第5章ー12
11月1日、一木清直大佐を支隊長とした一木支隊による、バイカル湖を渡ってのイルクーツク急襲作戦は発動されることになった。
この作戦をソ連軍が全く予想していなかったのか、というとそんなことはなかったらしい。
だが、夜間を利用しての航空偵察等では、精確な情報をソ連軍が把握するのは困難だった。
ソ連空軍による昼間の航空偵察が可能であったら、また状況は変わっていただろう。
しかし、この当時のイルクーツク近辺の制空権、航空優勢は、ほぼ日米満韓連合軍に握られており、それこそ夜間のPo-2の空襲のみが、何とか日米満韓連合軍に実際の脅威を与えるのが可能に過ぎないと言う現実があった。
そのために、ソ連軍は苦心惨憺してバイカル湖岸に展開している日米満韓連合軍の情報を集めはしたが、敵軍が確保した湖岸において、上陸用舟艇こそあるものの、それは軽装の歩兵部隊を輸送するためだけで、戦車等の輸送は無理だ、と判断していたらしい。
そもそも夜間偵察では、舟艇の精確な大きさを判断するのは難しい。
また、海上輸送ならともかく、湖上における舟艇機動を活用した上陸作戦で、軽戦車ならまだしも、立派な重戦車が上陸作戦が投入されるというのは、当時のソ連軍にはそのための舟艇を保有していないこともあり、実行不可能な作戦だった。
そのために自分を鏡にして考えた結果、上陸作戦に重戦車の投入はあり得ない、とソ連軍は考えてしまっていたのだ。
だが、その結果、イルクーツク方面のソ連軍は完全な戦術的奇襲を、日米満韓連合軍に受けることになってしまった。
「急げよ。何としても、イルクーツクのソ連軍司令部を夜間の内に奇襲するのだ」
バイカル湖を渡った後、右近徳太郎中尉は、部下を督励して急がせることになっていた。
この作戦は奇襲がカギになっている。
これまでの戦訓から、ソ連軍が本格的に都市に籠城した場合、市民を盾にした作戦を執るのが、日米満韓連合軍にしてみれば常識となっている。
市民を民兵等の形で盾にされると、色々な意味で問題が生じる。
容赦なく殺せばいい、と言われるだろうが、幾ら歴戦の兵と言えど、いや歴戦の兵ほど、市民に銃を向けることを躊躇う傾向がある。
やはり、人間として人を殺すというのは心理的な躊躇いが先立つものだからだ。
それに、そうなるとどうしても民兵になっていない市民までも殺傷する等、誤殺の危険が生じる。
更にそういった事態は、周囲の市民にまで敵意を招き、積極的、消極的な抵抗運動を引き起こす。
また、そのことによって、兵の心に深い傷を生じさせることも、多々発生しており、精神的におかしくなってしまった兵が、例えば、中国内戦介入以来の日本軍では軽症者も含めれば、のべ十万人を軽く超える有様にまでなっていた。
こうした事態を少しでも避けるために、イルクーツクを急襲しようと、日米満韓連合軍は作戦を立てることになったのである。
そして、それは成功をもたらした。
「ソ連軍の抵抗は散発的といってよいな」
「ええ、戦車の陰さえ見えず、歩兵が抵抗の主力になっています」
「気を抜くなよ。最近は、歩兵の対戦車兵器も強力になっているからな」
「はい」
部下とそうやり取りをしながらも、西住小次郎大尉は、内心で安堵の溜息を吐いた。
イルクーツク市街に突入するというのは、西住大尉にしてみれば気の重い作戦だった。
どうしても民兵、市民との戦闘を覚悟せねばならないと思っていたからだ。
だが、急襲作戦を実行した結果、イルクーツク市民の多くが混乱に陥っており、民兵隊を組織しての抵抗の様子はない。
更に敵の戦車もそう無いようだ。
「本当に助かった」
それが西住大尉の想いであり、多くの日本兵の想いだった。
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