第5章ー25
日本から欧州へと向かうのは、第1機甲師団だけではなかった。
他の機甲師団や各種航空隊も向かっている。
特に一部の戦闘機の部隊や戦闘爆撃機の部隊等は、極東方面のソ連空軍がハバロフスクやウラジオストク陥落等により壊滅したこともあり、早々に欧州へ向かっていた。
これは、次章以降で後述するが、日本空軍の単発機は地勢等の問題から、航続距離が長い単発機が多く、英米等に比して、長距離侵攻が可能であったことから、ソ連本土への侵攻に際して、英米等からの来援要請が高かったという事情も加わる。
通称「ワルシャワ航空隊」として令名を馳せ、戦略爆撃機部隊の護衛を得意とした99式戦闘機部隊、「剣部隊」等として令名を馳せ、地上攻撃で猛威を振るった二式戦闘爆撃機「雷電」部隊等、1942年1月以降の対ソ戦の欧州の空において、日本空軍の戦闘機部隊は、スピットファイア戦闘機やP-40戦闘機等と共に肩を並べて戦うことになった。
こうした日本空軍部隊の奮闘を露払いとするかのように、日本陸軍は、量はともかく質的には連合軍最強を自負して、6個機甲師団を欧州へと1月以降に相次いで出発させていた。
「あれがシャルンホルストか。呉越同舟だな」
1月半ば、佐世保港を出港した春日丸の甲板で、シャルンホルストが目に入った右近徳太郎中尉は、身体を伸ばしながら呟いていた。
日本の領海を離れて、インド洋へ更に地中海を経て、欧州に向かう。
少しでも陸路での輸送を減らしたいとのことで、独本土の港で自分達は下船することにもなっている。
本来なら欧州航路のライバルとなる筈だったシャルンホルストと春日丸が船団の一員となり、日本の機甲師団の将兵を独へと運んでいるのだ。
5年余り前のベルリンオリンピックの際に10年を経ずして、こんな事態が起こると、どれだけの人が予想できただろうか。
「少なくともベルリンオリンピックの日本選手団の中には、ほぼいなかっただろうな」
思わず、右近中尉は口にまで出してしまった。
具体的なことを口に出したせいか、右近中尉は急に想いが吹き上げた。
欧州に向かう自分達と、中国との戦争を続ける者達と、本当にこんなに多くの者が戦場に行くと、あの頃にどれだけの人が考えただろうか。
勿論、ベルリンオリンピックの頃でさえ、日本と中国との緊張状態は続いており、いつかは戦争という形で火を噴くかも、という心配をしている人はそれなりにいた。
実際、これまでに日清戦争以降の日中関係は10年を経ずして、限定戦争をすることが起こる有様と言っても過言では無かったのだ。
だが、あの頃、予備士官過程を大学でとっていた自分達でさえ、実際に戦場にまで赴く危険を、そんなには感じていなかった。
世間では、目の前の1938年のワールドカップ、その後の1940年の東京オリンピックを、待ち望む日本人の方が遥かに多く、こんな全面的な世界大戦が巻き起こる等、夢にも思っていなかった。
それなのに、実際に今、眼前で起きていることは。
そんなふうに考えを巡らせたためなのか、右近中尉は、春日丸の機関の音が、平和を待ち望む春日丸自身が語るか、のように錯覚した。
春日丸、本来ならシャルンホルスト共に平和な欧州航路を民間人を乗せた豪華貨客船として就航している筈の船が、今は陸軍の将兵を積んだ軍事輸送船として使われている。
こんなの私じゃない、私は平和な海を航行したい、春日丸はそう訴えたいようだ。
だが、シャルンホルストとは違って、春日丸は平和な海すら知らない。
竣工した時には、既に世界大戦が始まっていたのだ。
右近中尉は想った。
早く春日丸を平和な海を航行し、本来の民間人を乗せた豪華貨客船に戻してやりたいものだ。
これで第5章は終わり、次から第6章になります。
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