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孫との関わり方

 「ちびまる子」を描いていたさくらももこさんが亡くなりました。

西城秀樹さんの時もそうでしたが、世代が近いので衝撃を受けました。


この歳になって同窓会に行くと、誰それが亡くなった、誰ちゃんが病気で入院しているという話をよく聞きます。それを考えると、さくらさんのようなことは誰にでも起こる出来事なのかもしれません。

乳がんで亡くなったそうですが、私も五年前に大腸がんを患いましたから、九死に一生を得たというか、今こうやって生きているのは「余生」をいただいているのだなと再認識しました。


感謝の心を忘れずに、生かされた日々を大切に過ごしていきたいと思います。



ラクーががんで入院した年は、初孫が生まれた年でもあります。

「孫は可愛いよ~」と多くの人に聞かされてきましたが、ラクーは我が子を猫可愛がりしたこともありませんし、犬や猫だって動物対動物の一歩距離をおいた付き合い方をしてきました。


けれどある時、孫のハシルンと目と目が合って、ものすごい絆を感じたことがありました。


その時から、ラクーは『ハシルン命』になってしまったのです。(笑)

孫は可愛いのです!

ただし、猫可愛がりはしていません。冬彦さん(マザコンで自分の判断力がない坊や)になっても困りますからね。



孫にとって、祖父母というものはどんな存在なのでしょうか? 


それを考えるのには、ラクーのおじいちゃんの話をした方がいいかもしれません。

ラクーのおじいちゃんは大正元年に生まれ、101歳まで生きたたいした人でした。子ども時代には、色々なことを教えてくれる人でした。精神状態が不安定な青春期には、自殺とか不良になるとかそんなネガティブなことをしたらおじいちゃんが悲しむと思っていました。つまりまともな人生を選択する上での(いかり)のような存在でした。成人してからは、人生の大先輩としての相談相手だったように思います。


この自分の経験を踏まえて、ばぁばとしての在り方を考えてみました。


祖父母というものは、長い目で孫を導きながらも、親とは違った観点から孫のすべて、長所も欠点も許容して受け入れるという懐の深い対応ができるのがベストなのかしらと思います。


親からの逃げ場所にもなり、人としてどうしても許されないことには断固としたしつけをする。そんな孫にとって心の支えになるような大きな存在として、命ある限り寄り添っていくのが、ラクーの中での生きる目標なのです。



けれどまずは仲良くなることからです。お互いの信頼関係がないと何も始まりませんからね。

ただこれは簡単な事でした。道を歩いていても、外人の赤ちゃんにさえ注目されて、話しかけられるラクーには自然と孫も近付いてきたのです。

これは「可愛い~!」と黄色い声をあげて近寄って行かないことがポイントです。


あちらがこっちに興味を抱いたら、さりげなく笑いながら変顔をしてやるといいのです。

すると赤ちゃんは喜んで狂ったように笑います。(笑)


ハシルンは「ばぁばん」という言葉を一番に覚えてくれました。これに味を占めたばぁばんは、ポポが赤ちゃんの時にも「ばぁばん、ポポリン」「ばぁばん、ポポリン」と互いを指さしながら、何度も繰り返して教え込みました。

もちろん今もやっています。「ばぁばん、ボッチャリ」「ばぁばん、ポッチャリ」ってね。


こうなると孫にとってラクーの家は「ばぁばんち」なのです。

ダンナーやムコーが世帯主であろうが、税金を払っていようが、「ばぁばんち」なんですよね。

(〃▽〃)へへっ


しかし口からものをわざと吐き出したりした時は、ハシルンの時もポポの時も、ばぁばんのツルの一声の大雷が落ちました。

すると一回叱っただけで、二人ともピタリと悪いことをするのを止めました。

いつも笑顔ですべてを許してくれているばぁばんが「ダメだ」ということは、ものすごく悪いことだとすぐに認識したようです。子どもって頭がいいんですよ。


娘のノンビリーにも言えることですが、最近のお母さんは叱り方に筋が通っていません。同じことをしても叱られたり、許されたりすると、子どももどっちが正解なのか混乱するのです。


それから叱った後の態度が大切です。

「もうしないよね。○○は賢いから、わざと口から食べ物を出すことが悪いことだとよくわかったもんね。」

としつこくなくサラッとフォローしておきます。

客観的に論理的に説明されると、子どもにもなぜ叱られたのかがよくわかるのです。


つまり「叱る」時には、親も祖父母も自分の人生をかけて子供と向き合う覚悟が必要です。

ここぞという時に、痛い(やいと)をすえる。

そこには、その子の将来を含めてしっかりと向き合う、深い慈愛の心がなければなりません。


ということは、ヒステリックに自分の感情に振り回されて子どもにグチグチ言うのは、「叱る」ではなく「怒る」なのです。

母親も人間ですからそんな失敗もよくやります。

偉そうに言っている私もよくこの失敗を繰り返しました。

ただ、どこかでこれは失敗の怒り方だぞと知っていなければいけません。


こんな風に、子どもと本気で向き合うということは、自分の価値観や人生に何を求めているのか、どう生きていこうと思っているのかという、育てる当人の覚悟や信念がないとどうにもなりません。

つまり子育てをしていくということは、自分育てをしていくということなのです。


子育ては、親育て。


そして祖父母育てにもなるんでしょうね。

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