第5章ー24
そんな会話を実家の家族と交わした後、西住小次郎大尉は、佐世保港に向かった。
諸般の事情が組み合わさった結果、西住大尉の所属する第1機甲師団は、佐世保港から欧州、ブレーメンへと向かう大船団に乗り込んで赴くことになったのだ。
そして、西住大尉が乗船することになったのが。
「乗船するのは、確か神鷹丸と聞いていたのだが」
「間違ってはいませんが、情報が古くなっていましたね。今は本来の船名にこの船は戻っていて、今はシャルンホルストです」
「シャルンホルストだと。それは独の軍艦の名前ではなかったか」
「あながち間違ってはいません。ですが、この船の本来の船名も、シャルンホルストなのです」
佐世保港から出港する前、西住大尉は乗船して早々に、船員とそんなやり取りを交わす羽目になった。
そう、欧州に向かう大船団の中に含まれた大型貨客船の一つはドイツ籍の貨客船シャルンホルストだった。
貨客船シャルンホルスト、この船は第二次世界大戦において、数奇な運命を辿った末に、ある意味、天命を全うした幸運な貨客船として知られた存在である。
それは同名の軍艦が、第二次世界大戦で辿った運命と好一対をなすものと言えた。
貨客船シャルンホルストは、北ドイツ・ロイド汽船が発注し、1935年に竣工した大型貨客船で、姉妹船の2隻、グナイゼナウ、ポツダムと共に第二次世界大戦勃発以前は、ブレーメンー横浜間の極東航路に就航して太平洋航路で盛名を馳せていた。
これに対抗して、日本郵船が新田丸級貨客船3隻を建造した程である。
だが、第二次世界大戦の勃発が、姉妹の運命を引き裂いた。
シャルンホルストは、偶然にも第二次世界大戦勃発時に日本近海におり、日本海軍に直ちに拿捕された。
そして、国際法上の疑義はあるものの、シャルンホルストは日本の貨客船「神鷹丸」となり、日本から欧州への人員、物資の輸送に使用されて何度も日本と欧州を往復したのである。
一方、グナイゼナウ、ポツダムは、その当時、ドイツ(又は近海)におり、ドイツで近海航路の輸送等に使用されたが、結果的に触雷や空襲により共に沈没の悲運に遭った。
それに対し、シャルンホルストは「神鷹丸」として、ベルリン占領まで生き延びたのである。
この間、独ソの潜水艦攻撃に数度、遭ったが、「神鷹丸」は、無傷で切り抜けた。
その内の一度に至っては、魚雷2本の直撃を受けたが、2本共不発という超幸運ぶりを発揮。
「名前の通り、神が護っているのでは」
とそれを知った面々が噂した程だった。
ちなみに同名の軍艦のシャルンホルストは、第二次世界大戦初期に行われたノルウェー戦において、日米海軍航空隊の猛攻を受け、敵艦に見えることなく撃沈され、21世紀に至るまで航空攻撃のみによって沈められた最大の軍艦になっている。
こうした姉妹船や同名の軍艦が辿った運命と比較されたことや、北ドイツ・ロイド汽船から返還希望が寄せられたこともあり、日本政府の決断によって「神鷹丸」はドイツ船籍のシャルンホルストに戻ることになったのだ。
だが、今は第二次世界大戦の真っ只中でもある。
ドイツ本土自体が連合国の軍政下にあることもあり、北ドイツ・ロイド汽船に代価を支払うことで、シャルンホルストは引き続き、日本軍の輸送に使用されることになったのである。
西住大尉は、その話を聞いて複雑な想いを抱いた。
確かに今は戦時中であり、1隻でも大型貨客船が必要不可欠なのはわかる。
しかし、だからといって、ドイツの貨客船が欧州への輸送に使用されるとは。
そして、自分がそれに乗り組んで欧州に赴くことになるとは。
色々と考えさせられる事態だな。
自分用に与えられた船室で、西住大尉は物思いに耽った。
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