもあった。敵方だったはずのオンゼナの、そんな変わり身の早さに、そして彼の持つ技の内容に、僕たちはただただ驚いていた。それゆえ、質問も断片的な言葉にしかならなかった。
「変換?」
「俺は、その変換のために、俺を守護に導いた彼から教えられた言葉を、背中に刻んでもらったのさ。この刻んだ言葉によって、俺自身もやっと啓典の主にむかってまつろう神爾となれたんだ。それがきっかけで、俺は俺の今までの渦動結界を、俺の望むような重畳渦動として作り上げることができた......」
オンゼナは自らのオーラを回動させながら背中を見せた。
『理曰闇と淵の水の面を聖霊動ずるところに、光を生じ一気発動し闇に勝て万物を生ず。刀を直に立るは渾沌未分の形光有て万象を生ず。故に是を刀生れと云う。・・・。』
そこには、明らかにタエが六星老人から授かった霊刀操の全文が刻まれていた。
「これには確かに中和の作用があると六星老人から聞いています。しかし、特定の条件でなければ…・」
霊刀操を読み上げたタエは、疑問の声を上げて一言言った。それを聞いたオンゼナは、自慢げに指摘した。
「そうだぜ。その霊刀操が明鬼神、太一、いや魔醯首羅由来の動ずるものを特に中立化するんだぜ」
それを聞いた僕は凍り付いた。まさか、明鬼神そのものに向けての武器ともいうべきものがここにあったとは。
「明鬼神、太一、魔醯首羅…。それは、トランシルバニアの・・・・鳴沢総督のことだ…・・」
タエは相槌をしながら僕の指摘に言葉を重ねた。
「鳴沢総督・・・・。ケデロン・・・神殿の丘でアキー、あんたを追い詰めた『荒らす憎むべき者』、大魔アザゼルね」
「そうだ。霊刀操・・・・これは確かに我々の大きな武器だ・・・・・神殿トカゲ…いや啓典の主がお与えくださったもの・・・・・。魔醯首羅…大魔アザゼルからの攻撃を中立化する光の力・・・・しかし、聖霊の息吹によってなされる霊刀操の効果・・・・・これだけではないはずだ。霊刀操には、ほかにどんな力があるんだろうか。どんな作用をするのだろうか…・・」
そう悩みながらも、オンゼナに導かれつつ僕たちが地下神殿へと降りていくと、そこにはジャクランが寝かされ、旧旅団のメンバーたちが僕たちを見つめていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
鳴沢は怒り狂っていた。トランシルバニアのフネドアラ要塞は、その怒りの感情だけで震えているように見えた。
「彼らはどこなんだ。聖櫃のありかは未だにわからぬまま。そして、今聖杯ばかりでなく奴らをも逃してしまった」
今年20歳となった魔女クァレーンは、その言葉にこわごわあがらいながら指摘した。
「まだ、逃がしたとは決まっていません」
「だが、どこにいるのか? 彼らは聖杯城から忽然と消えたんだぜ」
「近くに隠れているに違いないのです」
「だが、聖杯城跡の私の結界は破られたのだよ。私の結界が、だよ。単純な反対ベクトルの渦動で打ち消せるような結界ではないはずの結界が!。全てが粉砕されたと言うより、吹き飛ばされている。どんな技を誰が使ったのか?。気になるのは、ジブチの廃墟で強かにやられたボースだ。あのウルミの熟達した使い手オム・ボースが金剛腕盾ごと左腕を切断され意識を失っているままだ。同行した神邇のハルマンも行方知れず出戻ってきていない」
「ジブチで叩きのめされたということでしょうか」
「ほお、戦ったということだな。敵は誰だ」
「しかし、オムは結界を増幅する金剛腕盾を携帯していたのです。旧旅団との戦いであれば負けるはずはないです」
「それでは、アサシン同士の戦いがあったとでもいうのか。帝国内の裏切り者がいたと…。それに、もっとわからないことがある。私の結界の中なのに、奴らがこつ然と存在を、一切の波紋さえ消し去っている。それ以来、旅団の奴らを検出することも、その痕跡もかんじとることも出来ない。どんな技を使えばこのようなことになるんだ。一体何が起こっているんだ。」
「私たちは、今、帝国の杭州府から離れてここトランシルバニアにまで遠征してきています。今まで、裏切り者たちも見てきています。裏切り者たちの記録によれば、結界を自由に操ることのできた60年前のオンゼナがあげられます。彼自身が悪質度の一番高い神邇であったことからも、考察の対象として挙げていいと思います」
「裏切り者がいるというのか。しかし、総督府のあるトランシルバニアから見ても、ジブチもエチオピア高原も私の目の届くところだぞ。そこに裏切り者がいれば、今までならば私にすぐわかったことなのにだ。これは、明らかに旅団の新しい技だ。すくなくとも旅団の流れをくむ者の仕業に違いない」
鳴沢は怒りのあまり、龍の姿で怒りに燃えた。
「師よ。しかし、私が幼いころに教えてくださったことを思い出してください」
クァレーンは鳴沢の怒りの顔に震えながらなおも指摘した。
「師よ、あなたは言いました。『ジブチを破壊し、敵の司令に、旅団のジャクラン司令に致命傷を負わせた、残りの奴らは聖杯城の奥に閉じ込めた。これで旅団は壊滅だ』 そう、確かに彼らは壊滅したのです。確かに、残りの彼らが脱出したのでしょう。しかし、60年も前のことです。彼らの指導者は死んだはずです。彼らはもはや一体をなしていません」
「ジャクランが死んだというのか。それは確実にいえることか。いや、そうではない。確実なことではない。それが問題なのだ。彼らは滅んでいない。私はまだ彼らを滅ぼし尽くしていない」
「しかし、師よ、ここで怒りに任せて大地溝帯一帯を蹂躙したら、一瞬にしてマントルプルームが噴き出してしまいます。あなたの勝利どころか、あなたの支配する大地と地下世界が全てゲヘナへ消え去ってしまいます」
ようやくのことで、鳴沢は怒りを萌えさせながら人間の姿に戻った。
「わかった。魔女クァレーンよ。お前が私の代わりに作戦を立て、指揮をせよ。帝国のアサシンのすべて、林聖煕たちを指揮せよ。そして、マントルプルームを魔石に変換する力、すなわち大地下に生息する重力龍ドラクレア、そしてこの城で飼っている眷属龍バラウルも与えよう」
・・・・・・・・・
ジャクランの負った傷はいやすことのできないものだった。その傷の痛みに耐えながら、ジャクランは、まだ誰も聞いたことのない言葉を語った。ジャクランの語ったことは、目のくらむような太古の事柄だった。
「私の先祖は、ジャクラン一族と言うんじゃ。皆が私のことをジャクランと呼ぶが、それは私の家名じゃ。名前は、絶姫は知っておろうが、オーギュスタンと言うんじゃぞ。これを後々覚えておいてくれ・・・・。私の先祖ジャクラン一族は、昔、メロヴィング朝の前、いやサリアンのメロヴィク以前の時代に、啓典の地からローヌ川沿いに来たらしい。そう、私の先祖はアイザックの子孫だったのか、イシュマエルの子孫だったのか、今となってはわからんが・・・・対オリエント、地中海沿岸国との外交や貿易を担当する官僚としてメロヴィング朝、カロリング朝に代々ずっと仕えていたらしい。だがな、シャルルマーニュが皇帝戴冠となってもそれは続いた。そのうちにムーサーの攻撃、そして十字軍・・・・・ローヌ川一帯は変わってしまった…。いや、その時の王国も欧州も中東も啓典の地全体が、啓典の主の統治を忘れて・・・・統治のためのイデオロギーとでもいうんかな、人間の愚かな考えが蔓延してしまった。・・・・私の先祖はそれに追い立てられるようになってなあ・・・・。その時、私の先祖はある言葉を頼りにした。……『あなた達は私が示す地に行きなさい。あなた達の行く手に立ちはだかるものはないであろう。私は、モーセとともに居たようにあなたとともにいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ』と言う言葉を与えられたんだ。それがその後の我々が頼りとする言葉、カギとなる言葉となった。……アキーが持つ羊皮紙の言葉と同じものじゃ……先祖たちはその言葉を頼りにしながらローヌ川をさかのぼって、ローヌ谷を抜けて…果てに隠れ住んだ・・・・。シオン城が守るローヌ谷のその奥の谷の寒村にずっと潜んで生き続けている。隠された城にな……そこに、啓典の石板がある。つまり聖櫃も聖杯もそこに守られているはずだ…。それが我々旅団の始まりだったのじゃ…・・」
昔を明かすこの言葉をタエと僕とに託したジャクランは、目をつぶり静かになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふと、ジャクランは目をあけた。それに気づいたタエがジャクランの傍に駆け寄った。
「再臨・・、再臨の気配が感じられる・・・。主が来られる・・・・」
僕は驚いて、空を見に外を覗いた。夜の空には、青、白、黄、オレンジ、赤に至るまでの星が冬の天空いっぱいに輝いている。そして、その中に光の列がかすかに・・・・次第にはっきりと…・・。それがクリスマスを告げる天の万軍の光の列のように見えた。それが一斉に地上へ流れ始める。流星群の一列が長く、速く流れていく。それらが消えたあと…そこにはやはり満天の星空があるにすぎなかった。
「再臨…・主が来られる…」
ジャクランは空中を見つめ、ほほ笑み、そのあと大きく息を吸うと、息を引き取った。それが全てだった。




