第6章ー9
3月19日、英海軍の機動部隊を率いるサマヴィル提督は、感嘆とも溜息ともとれる愚痴を零しながら、自分達の果たす任務を行う羽目になっていた。
3月15日から開始された日米両海軍の機動部隊の猛攻により、ソ連バルト海艦隊は、文字通り殲滅されたといってもよい大打撃を被っている。
「師匠が落穂拾いすらできない程、目標全てを叩きのめすとは。弟子の強欲ぶりがここまで酷くなっていたとは、我々は弟子の育て方を本当に間違えた、間違えた」
サマヴィル提督は、そう愚痴っていたと(ある歴史小説家によると)伝えられている。
とは言え、英海軍の機動部隊の準備の整えぶりを考えると、上記の愚痴はブリティッシュジョークの一端と考えた方が良さそうなのが、真実だった。
この日、英海軍の機動部隊が主に行ったのは、タリン、リバウ両軍港の機雷封鎖だった。
英海軍の機動部隊には、航空機から投下使用する機雷が大量に準備されていたのだ。
そんな機雷を予め大量に準備する等、幾ら米英日の国力をもってしても、すぐにはできない。
だから、これは米英日の三国の機動部隊の司令官同士が予め示し合わせて行ったのは間違いなかった。
ともかく、これによって、ソ連バルト海艦隊は、事実上完全に息の根を止められた。
水上艦はほぼ消滅し、更に軍港の沖合には機雷が大量に撒かれ、それを除去する掃海艇にも事欠く有様で、潜水艦の出撃、帰投も困難になったのだ。
ここにバルト海を活用しての反ソ活動への様々な本格的な援助が、連合国側に可能になったのだ。
その効果は、徐々に表れ、5月以降に花開くことになる。
米英日海軍の機動部隊は、この大戦果を受け、意気揚々とバルト海から引き上げていった。
そして、この大戦果はソ連の欧州本土の防衛体制に難問を突き付けた。
つまり、バルト海沿岸への連合国軍の上陸作戦を警戒せねばならない、ということである。
勿論、大規模な上陸作戦を展開できる場所となると、バルト海沿岸の中でも重要な拠点は幾つかに絞られてくるのが現実である。
しかし、そこへの防衛態勢を整えるとなると。
文字通り、嵐どころか猛烈な台風並みの航空攻撃が、米英日三国の空母部隊には可能だった。
それこそ、この時点で全てを合わせれば、約2000機以上と豪語するだけの艦載機群を、米英日は揃えていたのだ。
そして、それを支援する水上艦艇の一団。
米英日仏伊、五か国の連合艦隊は、戦艦だけで30隻以上に達する大艦隊を編成可能だった。
文字通り、史上最大の上陸作戦を展開するのが十二分に可能な戦力である。
この連合国軍が展開するであろう上陸作戦に、どう対処するのが最善なのか。
バルト三国に展開している民主ドイツ陸軍の将帥は、主に二派に分かれて、甲論乙駁の大議論を重ねることとなった。
この二派のうち、多数派になったのが、ルントシュテット将軍の主張する装甲部隊を集結させて、機動防御に徹するという主張だった。
これは全ての上陸可能な拠点を守るのは不可能であり、一旦、連合国軍を上陸させた後、集結している装甲部隊を差し向けて、上陸部隊を叩くしかない、という考えから主張されたものだった。
だが、これに反対する少数派の声も、ソ連政府への忖度からかなり強かった。
この少数派の筆頭が、ロンメル将軍だった。
少数派のロンメル将軍らの主張は、連合国軍の上陸部隊は水際で撃滅するしかない、というものだった。
一旦、連合国軍に上陸されては、それを叩くのは極めて困難だというのだ。
実際問題として連合国軍側に航空優勢がほぼ確保されている以上、装甲部隊を縦横に機動させるというのは、極めて困難と言わざるを得なかった。
更に昨今は、不利がいや増す事態が起きていた。
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