戦線崩壊2
帝国はイーサンアルグーバの砲撃戦を制し、その上陸強襲部隊の残存兵力によってアラビア半島北東部を占領した。旅団が守る神殿の丘やマッカ・メディナを圧迫するように、半島の北東部ハジャル山地に築かれた要塞。ただ、旅団から見ると、帝国はそこまで占領して満足してしまい、旅団の守備地域や本拠の攻略を一時諦めたように見えた。確かに艦隊を喪失した今、有効な武器を持たない帝国軍が旅団本拠地攻略に出ることは考えにくかった。しかし、帝国がハジャル山地やペトラに要塞を築きながらそこからさらに大きな動きを見せないことは不気味だった。
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帝国の要塞は、内部に生産基地を擁していた。ハジャル山地の麓の要塞は、乾いた空気の下を流れる川のほとりに築かれた。この要塞は、ユーフラテスの戦いが行われていたころに、オマーン湾沖合に待機していた残存駆逐艦隊の工兵隊によって建設されたものだった。それはこの辺りが帝国の本当の目的地であったことを物語っていた。
彼らが狙っていたのは橄欖石。それは、アラビア半島のハジャル山地のマントルから得られるガーネットの一種。それは、帝国の眷属龍バラウルの結晶変換によって太極を安定化させ携帯可能な魔石とできるための、安定化材だった。
帝国は、ハジャル山地に設けた要塞に設けた大工場で、橄欖石を利用した魔石を生産し始めた。魔石が嵌め込まれた金剛腕盾は、倶利伽羅剣と同種の大剣とともにアサシンたちのための魔装として大量に生産された。
旅団側は、メソポタミア戦線の崩壊に気を取られ、ハジャル山地の要塞やペトラの要塞で魔石の金剛腕盾が生産され始めた事態に、一切気付いていなかった。
このアサシン用の金剛腕盾は魔石となったガーネット結晶を太極として内蔵し、遠隔地で発動された渦動結界を、その太極が発する渦動によって増幅するものだった。これにより、アサシンは渦動結界を生じさせる神邇から遠く離れたところにいても、渦動結界を制御し霊剣操を操することができるようになった。これは、旅団側の工作員・渦動没滅師が吹き颪の大剣を用いたとしても、彼らは安定化させた太極にもはや有効な衝撃を与えることが出来ず、渦動結界に有効な打撃を与えることができないことを意味した。そうなれば、アサシンは倶利伽羅剣によく似た大剣を同時に用いることで、役に立たない大剣しか持たない工作員たちを圧倒できることとなった。
帝国のアサシンたちは、要塞併設の国術院分校で、金剛腕盾や倶利伽羅の大剣の扱いに慣れる訓練を新たに始めていた。その筆頭責任者はペルシア人傭兵たちを運用し、勝利をおさめた林康煕だった。彼は旅団相手の戦闘の経験を評価され、この地で新たに設立された国術院分校を任されていた。権西姫もまた夫の林正煕とともに分校に赴任していた。彼らは師範として、旅団の本拠地から近いこの地で、旅団に知られることなく次世代のアサシンたちを養成していた。その育成は、将来、若いアサシンたちを率いて旅団の本拠地と思われる地域をしらみつぶしに叩き、旅団を最終的に壊滅させることを目標にしていた。
こうして、帝国はハジャル要塞で、多くのアサシンたちを再び戦闘集団として組織しつつあった。
「鳴沢司令長官、おはようございます」
「おお、林康煕院長。分校にて教鞭ですか?」
「ええ」
「昔が懐かしいですな、確か・・・・僕がまだアサシンのころ、学生の貴方と袁崇燿が僕を鼻で笑った時、僕の連れにしたたかにやられたことがあったね」
「師匠、意地が悪いですね。あの頃、僕と袁崇燿は師匠に同席していた権西姫に仕掛けられたんです…。失礼な女だと思って…」
「あははは、彼女は今じゃ君の義理の娘ではないか」
「そ、そうですね。正樹がまさか西姫と結婚するとは思いませんでした・・・彼女は歳を取らないのですかね……あまりに若い」
「いや、そうじゃない。東瀛、九州の神邇だったオンゼナや倶利伽羅不動によって、長い間濃密な神域結界中央の中にとどめられていたためだ。そういえば、西姫はどうしている?」
「彼女は素晴らしい師範です。正煕でさえ教えを乞うことがあります。彼女は大勢のアサシンたちを厳しく効果的に育成しています」
「そうか」
「今、袁崇燿が指揮を執って生産している大剣と金剛腕盾も、順調に準備が進んでいるようですし…」
「そうか、それは良いのお。この戦力で十分じゃの。我々の艦隊の主力は封じられたが、太極を魔石として安定化できる橄欖石があれば、アサシンたち、神邇たちに活躍してもらえる。あとは、ペトラのアカバガーネット、つまりこれは「太極」そのものが大量に手に入るぞ。ペトラ一帯は大地溝帯がもたらすマントルプルームによって高品質の橄欖石とアカバガーネットを無尽蔵に得ることができるのだ。橄欖石は、アカバガーネットを今までにないほどに安定化させる作用をもつ。ああ、私の力の神髄を発揮できる場所が、もうすぐ手に入るだろう。そう、そこが私にとって本当の根拠地だよ。ここさえ手に入れれば私の、帝国の勝利は間違いない。旅団などは問題ではない。そうすれば、この地に繋がるアフリカも欧州も我らのものぞ。我々はもう十分に準備をしてゆっくり歩くだけで征服を完遂できるぞ」
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東アジアから西へ。旅団のジブチに達した神邇に似た者が、砂漠の嵐を呼ぶ東風を動かす。彼は、大地、そして海面をさまよう悪霊と言ったほうがふさわしい。オンゼナだった。
その彼がジブチの旅団要塞近くにいるのを見出したのは、絶姫だった。
「オンゼナ。あんた、ここに何しに来た?」
「俺のことを知っているのか? 女! お、お前、西姫…」
「西姫は、母です。私は絶姫」
「絶姫? 西姫は? 一緒ではないのか?」
「西姫は帝国のアサシンです」
「それならお前はなぜここにいる? 帝国の潜入スパイか?」
「私は旅団の人間として育てられたのよ。あんたが追い出された後、私は母親とアチャとの関係を見て、母親から逃げ出したの…」
「へえ、それで旅団にねえ」
「あんたこそ、ここに何をしに来たの?」
「旅団はこのままでいると、完全に滅びるぜ。それを言いに来たんだが。誰も俺の姿に気づかないんだ。いや、認識できないのか………」
「え?」
「俺は感じ取れているんだ。増幅された結界がこちらに向かって動いているぜ。しかも、結界を発動する太極とそれを安定化させている何かしらが動いている…
「移動する結界・・・・あんたは結界を移動しながら発動する能力を持っているよね」
「そうさ、だが、俺の仕組みは異なるものだがね…・」
「そう、つまり、秘密の機構を帝国が完成させたということね・・・・」
「こちらは、単に「違うもの」、と言っただけさ」
「なぜ、そんなにこちらに情報を流してくれるの?」
「今に至っての帝国は、俺が居た頃とは違う。俺が偉かったはずなのが、俺を追い出して一人だけが偉そうにしている。だから、俺は帝国を逃げ出したのさ」
「まあいいわ、その考え方は理解できないし、理解する必要もないからね。感謝をしておくわ」
オンゼナは、姿を消した。しかし、絶姫は聞いた情報の恐ろしさに身を震わせた。
「ジャクラン司令、緊急事態です。帝国は新しい物量と未知の装備を用いて旅団を攻めようとしています。時期は不明です。私たちは、のんびりしすぎていました。メッカからメディナそしてエルサレムを守るために防衛線を引くべきです」
「防衛線?」
「彼らは従来からアサシンを幅広く展開して進軍させて来たのです。今回も我々の本拠地を一気に解明しようとしているのです」
「アサシン・・・・。そうか、だから以前の戦いのペルシア人傭兵部隊にも、アサシンがいたのか…」
「ジャクラン司令。私も、そして父も戦線へ向かいます。今大切なのは今はこちらの手にある神殿の丘です。前回は、帝国軍を全滅させ、アザゼルを撃退しました。しかし、今回、その地で、彼らは啓典の本質、十戒の石板のありかを知ってしまうかもしれません」
「それを守り切らなければ、エチオピア高原の聖杯城が危ない」
そういうと、ジャクラン司令は僕と絶姫とを激励しつつ出撃させた。
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マッカ・メディナの防衛線は、圧倒的なアサシンたちの力の前に、簡単に突破された。確かにジャラール・アルアラビーの工作によって、ペルシア人傭兵を味方に引き入れることができた。しかし、アサシンたちの力の前に、通常の兵力は無意味だった。そして、吹き颪の剣を持つ工作員たちの必死の抵抗も、倶利伽羅剣によく似た大剣、魔石となったガーネット結晶の太極を内蔵する金剛腕盾。そして、金剛腕盾をによって展開される渦動結界と霊剣操。それによって、工作員たちの抵抗もむなしく、次々に防衛線は破られた。
ジャラールは満身創痍のままで絶姫たちの前に表れた。
「ジャラール…・」
「そうだ、俺たちは歯が立たなかった」
「何があった?」
「吹き颪の剣が効かない。金剛腕盾によって展開される渦動結界は、たぶん神邇たちから展開された渦動結界に加えて、金剛腕盾にはめ込んだ魔石から太極のように渦動が加えられて霊剣操のように作用している。魔石で安定化させられた太極には、吹き颪の大剣は効果がないんだろうな。そんなことで俺たちは一方的に攻め立てられ、撤退を繰り返してしまった。だが、な、いまでもペルシア人部隊は、俺と同じ心で戦うといってくれている。彼らは神殿のほかを死守するとも言ってくれている。彼らの中にはパシュトン人も混じっている。彼らは極めて果敢だ。大切にしたい…」
「神殿の丘は、文字通り、我々の戦いの最後の絶対防衛線だ。それまで突破されると、とても苦しくなるぞ」
こうして、旅団の残存兵力は神殿の丘に近い丘の上に集結しつつあった。他方、マッカ・メディナをも占領した煬帝国軍は、その勢いのまま再びエルサレム神殿の丘、ケデロンの谷に集結した。