聖女に選ばれることは不名誉
おめでとうございます。神託により、アデライド・オータンは新聖女に決まりました。
屋敷にやって来たやたらと若い神官が、家族を集めてそう言った。
だけど聖女に選ばれることは全然めでたくない。不名誉なことだとみな知っている。
いつの頃からか我が国には聖女制度がある。王侯貴族の未婚の娘から神託によって選ばれ、その仕事は国中を回って平民に施しをすることだ。魔法が得意ならば治癒治療もしなければならない。
王は庶民にも目を向けているというアピールの一環であり、なおかつ庶民の生の声を直接聞き取るという調査活動でもある。
選ばれる娘の基準は分かっている。神託なんて都合の良い言葉を使って、選ばれた娘が拒否できないようにしているだけ。選考基準はずばり、結婚に縁がなさそうというものだ。財産がない、もしくは残念な容貌。だから『不名誉』なのだ。
私の場合は後者が該当する。生まれつき左右の瞳の色が違う。右目は母譲りの青で左目は父譲りの茶。しかもこの茶が光の加減で赤く見えることがあるようだ。初対面の人間でぎょっとしない者はいない。
だから私はいずれ聖女に選ばれるだろうと覚悟はしていた。予想よりやや早かったことだけが驚きだ。任命される年齢の平均より2歳も早い。私はまだ15歳だ。それでも粛々として聖女叙任を拝命したのだった。
◇◇
聖女となった私は生まれ育った屋敷に帰ることも、社交や舞踏会の参加をすることもできずにひたすら旅を続けた。時々旅先に家族や友人たちがやって来て束の間の親交をする。
それ以外は庶民の町を歩きまわり、国から託されている穀物や貨幣、薬や服を配り、時には魔法で病やケガの苦しみを和らげ、彼らから不満や悩みを聞いては対処法を共に考え、まれに国王や領主に陳情書を送る。
これが任を解かれる日まで続くのだ。就任期間は聖女により違うらしいが、大抵が10~15年。私は若くして選ばれたので15年だろうと言われている。つまりあと、12年。気の遠くなる年月だ。
だけど幸いにして私は聖女一行の仲間に恵まれていて、滅私奉公の日々は予想していたよりは辛くなかった。
一行には物資を運ぶ馬車が1台、護衛の兵士、私の世話をする老尼僧、そして聖女を補助する神官がいる。兵士や馭者、老尼僧は半年ごとに変わるけれどみな良い人ばかりだ。神官は交代はなく、私に神託を告げに来た彼がずっと共にいる。
どうも神託はいつ、誰が受けるかは分からないらしい。神官はみな水晶の珠を首から下げているのだけれど、突然そこに聖女の名前が浮かび上がるのだそうだ。そして神託を受けた神官は、聖女が聖女である限り、付き添い彼女の安寧を祈り続けないとならない決まりだそうだ。
そんな細かい設定まで作ってでも、聖女は神託により決まることにしたいらしい。そして恐らく、神託を受ける役の神官は、何かしらの理由で左遷させられる人なのだろう。可哀想に。
私についている神官ウスターシュはまだ若い。23歳だ。しかも美男。更には性格も良く、穏やかで物腰も柔らかい。だからきっと他の神官たちに妬まれて聖女担当にされたのだ。
だけど私は裏の仕組みなんて何も知らないふりをして、名誉な仕事をしているふりをしている。
……いや、今はふりではないかな。私はただの王の手先で自分の財産を分け与えている訳ではないのに、人々は私に感謝し崇めてくれる。それならせめて、その気持ちには真摯に応えたい。
聖女に選ばれることは不名誉だとしても、誇りを持って役目を果たしている。
人々の悩みを聞くのは時に辛く、気分が沈んでしまうこともある。それでも『聖女』なのだからと気を奮い立たせて笑みを浮かべるのだ。
それにウスターシュは私の心身が危ういときはすぐに察知して、気遣ってくれる。不安や無力さに押し潰されそうになり布団をかぶって泣いているとやって来て、私の気分が落ち着くまで手を握りしめていてくれるのだ。
私の精神が参ると、彼が首から下げている水晶が曇るらしい。本当かどうかは分からない。真偽よりも、ウスターシュが支えてくれる事実が大事なのだ。
◇◇
「だって神託なんて嘘じゃない!都合よく聖女をやらせるための仕組みでしょう!」
苛立っていた私は、ついウスターシュにそう叫んでしまった。
借りている宿屋の一室。扉の隙間から老尼僧が心配そうに覗いているけれど、止まらない。思うままに聖女任命の不満を彼にぶつけてしまった。
苛立ちの理由は分かっている。
若く美男のウスターシュは行く先々で娘たちに囲まれる。それを彼は優しい笑みを浮かべて丁寧に対応する。私はそれが嫌なのだ。
──聖女になって三年。ずっとそばにいて、辛いときは寄り添ってくれる。そんな彼を好きにならいでいられるはずがない。
気持ちが表に出ないよう気をつけてきたけど、だからこそ彼が他の娘に向ける優しさに余計に苛立ってしまうのだ。
私の言葉に呆然としていたウスターシュは何度かまばたきをしたあとに、
「何のことだ」
と戸惑いぎみに言ったのだった。
わざとらしさに腹が立つ。
と、尼僧が扉から顔を出してウスターシュに、聖女任命が神託だというのは嘘で、実際は結婚に縁のなさそうな残念な容姿や貧乏な令嬢を選んでいるだけとの噂があるのだと告げた。
「そんなバカな」とウスターシュ。「君はそんな与太話を信じていたのか」
尼僧も悲しげな顔をして、気づきませんでと謝る。
「神託は本物だ。聖女に選ばれるのは、慈悲深く寛容で忍耐力のある娘なのだ。君に当てはまるだろう?そうでない娘には到底務まらない。華やかな生活とは無縁、終わることのない旅、階級が違う者に交わり話に耳を傾け、救い続ける」
「こんなことを続けられる令嬢は滅多にいないのです」と尼僧も言う。「恐らく、何不自由なく育った令嬢より、辛い思いをしている令嬢のほうが聖女が務まるのです」
確かに私は目のせいで嫌な思いをして、そのぶん忍耐強くなったとは思う。
「君は素晴らしい聖女だ。そうなると神は分かっていたから君を選んだ」
「……でも私は素晴らしくなんてないわ。弱くてすぐに参ってしまうし、」
「だけど人前ではそんな姿を見せずに常に笑顔だ」ウスターシュが言葉を被せてくる。
「……性格も本当は良くないわ。妬み僻みもあるの」
「アデライド。それは私もだ」ウスターシュがはにかむ。「恥ずかしいが、私にも悪い感情がある」
「まさか!あなたはいつだって穏やかで公平な人だわ」
「いや本当だ。だけど大切なことは悪い感情に負けないことだ。私にはその強さがあるから、君という聖女の付き添いに選ばれたのだと思っている。付き添いに選ばれるのは、神官にとって最高の誉れ。末代まで誇れる名誉なんだ」
「私なんかの付き添いが?」
「『なんか』ではない。君は神が認めた、万人のための聖女なのだ」
そう言ったウスターシュは突然床に膝をつき、頭を垂れた。
「素晴らしき聖女よ。私は誇りと喜びを持ってあなたに付き添っている。辛いことはどうか私に、共に解決させてほしい」
それなら他の女の子に優しくしないで。
そんなことが浮かんだけれど、口にはしなかった。
神託が本物だったということだけでも嬉しいのに、ウスターシュは私の担当であることを誉れだと思ってくれている。
それだけで、十分ではないか……。
◇◇
長い年月が経ち、聖女になって15年目に、役目終了の神託があった。私は30歳になっていた。ずっと一緒だったウスターシュは35歳になり、さすがに中年の雰囲気が漂っている。
15年も共にいればケンカもしたし、口をきかないときもあった。その度に私たちは話し合い仲直りをして、今ではまるで熟年夫婦のようだ。
もちろん、そのような間柄に見えるだけで、何もない。困ったことに私はいまだに彼が好きだけれど、なんというか、達観してしまってこの先の関係を望んでもいない。ただ聖女終了により、彼と離れなければならないことが悲しかった。
両親は私に屋敷に帰るよう言ってきたが、そこには弟一家も住んでいる。お嫁さんは、今さら小姑と同居なんて嫌だろう。だから私は国が用意している、元聖女のための住まいに入るつもりだ。聖女をしていると結婚適齢期を過ぎてしまうので、その代わりに生涯の面倒を見てもらえるそうだ。
更に15年分のお給料と年金ももらえるので、ひとりで生きていくのに困ることもない。
ウスターシュは神殿務めに戻る。老尼僧の話だと家族で住む広さの新居を探しているらしいから、結婚をするつもりなのだろう。そのあたりは本人に尋ねていない。
いくら達観していても、15年も片思いしていた相手の結婚はこたえる……。
王宮で華々しく解任式が執り行われ、国王からはありがたいお言葉と褒美をたんと賜り、私は聖女でなくなった。祝いの宴席も全て終わり、ウスターシュとの別れの時間が近づいてきた。
どうする?
たまには会おうと誘う?
それとも文通しようと頼む?
だけど結婚を考えているのなら、付き合いは控えたほうがいいのだろうか。ウスターシュは35だから、結婚するなら急ぎたいだろう。
そんなことを考え方ながら、何故かウスターシュに誘われて城の庭に出た。薔薇の花が咲き乱れ、今までの生活とは別の世界にいるようだ。
隠居する前に、思う相手とこんなロマンチックな散策をするのもいいかもしれない。
この15年無縁だった乙女チックな雰囲気を堪能する。
真っ赤な薔薇を見つけて、足を止めた。
「昔は自分の瞳が好きではなかったけれど、今は好きよ。聖女になることができて良かったと思っているの。大変な仕事だったけれど、得るもののほうが大きかった」
その中にはあなたとの出会いもある、と心の中で付け足す。
「君の瞳は美しいよ」とウスターシュが言う。
「ありがとう」
と彼を見ると、彼は突然、地面に膝をついた。これは前に一度だけ、見たことがある。
「どうしたの!」
「アデライド」何故か震えているウスターシュの声。「どうかこれからは、私だけの君になってもらえないだろうか」
「……え?」
「私はこの先も君のそばにいたい。……私は本当は悪い心の持ち主だ。君は素晴らしい聖女で心より尊敬をしているけれど、私だけのアデライドになってほしいとずっと願っていたのだ」
……え。
ひざまずいたウスターシュは真剣な顔で私を見上げている。
私の心臓はバクバクと鳴り、爆発しそうだ。
「やはり、こんな悪い心の私は気持ち悪いだろうか」
ウスターシュの顔が歪む。
私は足の力が抜けて、しゃがみこんだ。
「アデライド?」
「……喜んで」
嬉しさで胸がいっぱいで、ささやくような声しか出ない。
ウスターシュは満面の笑みを浮かべて私の手をとると、初めて口づけをした。
聖女にならなければ、こんな素敵な人には巡り会わなかった。
それからこんな嬉しいプロポーズも。
神託の神に感謝をして。私もウスターシュの手に口づけを返した。
どこからか鐘の音が響いてくる。まるで私たちを祝ってくれているようだ。
◇◇
のちに鐘を鳴らしていたのは、護衛のひとりで、城の塔からウスターシュの求婚が成功するかどうか見守っていたと知った。成功したら鐘で仲間に知らせる手筈だったとか。
どうやら彼の気持ちに気づいていなかったのは、私だけだったらしい。
歴代の老尼僧たちもみな、両思いだと分かっていましたよと笑って言ったのだった。