クレイディア編ー1
・吸血種
→男女総じて青白い肌と、鋭い犬歯を持ち合わせる。生まれもっての魔力量が極端に低く、他種の血液の経口摂取のみによって、不足魔力を補う習性を持つ。直射日光を浴びると、浴びた個所が焦げるという弱点を持ち、『純血種』と呼ばれる亜種はそれが顕著。弱点が多い代わりに魔力量が尋常でない『血王の一族』という氏族が存在する。
『魔王』――。その響きに、どのようなイメージを持つだろうか。悪逆の王、残虐非道、極悪冷徹。『世界の敵』という見解を持つ人も少なくないだろう。どの物語、どの世界においても、『魔王』とは常に世界に改革をもたらさんとする存在である。
そして、『魔王』と対を成すのが、一部の人間が一度は夢見る存在――『勇者』である。『魔王』を討つ者であり、異色の物語においては魔王と手を取り合う場合もある、勇者。この物語における魔王の前にも、今、ひとりの勇者が剣を抜いて仁王立ちしていた。
蒼い鎧を身に纏った青年は、磨かれた大理石のように純白に輝く片手剣の切っ先をソレへと向け、高らかに言い放つ。
「魔王! 今まで幾度となく我らフェンシウムの地を汚しやがって、今日この日がお前の命が尽きる日と思い知れ!!」
教会のようなアーチ状の屋根を持った広大な面積の部屋は薄暗く、その中央には物々しい玉座が設けられている。その玉座に腰掛け、青年を見据えるソレは、青年の言葉に返答することもなく、微動だにせずにいた。
「……フン、人類種一人には興味もなし、ってか。上等だ、覚悟しやがれ魔王ッ!!」
そう言い放ち、手にした剣に蒼い稲妻を纏わせる。腰を落とし、ソレへと突進する構えを取った時だった。
突如としてソレが玉座から腰を上げ、なんと伸びをし始めたのだ。そのまま、薄暗く遠くの物はシルエットも判別できないような空間を、ゆっくりと青年に歩み寄ってくる。青年の目と鼻の先まで近付いてきたソレは――。
「やぁ、こんにちは。六千七百六十三人目の冒険者くん。」
なんと、細身の少女の姿をしていた。月のような金の右目と、血のような深紅の左目を持ち、紫がかった黒色のロングウェーブを揺らす少女――魔王は、興味深そうに青年の瞳を覗き込んだ。
青年は呆気にとられ身動きが取れずにいたが、はっと我に返ると、電光を纏った剣で魔王に斬りかかった。しかし、斬撃は魔王の身体をすり抜け、空を切る。
「ふふふ、ぼくはねぇ、この魔王城に来る君たち冒険者のことが大好きなんだ! ここまで辿り着くような猛者には、それ相応の過去がある。ぼくは、その過去を覗き見るのが大好きでねぇ……悪趣味だとは自覚してるんだけど、どうにもやめられないんだよねぇ!」
クスクスと笑う魔王は、そう言って青年の瞳をひたすらに覗き込み続けた。その骨の髄まで見透かされているかのような視線に青年は怯み、一歩後ずさりをしてしまう。そんな青年の姿に、また愉快そうに微笑む魔王。
「ふぅん……フェンシウムの外れの雪国の、そのまた外れの小さな村で育ったんだね。……あらあら、村の人たちは怪物の軍勢に根絶やしにされちゃったのね……。良く生き残ったものだよ。その悔しさをバネに怪物へ復讐を誓い、いくつもの出会いと別れの果てにここへやってきた、と。」
「――ッ、そうだ。魔王、我が同郷の仲間たちの無念、晴らさせてもらうぞ!」
「ふふ、君じゃ無理だ。ぼくには勝てない。」
「なッ――!?」
微笑みは絶やさず、夜闇のような漆黒のドレスを翻し青年から少し離れると、魔王は言葉を続ける。
「理由が聞きたい? 聞きたそうだねぇ、教えてあげよっか。
まずひとつめだ。ぼくと君じゃ圧倒的なまでに戦闘能力が違いすぎる。これは物理的な理由だ。例えば今の君が数値にして『十』の戦闘力を持っていたとしようか。その場合ぼくの戦闘力は……『計測不能』だ。まず勝てっこない。
それじゃあ二つ目だ。これは精神的な理由。君はぼくに手出しできない。何故なら、君が婚約している少女がいるだろう? ――ふふ、そう驚かないでくれよ。言ったでしょ? ぼくは君の過去を視たんだ。その婚約者の命は、実質ぼくが握っている。嘘でも比喩でもないよ。彼女が暮らす村の付近に、『道』を設けておいた。今一瞬のうちにね。『道』はこの闇の世界ブロンディウムと君たちが暮らすフェンシウムを繋ぐ魔力的なパイプラインだってことは知ってるよね? あとはわかるね? やろうと思えばぼくの一声で君の婚約者はあっという間に焼けただれた肉塊だ。」
青年は、怒りや恐怖すら通り越して、得体の知れない感覚が背筋を伝っていくのを感じた。こんな奴を相手に、勝てるわけがない。そう直感で認識した。しかし、彼が逃げ出すことはなかった。逃げ出すことなどできないのだろう。意地や誇りはもちろんそうだが、何より恐怖心が、彼の脚部を動かすだけの判断力を生むことを阻害していた。
「貴様ぁ……ッ!」
「そして何よりも、この三つ目が大事だ……三つ目。君は『魔王』という存在について大きな誤解を持っている。魔王は確かに闇の怪物たちの長だ。けれど、ではその闇の怪物たちを操っているのは誰か? ……わかるかなぁ、冒険者くん? それはね、君の頭蓋骨の中にも入っている――脳みそだよ。
魔王が命令し、怪物たちが君たちの世界を襲っているんじゃない。むしろその逆だ。『魔王』という地位は、各地で暴れ回る闇の怪物たちの平定、及び全七世界が『世界の均衡力』による完全な独立状態を維持するために存在しているんだ。そんな魔王を倒したところで、君の待つ平和な世界は訪れない。次の魔王が決まるまでの空位の期間、抑圧から逃れた怪物たちが、本格的にフェンシウムを襲撃するだろう。
――それでも、その剣をしまうことはないんだね?」
青年は歯ぎしりをし、魔王を睨みつける。
「俺は……俺はこの二十年間、怪物どもへの憎悪だけを糧にして生きてきたんだ。その長たるお前を殺さずにのこのこ彼女の元に戻るなど、できるものか! お前の言うことがすべて真実だったとしても、俺はお前を殺す! そのためにここまで人生を無駄にしてきたんだ!
わかっている……もっと別の人生があったと、平和に笑って、平和に生きる選択肢もあったと、そんなことは百も承知だ! けれど、俺はこの道を選んでしまったんだ! 後戻りはできない……、だから俺は――ッ!!」
最後には鼻声になりながら、青年は再度しっかりと剣を握り、魔王の懐目掛けて突進した。そして、その首筋へと剣を突き出した直後。
「――ガハッ……!」
魔王の影から飛び出した巨大な真っ黒い茨が、青年の鳩尾を貫いた。霞む視界、遠のく意識の中でも、青年は最後まで手を伸ばし続けた。ほんの少しでも、魔王に一太刀入れようと足掻いた。しかし、無表情のまま魔王はくるりと踵を返し、玉座へと歩き去ってしまう。それと同時に、魔王の影からまたいくつもの茨が飛び出し、青年を串刺しにした。
最期に誰かの名をぽつりと口にし、茨が消えると同時に、青年だったモノは、その場にどちゃっ、と倒れ落ちた。
ふと、ぼくは目を覚ます。いつの間にやら居眠りをしていたようだ。何千年も魔王をやっていると、退屈で退屈で仕方がない。だからぼくとしては、今回北極星が紅く輝いた――すなわち、七つの世界の数多の猛者たちが魔王の地位を求めて争い合うこの時期を心待ちにしていたんだ。
おっと、自己紹介が遅れてしまった。ぼくの名はクレイディア。第三百三十六代魔王。異名は数あれど、一番有名なのは『未知無き魔術師』かな。この物語を読んでいる皆さんは、多分『異世界』だとか『異能力バトル』だとかが大好きなんだろう? 今のぼくはただのしがない登場人物に過ぎないけれど、ぼくはこの世界が『物語』であり、この『物語』を『読んでいる』『皆さん』がいる、ってことは知っている。そういう人物なんだ、ぼくは。メタキャラってとこかな。
閑話休題。先述の通り『皆さん』はぼくが一体どんな能力を持っているのかが気になっていると思う。大まかに言っちゃえば、ぼくの能力は『魔法』だ。『皆さん』もよく知るあの魔法。ぼくは、言ってしまえばただの魔法使いだ。ぼくのアイデンティティと言えば、このオッドアイと魔王であること、吸血種であること、それとこのおっぱいと魔法くらいしかないからね。
ふふ、今おっぱいの文字に惹かれたでしょ。安直だねぇ。まぁぼくは肩が凝るくらいたわわなおっぱいを持ってるからね。男性諸君が惹かれちゃうのも無理はないよ。
――っと。そうじゃなかった。ぼくの魔法についてだったね。そこを話すにはぼくらの過去を話す必要があるんだけど……。おや、ぼくの弟兼執事がやってきたね。ついでだし、場面転換と行こうか。『皆さん』はぴょんぴょん行が飛ぶ『物語』ってどう思う? ぼくは読んでてちょっとイライラする。それじゃ、場面と視点の転換だよ。
玉座の間正面に設けられた樫作りの巨大な扉から現れたのは、血のような紅い右目と、月のような金色の左目を持った、クレイディアによく似た青年だった。身に纏っているのは、夜闇のような漆黒の燕尾服。逆立つ紫がかった黒色の髪を持った青年は、玉座へと続くレッドカーペットの上に転がる蒼い鎧の肉塊を拾い上げて部屋の奥に放り投げると、無言のままクレイディアの右隣に立った。
「この子がぼくの双子の弟、クレイ。ぼくとクレイは、先代魔王の嫡子でね。別に魔王の子に継承権があるわけじゃないんだけど、こうして魔王とその側近になれたってわけ。」
「またお前は誰ともわからん奴に話しかけてるのか……。」
「クレイ? 主人に向かってその言い草はないでしょ?」
「今この空間にいるのは双子の兄妹たる俺とお前だけだ。兄が妹に対して砕けた語調で話していても誰も咎めねぇだろ。」
「ぼくが姉ですー。」
「俺が兄だ!」
自身の詳細な年齢すら忘れてしまう程に長き時を生きてきた双子はそう言い合いながらも、ちらちらと部屋の奥を見合う。そこにうず高く積み上げられたおびただしい人肉の山を現実のものであると認識し、やがて言い合いを止める。
「……明らかに多いよな。」
「誰もが主人公になりたいんだよ。」
「はぁ?」
「……さて読者諸君に説明をしなくちゃいけないね。あの肉の山は、全部ぼくの手によって死んでいった元『勇者』の残骸だ。第一から第六世界までの夜空に輝く北極星が血涙の如き真っ赤な光を放った時から、明らかにぼくらに挑んでくる『勇者』の数が増えた。神様って奴も大変だよねぇ、そこまでしてぼくを倒したいのかな?」
「……別に『勇者』は神のお告げで魔王討伐に出向くわけじゃないぞ。」
「ふふふ、残念ながらクレイ? 普通のお話はそうなんだよ。」
そう妖艶に微笑むクレイディアに、クレイは溜息をついて首を横に振り、話題を戻す。
「これはやっぱり、次期魔王の座を狙う輩が露骨に増えたってことなんだよな。」
「そうだねぇ。」
クレイディアは興味なさげに足元にあった魔導書のうちの一冊を手に取り、玉座の肘掛けの上に背表紙の一点を乗せ、くるくると弄びながら返事をした。
「放っておけば、一日当たりの数はもっと増えるだろうねぇ。」
それもさして強くもない『勇者』が。と、クレイディアは目を細める。気だるげな彼女の姿勢を見て、クレイはわざとらしく咳ばらいをし、ひとつの提案をした。
「しかし、このままじゃラチが明かねぇ。俺たちも第七世界に乗り込むべきか?」
「読者諸兄とは違う時空の『地球』……皆さんにも見せてあげたいしねぇ? いいんじゃないかな。それじゃ、準備お願いね、クレイ?」
これもまたわざとらしく、悪寒すら覚えるほどに冷たい微笑を浮かべながらクレイに出立の準備を命ずるクレイディア。その言葉にクレイは呆れたようなニヤニヤ笑いを隠そうともせず、玉座の奥、肉の山の隣にぽつんと設けられた小さな樫の木でできたドアへと足を運び始める。
「はいよ、三日ぐらい待ってろや。」
「君も魔法使えれば良いのにねぇ。」
「俺はディアと違ってまず使うことが許されてないからな。……ドクシャショクンとやらに説明すると。」
手を振りながらそう皮肉交じりに去っていくクレイ。遥か背後で響いたドアが閉まる音の残響が弱まってから、クレイディアは肩をすくめた。
「世界の本質がわかってるってのも困りものだよ。ねぇ?」