第6章ー12
だが、土方勇中尉が想定した父、土方歳一大佐よりも、もっとソ連欧州本土への侵攻作戦についての大軍事戦略については詳しい人間が土方中尉の身内にはいた。
言うまでもない、土方中尉の妻の土方千恵子である。
何故に日本遣欧総軍司令部の参謀を務める土方歳一大佐よりも、千恵子の方が大軍事戦略を知っているのかというと。
「これが、整理を済ませた米国から欧州方面に向かう米陸軍の兵力の資料です。一応、重要と私が思うところには全て印をつけました」
「妊娠中なのにすまんな。色々と情報を整理してもらって」
「いえ、仕事ですし、夫への内助の功にもなりますし」
千恵子は、義祖父の土方勇志伯爵の公設秘書として、懸命に励んでいた。
そのために、世界規模での連合国の大軍事戦略について、門前の小僧習わぬ経を読む、ではないが、千恵子は詳しくなっていたのである。
もっとも、そもそも千恵子の頭が良く、更にこの当時としては、林忠崇侯爵薨去後、日本で最優秀の老将といえる土方勇志伯爵に近侍して、軍事的なことについて千恵子が指導を受けられたのも原因だった。
そして、1942年3月のこの日も、千恵子は義祖父から口頭試問を半ば受けていた。
「ソ連を崩壊させるのに一番効果的と考える方法は何だと思う」
「それは、ソ連内部の民族、宗教対立を煽り、ソ連を自壊させることです」
「うむ、正解だ。そのために、連合国は今のところ、どのようなことをしている」
「西から言えば、旧バルト三国やウクライナ、更にカザフ等の中央アジアにおいて、民族、宗教主義者の蜂起を陰に陽に促しています。特に中央アジアと旧バルト三国が露骨ですね。中央アジアはソ連から安全な後背地を失わせると共に、共産中国の背後を完全に遮断するためでしょう。旧バルト三国は、バルト海沿岸からの上陸侵攻作戦を容易にさせるためと言ったところですか」
千恵子とのここまでのやり取りに、土方伯爵は満足げに笑いながら、言葉をつないだ。
「さすが、篠田家の血脈。世が世であれば、そして、男ならば、会津松平家の家老職が、戦時でも平時でも千恵子は十二分に務まるな」
それ以上は、義祖父は言わなかったが、千恵子は何が言いたいか、薄々察した。
自分が亡くなった後、義祖父は土方伯爵家の政治的舵取りを私に遺嘱するつもりなのだ。
もっとも、言われなくとも千恵子としては、夫のためにその役割を尽くすつもりがあるが。
「それにしても、旧バルト三国は、バルト海沿岸に面しているし、フィンランドやスウェーデン等と歴史的経緯からつながりもありますから、支援が容易ですが、中央アジアは難しいですね。特に最近はインド情勢がどんどん微妙になっていますし」
千恵子は半ば嘆いた。
実際、現在のインドは、ガンジーやネール、ジンナーといった有力な指導者が、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立によって生じたテロ活動により亡くなったことから、宗教対立が激しくなり、更に民族対立も徐々に生じているという情報が流れている。
それをソ連に亡命した国民会議派左派の指導者スバス・チャンドラ・ボース等が更に煽っている。
その背後にソ連や民主ドイツがいるのは、半ば自明だが、連合国側には打つ手が限られている。
更に、自分達がソ連や共産中国に対してやっていることを考えれば、お互い様だった。
「まあな。中央アジア方面には、イラン方面からも、モンゴル方面からも連合国側は支援を送り込もうとしているが、中々困難な話だ。しかし、ソ連にしてみれば、安全な筈の後背地が敵側に荒らされるのは、心理的に極めてつらい筈だ。それを連合国側は狙っている」
そう土方伯爵は喝破した。
千恵子も、その主張には肯かざるを得なかった。
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