シャーロット編ー1
・機人種
→機械の体と、性能が高度過ぎるが故に感情や心を持つに至ったコンピューターを持つ、機械生命体。最初期は種として認められていなかったが、生殖機能を持ったシリーズが製作されたのを機に、種としての名が付けられた。
第六世界、ティエシャウム。雲に手が届きそうなほどに高く伸びたビル群が密集する、ティエシャウム唯一の国家、『ティエシャウム大科学国』の首都、『ミッドギース』。その摩天楼のひとつの屋上に設けられたそれなりに広大な緑地に、二機の『機人種』が、ベンチに座って会話していた。
『アールリース・セブン、喉は乾いていないだろうか。』
『配慮には及ばない。四十三分前に液体エネルギーを摂取したばかり。』
一機は、比較的『人類種』の少女に近い外見をした、若葉色のヘアーパーツを持ち、右腕に巨大な砲身を装着した個体だ。名をアールリース・セブン、超遠距離支援型機体『アールリース』シリーズの七号機だ。
『四十三分前ではあまり感心できないな。この時期、液体エネルギーは二十分に一回、五百ミリリットルは摂取するべきだ。』
もう一機は、分厚い装甲とヘルメットタイプのヘッドパーツを持った、紺色のカラーリングの『機人種』、エフサイアー・アーリースリー。前線維持特化型機体『エフサイアー』シリーズの試作三号機。
『配慮には及ばない。四十四分前に三リットル摂取した。』
『……いや、やはり安心できないぞ、アールリース・セブン……。』
そこからしばらくの沈黙が続いたが、やがて、エフサイアー・アーリースリーが咽頭内蔵スピーカーから声を発する。
『アールリース・セブン、貴官も耳にはしているだろうが、北極星が紅く輝いたそうだ。』
『……。』
『すなわち、これより魔王選定のための一大戦争が始まることであろう。』
『……。』
『そうなれば当然、我々特殊階級のアカウントを所持している特務部隊は戦場へと赴くことになる。』
『……。』
『アールリース・セブン?』
先程から無言のまま虚空を見つめているアールリース・セブンのフェイスパーツの前で、手をぶんぶんと振るうエフサイアー・アーリースリー。アールリース・セブンは、少し俯き、ボディアーマーから飛び出した襟のような部分に隠れた口から、くぐもった声で、ぽつりと呟くように言った。
『……エフサイアー・アーリースリー、本官の願いが何であるか、知っているか。』
『いくらの歳月、貴官とバディを組んできたと思っている。「人間になること」、であろう。』
『然り。非常に無謀かつ馬鹿げた願望である。』
『そうは思わないぞ、アールリース・セブン。我々とて半分は生命体なのだ。思考し、希望的観測を持つ自由は、等しく保有しているはずだ。』
『本当にそう思うか、エフサイアー・アーリースリー。本官のフォローのために言ってはいまいか。』
『貴官は、私がよもや心にもないことを、貴官を落ち込ませないがためだけに発言すると、そう思うのか?』
『……然様なことはないと信仰している。だが……。本官は、機人種としてパンターの手から生まれ落ちたその日から、自身が純粋な機人種であることにどうしても疑問を抱いてしまう。』
『最先端の機種たる我々は前世代の機人種とは違って、高度な思考プログラムを搭載しているからな。そのスペックは人間の脳の三倍以上だという。とあらば、人間が抱く「心」を我々が抱いたとて、何ら不思議なことはあるまい。』
『元来機人種とは、現在で言う「煙人種」たちが信仰する宗教の差異から時の権力者により故郷を追われた際に、抵抗手段として造り上げた、存在自体が「人殺しの道具」だった。その存在意義は、当時から数千年の時を経た現在であっても、何も変わってはいない。』
アールリース・セブンは、やや雲の多い蒼穹を見上げながら、左手で、右腕の砲身にそっと触れた。
『人殺しをするために生まれた本官ら機人種が「人間になりたい」――否、「純粋な有機物になりたい」など、到底許される願望ではない。狂気の沙汰とすら言える……。』
『……アールリース・セブン。』
エフサイアー・アーリースリーは、はっきりとした口調で、相棒の名を呼んだ。駆動音を響かせながらアールリース・セブンが横にいるエフサイアー・アーリースリーを見上げると、エフサイアー・アーリースリーは、そのヘルメットタイプのヘッドパーツのバイザーの奥に光るカメラをまっすぐにアールリース・セブンのヒューマニアタイプのカメラパーツに向けた。
『アールリース・セブン。私は貴官が悩み、苦しみ、悲しむ様を誰よりも……パンター氏よりも近くでずっと見てきた。故に、貴官が辿り着く答えが、私も知りたい。私は貴官が如何なる結論に納得しようとも、それをしっかり支え続けていこう。だからアールリース・セブン。もっと悩め。悩んだ数だけ、貴官は人間に近付けるぞ。』
『……エフサイアー・アーリースリー……。』
『……そうだ、魔王城の地下には七つの世界全てに存在する書物がひとつの漏れもなく書架に並んでいるそうだな。いっそのこと、魔王でも目指してみたらどうだろうか? 何かわかることでもあるやも知れんぞ。ハハハ!』
冗談交じりにエフサイアー・アーリースリーは言ったつもりだったが、その言葉に対するアールリース・セブンの反応を見て、呆れるやら安心するやら、複雑な感情を抱いた。
『……貴官、まさか本当になるつもりか?』
『エフサイアー・アーリースリー、本官は、この願いが正しいものなのか、善なのか悪なのか、明瞭にしたい。そのためならば、如何なる手段をも行使する所存だ。』
やれやれ、と呟きながら、エフサイアー・アーリースリーはベンチから立ち上がった。
『貴官が頑固者だというのは重々承知の上だが……いや、貴官らしいと言えばらしいか。まぁ、私も個体性は男性に設定されてある。「男に二言はない」、だ。前言は撤回せん。では、アールリース・セブン。』
ベンチとは反対側の屋上の縁に立ち、エフサイアー・アーリースリーは振り向いた。
『戦争が始まる地の偵察に向かうとしようではないか。』
『独断で行くのか。軍規違反だぞ、エフサイアー・アーリースリー。』
『いや、上層部からのお達しを先程受信してな。偵察任務を任された。……行かないのか? アールリース・セブン。』
『……。』
アールリース・セブンは、無言のまま立ち上がり、エフサイアー・アーリースリーの左隣に並んだ。そのまま、感情の読めない表情で、地平線まで続く、サイバーパンク世界を見渡す。
『……二度と戻ってこれないのかも、知れないのだろう。』
『あぁ。下手をすれば、任務先で機能停止を迎えることも、充分あり得るだろうな。』
『会っておくべき人物はいないのか、エフサイアー・アーリースリー。』
『私には特にいない。軍の兄弟も、既に大半が先月に廃棄処分を言い渡された。試作機の一生など、そんなものだ。そういう貴官はいないのか?』
『……本官は、職務に忠実に生きてきた。挨拶をすべき間柄の人物などいない。』
『パンター氏にもいいのか?』
『……あいつは開発者だ。開発者は、何よりも自身が作った作品が武勲を上げることを喜ぶ。ならば別れの挨拶など不要だ。本官が敵首魁を討ち取った時に初めて挨拶してやろうと考えている。』
『貴官はパンター氏に本当に手荒いな……。』
『……。』
フン、とアールリース・セブンは、襟に隠れた鼻パーツから鼻息を短く吹いた。そんなアールリース・セブンを見たエフサイアー・アーリースリーは、特段理由もないが、妙におかしくなり、笑ってしまった。
『……何かおかしなことでもあったか、エフサイアー・アーリースリー。』
『ん、何。思春期の「人類種」の少女が父親に辛く当たる様を想起してしまった。』
『……褒め言葉と受け取っておく。』
そう言って、アールリース・セブンは、遥か数百メートル下方に敷かれた道路目掛けて、自由落下を開始した。エフサイアー・アーリースリーも、慌てて屋上からジャンプし、彼女を追いかけた。
『……どういうことだ、エフサイアー・アーリースリー。我々は座標を間違えたか。』
『いいや、何も間違ってはいない。ここが、彼の戦争の戦場となる場所だ。』
――地球は日本、秋葉原駅電気街口広場。月明りとビルの明かりが照らす夜中と思えぬほど眩い空間で、一機の巨体を誇る機械生命体と、一機の少女型機械生命体が、途方に暮れていた。
『……この地はテラウィウムだぞ、エフサイアー・アーリースリー。』
『百も承知だ。ステルス機能をオンにしておいて本当に良かった……。』
ひっきりなしに二機の周りを『人類種』のような外見の人間が行き交っているが、光学迷彩によって透明化している二機に気付く者は、誰一人いなかった。
『エフサイアー・アーリースリー……本官の演算システムがオーバーヒートしそうだ。我々は機械にはめっぽう強いが、魔術学にはとことん疎い。「世界の均衡力」によってテラウィウムと他六世界は完全隔離されているのではないのか!?』
『そのはずだ。……すまない。本部との通信も繋がらない。完全に孤立状態だ。』
『……。』
ギュウゥン、と豪快な音を上げて、アールリース・セブンの内部機構が排熱を開始する。冷却装置による人間でいう『汗』が、次々に額を伝って地面に流れ落ち、アールリース・セブンは、ついにびくりと動いて硬直してしまった。
『……アールリース・セブン?』
『……。』
返事がない。エフサイアー・アーリースリーは咄嗟にアールリース・セブンのブースター内蔵バックパックの排熱ハッチを外し、常備していた液体窒素を勢いよく排熱機器にかけた。即座にまたアールリース・セブンがびくりと動き、瞼をカシャカシャと開閉させ、首を左右に激しく振った。
『……すまなかった。』
『「なぜ」を考えても仕方がない。今は「どうするか」が先決だ、アールリース・セブン。』
『そうだな。とにかく拠点を作るとするか。』
次の瞬間、エフサイアー・アーリースリーがアールリース・セブンの首根っこを掴み、凄まじい速度でその場から退避した。それと同時にアールリース・セブンの耳に爆音がビリビリと伝わり、フェイスパーツに爆風と砕けたタイル片がぶつかった。
『事態を説明しろエフサイアー・アーリースリー!』
赤外線カメラにするも、周囲に悲鳴を上げて逃げ惑う一般人以外に脅威が見当たらないアールリース・セブンが、ずっと彼女の首を掴んだままのエフサイアー・アーリースリーに状況の説明を求めた。
『貴官、まさかレーダー機能の電源切っているのか!?』
『先程のオーバーヒートで落ちたシステムの復旧が遅れているのだ!』
『ゼルレウムだ、飛龍艇……大船団だな。数は……未知数だ。見晴らしが悪すぎる。ステルス機能を打ち破ったのだから、おそらく大規模な魔法技術を搭載しているだろう。』
『ゼルレウム……既にこちらにいたのだろうか。』
『わからない。とにかくこのままではこちらが不利だ。いったん退避するぞ、アールリース・セブン!』
『……。』
エフサイアー・アーリースリーに持ち上げられ、足が地に付いていない状態のアールリース・セブンは無言無表情のままバーニアスラスターとブースターを点火させ、エフサイアー・アーリースリーの束縛から離れた。
『あっ! アールリース・セブン!』
『やられてやり返さないのは弱者のすることだ。このまま逃げるなどできない。一隻は堕としてやる。』
『勝手な行動をするな、アールリース・セブン!』
エフサイアー・アーリースリーの言葉を無視し、遥か上空へと飛翔するアールリース・セブン。空中に浮かび、緩慢に移動する翼の生えた大船団と正面から対峙し、右腕を天高く掲げる。
その時、アールリース・セブンの視線が、旗艦なのだろうひときわ巨大な飛空船の船主に立つ、白髪白髭の『空人種』の老爺を捉えた。白い歯をむき出して爛々と目を輝かせ、高揚した笑顔を浮かべる男は、一切アールリース・セブンのそれとぶつかった視線を逸らそうとせず、表情を一切変えずに、船をぐんぐんとこちらに接近させてくる。
『挑んでくるか……愚か者め。「機人種」一機の戦闘能力は中規模飛龍船団三隊分と知らないか。』
突如、突き上げたアールリース・セブンの右腕の砲身から、電光が迸った。絶えず閃く電光が砲口へと昇っていき、砲口が電光に光り輝くのを確認すると、アールリース・セブンは右腕を旗艦へと向けた。砲身下部に装着されたバーニアスラスターが火を噴き、姿勢を安定させる。
カメラアイ内部がレティクル状に展開すると、砲身から飛び出したグリップを左手でしっかりと掴み、照準を定める。
『「雷砲」の二つ名の所以をその目で見られること、光栄に思え!』
そう叫んだ瞬間、アールリース・セブンの砲身から、轟音を上げて青白く巨大なレーザー光線が放出された。まっすぐ、旗艦目掛けて。しかし、船主の老爺が口を動かすのを確認した瞬間、旗艦の後方から藤色の光線が数本、アールリース・セブンに向かって放たれるのが見えた。
青白いアールリース・セブンの光線と旗艦から発射された藤色の光線群が正面衝突し、バチバチと音を立てて互いに勢いを止めた後、衝突地点で大規模な爆発が起きた。
赤外線カメラに切り替えると、旗艦の後方に続いていた他の飛空船たちが合流し、数百本の線状の熱源がアールリース・セブンに迫っているのが見えた。
『ちっ。』
アールリース・セブンは短く舌打ちすると、猛スピードでその場を離脱した。間一髪、今までアールリース・セブンが浮かんでいた場所を、数えきれない量の光線が通過していった。
『アールリース・セブン!』
その時、エフサイアー・アーリースリーが飛んできて、アールリース・セブンを小脇に抱え、スタングレネードを船団目掛けて投げつけた。瞬時にスタングレネードが炸裂し、辺りに眩い光が広がる。
光が収まると、その場に二機の『機人種』はいなかった。