第5章ー7
とは言え、そんなことは最前線の将兵には分からない話である。
特に初陣の補充兵にしてみれば、後方に敵の大軍、約6個師団ということは10万人近い大兵力になる、を残したうえで、更なる前進をせよ、という命令を受けること自体が、理解に苦しむ話だった。
「小隊長殿、本当に気にしなくてよいのではありますか」
「うるさい。上の命令には黙って従え」
後方にいる敵の大軍が気になる余り、補充兵等から何度も繰り返される質問に、最後にはいわゆる半分キレた気持ちになってしまい、右近徳太郎中尉は怒鳴りつける羽目になった。
というのも、右近中尉クラスでも、この命令は理解に苦しむ話だったからだ。
補充兵どころか右近中尉クラスでさえ、作戦術の要諦は理解していなかった。
そのために、軍事戦略と戦術を巧みにリンクさせて作戦を展開する作戦術は、この当時の多くの将兵に理解不能の存在としか言いようが無かったのである。
作戦術に従って作戦を展開している日米満韓連合軍の最上層部の考えは、ある意味で雲の上の考えとしか、現場の尉官以下の士官、下士官兵にしてみれば思えなかったのだ。
とは言え、その効果は絶大に近いものがあった。
今やイルクーツクに移転していたこの方面のソ連軍司令部にとって、チタを日米連合軍が強攻するという前提が崩れ去ったことから、チタ方面の事前防衛計画がいきなり崩れるという事態が起きたのである。
かと言って、ある意味、指をくわえて、ウラン・ウデ、イルクーツクへと前進する日米連合軍を迎え撃つわけにもいかない。
ウラン・ウデ前面で取りあえず日米連合軍の攻勢を阻止するという作戦変更が為されたが、既述のようにそのための陸上兵力が絶望的に不足していた。
このために外蒙古に展開していた駐留ソ連軍の全面的な移動、外蒙古からの撤退が決まった。
これはチョイバルサン政権に大きな動揺を与えた。
何しろ外蒙古政府上層部の間でさえ、ソ連から飢餓輸出を求められることに不満を覚える者が増えていたのである。
それを押し止めていたのが、駐留ソ連軍の存在だった。
その重石が取れようというのである。
徳王を指導者とするモンゴル民族主義者主導の、外蒙古政府打倒を訴える行動に対して、共感が一度に広まるのもある意味では当然の話だった。
この辺り、小畑敏四郎将軍の立てた作戦の方が、ソ連軍よりも上手だったのは否定できない。
確かにチタの陥落は、極東戦線におけるソ連軍の黄昏を告げるものであり、外蒙古政府の崩壊を招くことになるだろう。
だが、チタが完全に攻囲され、ウラン・ウデが攻撃される事態となった場合も、外蒙古政府の崩壊を招くことになる事態が発生するだろう。
何故なら、ウラン・ウデは外蒙古の首都ウランバートルとソ連のシベリアの拠点イルクーツクを結ぶ結節点である。
ここが日米満韓連合軍によって占領、または完全に攻囲される事態となっては、外蒙古政府にしてみれば喉元を扼されるに等しい事態と言って良く、外蒙古政府に反感を抱く人々にしてみれば、反外蒙古政府への活動に踏み切る決断を促される事態と言えた。
こうしたことから、日米満韓連合軍は、チタをソ連軍が重視して籠城するのならば、それを攻囲に止めてウラン・ウデに前進するという柔軟な作戦を展開することを事前に決めており、その通りに行動したまでだった。
だが、こうしたことは最前線の将兵には理解できない。
そのために右近中尉とその部下達は不安を覚えつつも、後方に大軍を残したままでウラン・ウデに急進することになったのである。
そして、この大胆な賭けは莫大な配当を、日米満韓連合軍にもたらした。
チョイバルサン率いる外蒙古政府の崩壊という莫大な配当である。
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