[第一部]三つの正義 第5話:太一の正義
日伸市は昨晩から雪がふり、実川は朝から庭の雪かきを行っていた。日伸市は、雪が積もり地域ではないが、今年はこれで2回目であった。1回目の雪の時は、雪かきする道具がなく、ホームセンターに行っても売り切れで、ネット通販で先週購入していたので、張り切って雪かきをしていたのだが、30分たったところで、腰が痛くなってきた。
「あー、隣のばあちゃん家も雪かきしてあげないとな。」
独り言を言いながら、2時間ほどで雪かきが終わった。朝5時に起きて正解だった。支店長がうるさいので遅刻するわけにも行かなかったので、ほっとしていた。
実川 太一は、石岡信用金庫に10年勤め、今は日伸支店の課長をつとめている。本当はメガバンクに勤めたかったのだが、今となっては、地元の人とふれられる信用金庫で良かったと思っている。給料はそこそこだが、地方公務員と同じぐらいで、安定もしている。組織の理不尽なことがなければ、大満足なのだが、贅沢も言ってられない。
日伸支店がある日伸市は、かの日伸グループの企業城下町で、昔は潤っていたらしいが、国内生産を縮小し始めて、企業の元気はなくなってきていた。だが、まだ、日伸グループの工場は3工場残っていたし、そこそこの街だと実川は思っていた。昔、裕福な人と達がいたせいか、治安も良いし学校もそこそこ優秀であった為、昨年、日伸市に一戸建てを購入した。妻と小学生の娘が一人いて、不満は特にない。信用金庫も眉をひそめることもあるが、必要な人にお金を貸して感謝されているという実感もある。今日も頑張るかと独り言を言いながら、家に入っていった。
「おはようございます。」
日伸支店の入口をくぐり、自分の席にある法人課に入った。席に座ると部下からの稟議か5ファイルほど書類がつまれている。雪かきの疲れがあるのにいきなり仕事かと思いつつも、ファイルを開き、書類をチェックしていた。
「実川くん。ちょっと良いかな。」
「はい、支店長。なんでしょうか?」
声をかけられたのは、石川支店長であった。石岡信用金庫でも出世頭で、最年少で支店長となり、来期にも本店部長になるのではないかと噂されている優秀な人物だが、非常にドライな面もあり、実川は苦手であった。
「王立運輸への融資申請が来ているから、処理しておいてくれ。」
「王立運輸ですか?昨年も3,000万円貸していますが、またですか?理由は設備投資でしょうか?」
昨年も王立興業の申請書を記載した覚えがあった。確かグループ会社なので、王立運輸も実質王立グループというくくりでは同じであった。
「トラックが急遽壊れたらしく、新規に購入したいらしい。」
「そうですか。こちらで財務状況等のチェックは不要ですか?」
「不要だ。私が見ている。」
「分かりました。処理しておきます。」
実川は、昨年、王立興業の融資申込の際に、決算書を見ていて、少し違和感を覚えていた。ただ、支店長が責任取るならまあいいかと思い、了解した。席に戻り、王子運輸の決算情報を入力するとシステムからキャッシュフローが不足しているが良いかという警告が出た。キャッシュフローとは、現金の流れを意味し、主に企業の活動によって実際に得られた収入から、外部への支出を差し引いて手元に残る資金のことを指す。キャッシュフローが不足しているとは、1年間通して企業活動をしたが、資金が不足しているという事である。つまり、儲かっていない会社という事であった。
「支店長。キャッシュフローがマイナスになっていますが、本当に貸し付けますか?」
「実川くん。何度も言わせないでくれ。処理してくれと言ったはずだが。来期一杯まで日
伸グループの受注が下がっているというのは他社からも聞いていて、ここで資金を出さなければメインバンクを他に持って行かれてしまう。王立グループはうちにとっては手放させない顧客だ。」
「分かりました。」
支店長は、結局、自分がいる間は潰れなければよく、むしろ貸し渋って、他の信用金庫などに行かれる方が困ると思っているのだろう。金融機関は減点方式だから、それも分からなくはない。実川は、企業の実態を見抜き、適正な融資をすべきで、会社の経営にも金融機関は口を出していくべきだと思っているが、そう考えている上司は少ない。しかも、そういう事を言ってしまうと、目をつけられてしまう。分かってはいるが、ふがいないなとたまに思う。それに、王立グループは、日伸支店で一番の貸付額で、仮に潰れてしまうと、支店ごと吹っ飛ぶことも理解している。貸している責任もあるため、一蓮托生ではある。だとしたら、なおさら、経営に口を出していくべきだと思う。
「先輩、どうしました?難しい顔して。」
後輩の下村係長が声をかけてきた。下村は4つ下で、行動力があり、努力家なので、実川は好きであった。
「いや、何でも無いよ。ただ、正しい事するのって難しいなっと思っていただけ。」
「それは、そうですよ。正しい事って、人によって変わりますからね。」
確かにその通りだ。正しい事は人によって異なる。自分が正しいと思っていることと相手が正しいと思っていることは違う事がある。それは育ち・環境が異なっていたり、倫理観の違いだったりする。正しい事を実行しようとした場合に障害があるのは仕方が無いことだと改めて思った。
「おまえもたまには良いこと言うな。」
「たまにはってヒドイですね。あ、そういえば、机の上に置いた谷淵製作所の書類見ていただけました?」
「すまん。支店長から王立運輸の新規融資の書類を頼まれて、まだ見れてないんだ。急ぎか?」
「いや、急ぎではないです。にしても、王立運輸ですか?」
下村係長が眉をひそめながら、小声で話し始めた。
「噂ですが、王立グループは結構ヤバいことやってるんじゃないかって。議員にも裏金渡しているって聞きましたよ。」
「そうなのか?社長は日伸市の商工会のトップで、人が良くて、真面目な感じな人だよね?」
「まあ、そうですよね。あの人が裏金渡すなんてイメージないですよね。先代が結構あくが強かったので、そういう噂が流れているのかもしれませんね。」
王立グループの先代である王立 進は、自社のトラック事故を政治家に掛け合って軽くしてもらうなど、政治家を会社に利用する人物と噂になっていた。実川も一度あったことがあるが、地方の悪そうな名士と言ったイメージで、ダミ声で、脂ギッシュな感じの男で苦手なタイプだった覚えがある。一方で、息子の肇はすらっと背が高く、いつも笑顔で、銀行に来ても腰が低く、行員は良い印象を持っている。
「やっぱり先代のせいじゃないか。あの人は俺も苦手だったから。とりあえず、仕事に戻ろう。」
そういうと、下川も自席に戻り、自分の仕事を始めた。