疑問
僕は、信じられない現実を前に、呆然と立ち尽くしていた。意味がわからなくて頭が痛い。
突如として鳴った、テーブルの上に置いてあるスマホの着信音で、僕の意識はやっと現実に引き戻された。
画面には「中央センター」と表示されている。全くどこの機関なのか存じ上げないが、とにかく何でもいいから情報が欲しかった。
「もしもし、中央総合情報管理センターです。たった今、そちらに異形の魔物が現れましたよね?」
「はい。あれって何者なんですか?」
「あれは『ウイルス』と呼ばれるものでございます」
「ウイルスですか?」
「まずは、この世界について簡単に説明させていただきます」
話を要約すると、こうなる。
僕が転生したこの世界は、0と1でできた電子世界だ。人口の圧倒的多数はCPUだが、僕と同じ境遇にある人が三百人ほどいるらしい。
そして、さっき僕を襲ってきた『ウイルス』は、名の通りこのシステムのウイルスらしいが、なぜ襲うのかは調査中だと言っていた。
「つまり、僕は電子世界に幽閉されたと言うことですか?」
「その通りです」
結論はこういうことだ。
他にも色々と話していたが、機会が来たら説明することにする。とても時間が長くなりそうだ。
◇ ◇ ◇
ずっと家にいても仕方がないので、外に出ることにした。
見たところ、目立った変化は一つしかない。
街にいる人のほぼ全員が、エアディスプレイを使っているのだ。SF映画やアニメでしか見たことがない光景だから、とても新鮮に感じた。
専用の指輪をはめれば誰でも使えるらしい。
それ以外は、実際の街かネット世界かを見極めることは難しいほど変わってない。
僕が今いる場所は、現実となにも変わらず函館市。家の前にある路面電車の駅も、そこを走る白と青の車両もそっくりそのままだった。
情報収集のため近所を散歩しようとしたら、三軒隣のアパートが違っていることに気がついた。
確か木造で、外壁は茶色だったはずなのだが、今目の前にあるのは赤レンガで作られている。
入ろうか迷っていたとき、門の横に『ボックスマンション』と書かれている看板と、『入居者、およびチームメンバー募集中』と書かれた張り紙が見えた。
『チームメンバー』の意味がわからないのだが、何でもいいから情報が欲しいという理由も相まって、とりあえず入ることにした。
インターホンのボタンを押して気がついたことが一つあった。
このインターホンは「ピンポーン」と鳴る一般的なものとは違っていて、改造が加えられていた。
あの赤帽子とオーバーオール、フサフサなヒゲを生やした国民的ゲームの地上BGMのイントロが流れたのだ。
「家主はゲーマーなのかな?」
まあ、僕もゲームは好きだし、そうだとしたら面白そうだ。
──なんて考えてるうちに、ドアの向こうからドタバタと忙しく動く足音が聞こえてきた。
そしてすぐにドアが開いた。
「……」
そこには、僕とほぼ同じくらいの歳の女子がいた。
「……どちら様ですか?」
「あ、突然すいません。怪しいものではないです」
「それ、余計怪しくなるセリフですよ」
ちょっと棘を含む言い方に、僕は軽く動揺してしまった。
「怪しいものではないです」って言葉はないよなって後で思い返して考えた。
リビングと思われる部屋に通され、しばらく経って彼女がお茶を二つ持ってやってきた。
その後、僕はここまでの経緯を話した。
「つまり、あなたもパソコンの画面に取り込まれた被害者だ、ということですね」
「……今まで何者だと思ってたの?」
「『怪しいものではない』って言って人を騙す人型ウイルス」
「人型ウイルス?」
「──中央センターから説明は?」
「ウイルスとは何かの説明だけされた。種類は全く」
この世界のウイルスは、コンピュータウイルスのことである。この電子世界のウイルスは人に憑依するという恐ろしい習性がある。取り憑かれたが最後、少なくとも一日、長ければ二週間ほど人格を失って暴走の限りを尽くすらしい。
「憑依するウイルスとはまた違うの?」
「全くの別物ですね。人型ウイルスは、知性を持っているんですよ」
「思考回路が人間と一緒ってことか?」
「若干違いますけどね」
彼女曰く、人型ウイルスは『殺人鬼』らしい。
人と同じ知性・感情を持ち、狙った人間に近づく。ある程度仲良くなったところで、その人物を凶器を用いて殺す。
恐ろしいのは、本当に人間そっくり──いや、人間そのまんまだから、見分けがつかないところらしい。
「それって、本当にウイルスなのかな……」
僕はボソッと呟いた。
「何か言いました?」
「あ、いや、気にしないで」
どうやら、彼女には聞こえていなかったらしい。僕は疑問を一度飲み込み、別の質問をぶつけた。
「なら、僕がウイルスじゃないってわかったのはどうして?見分けがつかないんじゃないの?」
「それは、さっきお茶汲みに行った時に電話で中央センターに問い合わせたからんですよ」
「え、でも、君は僕の名前を知らないよね?」
「だから、私の周囲にウイルス反応があるかどうかを確かめてもらいました。そしたら『反応なし』って言われたから、あなたが人間だと証明されたということです」
そっか。そういう確かめ方があるのか。腑に落ちた。でも、これなら人型ウイルスが進化して『ウイルス反応を消す』とかいうアビリティを手に入れない限りは問題なさそうだ。
「聞きたいことは以上ですか?」
「あ、あともう一ついいかな?家の前の張り紙にあった『チームメンバー』って一体何?」
「それはですね──」
彼女が説明を始めようとしたところで、玄関の方からガチャって音が聞こえた。
「続きは団長から直接聞いた方が早いかもしれないですね」
「このチームの団長さん?」
「そうです」
居間に一人の紳士が入ってきた。シルクハットに燕尾服を着ているあたり英国紳士にしか見えない。
「おや、来客かね」
「突然すみません。お邪魔しています」
「話はユウナから聞いてるよ。なんでも、ついさっきこの世界に来てばっかりらしいね」
ユウナという名前が出てきて、僕は頭にクエスチョンマークを浮かべる。
「ああ、自己紹介をしてなかったのかね」
「申し遅れました。ユウナです」
「そして、私はヒデアキだ。君の名前は──そうか、記憶が飛ばされているから覚えていないか……」
「いや、覚えてますよ。陸人──秋川陸人です」
「…………」
「────」
ユウナは無言でこちらを眺め、ヒデアキさんはあんぐりと口を開けている。
僕、何か変なこと言ったかな?
しばしの沈黙の後、ヒデアキさんが声を発した。
「記憶が、残っている……?」
「はい。ばっちりと」
「…………」
──この状況、どうすればいいの…。