シミエン山中の聖杯城
老人姿のオンゼナが連れてきたのは、アムハラ族の若者ヨハネス。彼がシミエン山地の城砦へと導いてくれるという。
「オモロ族はこの国で最初に帝国に蹂躙されたんじゃ。それの時アムハラ族は先に立って抵抗を試みたんじゃ。オモロ族は俺がかろうじて守り切ったが、アムハラ族は多くが犠牲になり、その少ない生き残りの末裔が彼じゃ」
オンゼナがそう説明すると、ヨハネスと呼ばれた若者が目であいさつを返してきた。
「アムハラの先祖が支配していたこの地域を、帝国が攻め込んで支配を奪った。隠れた道を知らない俺もオモロ族も入り込めない。その一帯は帝国の強い結界が張られてもいる。メケレはその先だ。メケレから西のシミエン山地に聖杯城があったと聞いているぜ」
「『あったと聞いている』? あんたは見たことはないのか?」
「その地はかつてのアムハラ族の地。俺やオモロには見知らぬ土地だ。今じゃ帝国の支配の下にある。聖杯城の立つ場所まではアムハラ族しか知らない道をたどっていくしかない。だから、アムハラの生き残りでないと、案内できないんだ」
「帝国がまだ占領している、と言うことね」
「それなら、僕たちが帝国のアサシンに扮するのがいいな」
「私がアサシンに扮するわ。で、あんたが私の部下の兵隊ね」
「なぜ、僕が兵隊? お前が娘なんだから、僕がアサシンに扮して…・」
僕がそう反論すると、タエは皮肉めいた口調で指摘してくる。
「へえ、あんた、最近の国術院を知っているの?」
「知らない…。しかし、お前だって知っているのか、最近の国術院卒業のアサシンを?」
「し、知っているわよ」
「へえ、それなら、お前がアサシンに扮してみろよ。俺は単に兵隊として黙って後についていくぜ」
「じゃあ、今からあんたは私の命令を聞くのよ」
「命令? どんな命令だよ」
「『敵に向かって突撃』と言ったら突撃していくのよ」
「そんな命令を出すのかよ」
僕とタエとの間の企ては、企てと言うより腹立てと言ったほうが良いかもしれない。とにもかくにも、タエがアサシンに扮し、帝国のアサシンが再調査をしに来たという体裁をとって帝国占領地を進むこととした。
オンゼナたちと別れた僕たちは、ヨハネスの案内で帝国人たちの行動しない町外れに進んだ。そこは、晩秋の乾季のエチオピアならではの乾燥した草原が広がる。アムハラ族が帝国の裏をかくための装備をここで渡された。
「我々は、ここでも夜動きます。ここは星明りのみで道を進むのです。お二人も、念のため、夜動くことがいいと思います。それゆえ、我々が身に着ける者と同じ暗緑色のトーブとヒジャブを用意しました」
街の中から町外れまで帝国軍の見張りたちが一応巡回している。だがアサシンたちの姿はない。帝国の警備体制からみて、僕たちは警備の薄さを確信した。その日のうちに僕たちは、ヨブーキ、セメラからウェルディアへ達した。そこから北上してメケレへ。警備兵とも会うこともなく、順調に道を進めていった。
エチオピア高原に入ると一面の花畑が広がる平坦な地が続く。ただし、季節が冬に向かっているため、花畑とは名ばかりの枯草の平原である。
この旅程に入ってから、僕たちはヒジャブとトーブから少々湿度の高い環境に即した服装に着替えた。その服装では、僕の首に下がっている包み、タエの首にかけたクルスも少しばかり露出することにもなった。
メケレから西へメイタに至る谷川沿いの道は、山奥への高度を増す道行、そして帝国の警備兵たちが崖の上や周囲の山々に立っている。進めば進むほど、両側の峰が谷川に迫る険しい渓谷となつていく。ヨハネスと別れを告げてシミエン山地に入ると、山道の行手の正面、谷川の上流に落差130メートルほどの滝が見えてきた。晩秋とはいえ、この辺りで滝が凍ることはない。その滝の上に聖杯城の外郭が見える。
外から見た城壁は健在なように見えた。しかし、近づいてみると巨大な外郭城郭には、全ての部分にひび割れがあり、ところどころに爆薬による穴が開いている。その古い穴は、帝国が明らかに中へ侵入した跡だった。
城郭の上に立つ警備兵の数から見ても、厳しい警備体制がよけいにめだつ。それでも、城郭の中に、また此処まで来る間に、アサシンを見かけることはなかった。警備が厳しいのであれば、警備体制をチェックするために常駐するアサシンか、定期的にアサシンが通ってくるはずなのだが・・・
「おそらく、監視役のアサシンは常駐していないね。定期的に来るアサシンも、シミエンの聖杯城とジブチへから先のどこかの本拠地との間を、往復しつづけているんだろうが・・・・。しかし、いままで遭っていないということは、僕たちの後ろから来ているのか」
「それなら、私たちが新しいアサシンとしてチェックしに来たことにすれば・・・・」
「あんたがアサシンなんだろ? 僕は隠れていざという時の守りと言うことだよな・・・」
「隠れている? そんな兵卒は要らないのよ。あんたは御付きの兵卒よ。使いっ走りね」
「御付き? 使いっ走り? なんで僕が? 父親を使いまわすのか?」
「うるさいなあ もう始まっているから、黙って!」
「うぐ」
「さあ、警備兵に、チェックしに来たことを言って!」
「僕が言うの? うまく立ち回れる自信がないんだけど」
しかし、タエの視線にあらがうこともできず、前方の検問に近づいていった
「とまれ! 何者だ」
「失礼します。僕はアサシンアヤの兵卒です」
「新しいアサシン様か? どこに?」
「今、いらっしゃいます」
僕はうやうやしくタエを呼び出し、タエはゆっくり近づいてきた。
「ジブチの廃墟で帝国のアサシン、神邇が襲われる事態となっています。相手が不明なため、警戒体制をより厳しいものにする必要があります。今後、帝国のアサシンと名乗るものであっても、城内に入れてはいけません」
タエはそう言うと、警備兵を整列させて一人一人を検分するように睨み、檄を飛ばした。
「今後、外からの通信は遮断しなさい」
「しかし、マイロード。もうすぐ今までの駐在アサシンと神邇様達がアカバ要塞から帰還する予定です」
「それこそ敵の狙い目だ。その二人は特に城内に入れてはならない。これは非常体制ゆえの優先命令である」
タエは自信満々にそう言うと、そばに控えていた僕に向かって声を上げた。
「おい、従卒。彼等からの報告があり次第、私に告げよ。私は寝る」
僕はタエを睨みつけた。タエは、その視線を見下ろすように僕を一瞥すると、笑いながら案内されていった。多分、士官向け休憩室へと行ったのだろう。
僕は警備兵たちと雑談を試みた。彼らの噂話を聞くことから何かを得られると思ったからだ。
「僕のご主人は、不穏分子が来る恐れがあると見て、ここを検分なさりに来たんだとさ」
「へえ、帝国の敵でも来るというのか?」
「城壁は穴だらけ。城とは名ばかり。城跡だよ。敵が来たらイチコロだなあ」
警備兵たちは、自分たちがいるこの場所が守りに薄いと思っている。そこで、僕はそれなりの質問をしてみた。
「この帝国に敵がいるものか。僕はただここに不穏分子が迫っているといっているだけだぜ」
「敵がいないって? ここには昔『旅団』と言われて恐れられた奴らを閉じ込めているんだぜ」
旅団と言う言葉を聞いて、僕は危うく大声を上げるところだった。
「そうか、閉じ込めているんだっけか。だが、『旅団』と言ってももう滅びたやつらだろ」
僕は、そう返事をして探りを入れた。すると、一人の警備兵が軽口のように返事を返した。
「そういわれているが、総督閣下の結界によって封じられているから、外へ出てこられないだけだぜ」
「そうそう、総督閣下の結界があるから、俺たちも無事なのさ」
「でも、総督はここにいないのに、結界があるのか」
僕はとぼけて見せた。
「総督たちの中で、鳴沢様は特別なのさ」
僕は、自分の心臓がノドから出そうになるのを抑えるのに必死だった。
「へ、へえ? 特別なのか?」
「あんた、鳴沢様に仕えたことないのか?」
ここで疑われてはかなわなかった。
「僕のご主人は杭州府から来たものですから…」
「なるほどね、鳴沢総督はトランシルバニアにいるからね」
鳴沢がトランシルバニアにいる! そして、鳴沢の渦動結界に昔の旅団の生き残りが封じられて生き残っている。この情報は、得難いものだった。