第6章ー3
1941年9月、ドイツに対する最終攻勢により、ベルリンが陥落し、ドイツが占領していた旧ポーランドや旧チェコ領が連合軍の手に落ち、ソ連軍と連合国軍が直接に対峙するようになったのだが、双方の事情がいわゆる奇妙な戦争状態を暫くの間、引き起こしていた。
まず、米英仏日伊等の連合国側にしてみれば、まずはドイツや旧ポーランド領の民生回復を優先せねばならないのは、半ば自明の理だった。
何しろ自分達がやっていることでもある。
ソ連侵攻に備えて、旧バルト三国やウクライナ、更には中央アジアの民族主義者、イスラム教徒に対してソ連に対する蜂起を、連合国は指嗾し、更にそれとなくその情報を流すという悪辣なことをしていたのだ。
このためにソ連国内では疑心暗鬼が生じており、NKVD等が懸命に民族主義者等を裏切り者であるとして懸命に摘発しようとし、それがまた、民族主義者等に、どうせ殺されるのならば蜂起した方がマシという感情を生み出すという、悪循環が生じるようになっていた。
こういった事態が自分達で起こることを避けるために、米英日伊等の穏健派の連合国政府の上層部は、仏等の強硬派の連合国を宥めて、ドイツ民族に対する苛酷な取り扱いを避けようとし、それは1941年末までに何とか奏功していた。
だが、そうは言っても、米国等の力をもってしても、かつてドイツが統治していた土地の住民の民生回復には時間が掛かるのはやむを得ない話で、更にソ連の冬将軍の猛威を考えるならば。
1942年5月を期しての地上軍によるソ連欧州本土への侵攻作戦が、連合国軍によって基本方針となるのはやむを得ない話だった。
また、ソ連軍も上記の事情から、下手に自らが攻勢に出た場合に、いわゆる背中から刺される事態が起こることを懸念せざるを得なかった。
それにソ連軍が攻勢に出た場合、守勢に徹した場合、それぞれの補給の問題も、ソ連軍の攻勢を躊躇わせる一因となった。
この当時のソ連は、それなりに自動車化が進んでいたとはいえ、そうは言っても軍の補給は鉄道をかなりの部分で頼りにせざるを得なかった。
(もっとも、民生も大同小異ではあったが)
そして、ソ連の鉄道は有名な標準軌以上の広軌を採用している。
これが攻勢を行う場合のネックとなった。
つまり、ソ連軍が攻勢を執ろうとすると、必然的に鉄道の改軌を行いつつの攻勢が半ば必然となる。
これは折角の攻勢に足かせをはめることになりかねなかった。
一方、ソ連軍が守勢に徹した場合は、連合国軍がソ連本土に侵攻することになる。
従って、連合国軍が鉄道の改軌を行いつつ、攻勢を行わねばならないのだ。
更に、この攻勢には問題が付きまとった。
ソ連が標準軌以上の広軌鉄道であることは上述したが、このことはソ連が運用する蒸気機関車の大型化等を招いており、それを活かして給水塔や給炭台も(連合国側の蒸気機関車と比較して相対的に)少なくて済むという副次効果を引き起こしていた。
そのために、連合国側がソ連本土に対して攻勢を執った場合には、鉄道を単純に広軌から標準軌に改軌するだけでは済まなくなり、新たに給水塔や給炭台を建設せねばならなくなるのである。
こうした利点があることからも、ソ連軍は守勢に徹することにしたのだ。
そして、ドイツ崩壊に伴い、連合国側の地上軍侵攻が迫ったことから、ソ連軍は国境沿いの防御態勢の強化を積極的に図るようになっていた。
これを阻害するために、まずは戦略爆撃を連合国側は積極的に行い、ソ連軍の国境沿いでの防御態勢が整わないように努力しようとしていた。
本来なら、ウラル山脈近辺まで移転したソ連軍の工場を攻撃したかったが、それは現在は遠大過ぎる目標だった。
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