第1章ー4
こうした事態を受け、日英両国政府、軍の最上層部は協議した末、核兵器の開発について米国等を巻き込むことにした。
行方不明の独の科学者の多くがソ連に逃れて、ソ連の科学者と核兵器の開発を行っている可能性が高い。
更にソ連が核兵器を保有して、それを使用するとすれば、当然、日本や欧州が目標となる。
それに対して、当然、こちらも同様に核兵器を使用して報復せねばならない。
更に様々な機密保持の問題もあった。
日本なり、英国(欧州)なりで核兵器の開発、製造を当初は行おうとしていたのだが。
実際に研究を進めるうちに、かなりの大規模な製造設備の建設が、核兵器製造には必要不可欠との見込みが核兵器開発の研究者から示されるようになった。
そうなると、人口密度の問題や製造設備で働く人員確保の問題も生じることから、そんなに人口密集地から離れたところに核兵器の製造設備を置く訳には行かず、あそこで新兵器が製造されているのでは等の推測が住民等からまでもされてしまう可能性がある。
また、核兵器開発情報がソ連に流れるにしても、距離等の問題から、米国で核兵器を開発した方が相対的に安全ではないか、というのもあった。
(後、日英両国だけでは、微妙に核兵器開発、製造に必要な費用負担が困難になってきたのも大きい。
対ソ、対共産中国戦の継続の為に、いわゆる通常戦力、陸海空軍の増強は必要不可欠であり、核兵器の開発製造のために割ける費用に、日英は徐々に事欠くようになりつつあった。
勿論、核兵器の開発、製造に時間を掛けてよいのなら、日英だけで核兵器を開発、製造するは可能と見られてはいたが、先に独の協力を得たソ連に核兵器を開発される事態が生じてしまっては有害である。)
こうした様々な事情を考え合わせた末に、日英は核兵器の開発、製造に米国を巻き込むことにしたのだ。
このような状況から、米国は核兵器の開発、製造に本格的に乗り出すことになるのだが。
米国も日英もお互いに中々したたかな態度を執りあった。
日英としては、これまで核兵器の開発で先行してきたという自負もあり、日英米で核兵器の情報をできる限り共有することを求めた。
その一方で、米国としては、これまで日英に核兵器開発で除け者にされてきたという事情から、その意趣返しもあって、核兵器の情報共有に消極的な姿勢を示した。
また、上記のような事情から米国本土において核兵器の開発、製造が進められることになったのだが、その費用負担の割合でも、日英米の思惑は絡み合うことになった。
更にそうしたことをしていると、仏伊等にもそう言った状況が漏れてくる。
(仏伊等には、日英米が新兵器開発でしのぎを削っている、それは核兵器らしい、という程度の情報しか実際には洩れなかったが。)
こうしたことへの対処にも日英米は迫られた。
最終的に、当初から連合国として参戦していた仏は核兵器共同開発への参加を認められたが、伊は後から参戦したこともあり、核兵器共同開発への参加を日英米から拒絶された。
更に核兵器開発に参加する科学者の面々にも問題が生じた。
仏のフレデリック・ジョリオ=キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー夫妻が、共産主義者として核兵器開発への研究参加を拒まれたことは既述したが。
それ以外の科学者の間にも、共産主義は蔓延しており、日英米仏の各国政府は、共産主義の科学者が核兵器開発に参加しては、ソ連に核兵器開発情報が筒抜けになりかねない、と懸念した。
実際、多くの共産主義者がソ連政府に味方しており、日英米仏各国政府の懸念は杞憂とは言えない状況下にあった。
そうしたことから、オッペンハイマーらは共産主義者として核兵器開発から除外された。
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