第4章ー4
英政府の治安当局が、スバス・チャンドラ・ボースの確実な最後の足取りとして把握しているのは、1940年12月に入院先の病院にいる時のものである。
そこから姿を消した後だが。
スバス・チャンドラ・ボースは、少なくとも英政府の治安当局の前からは完全に姿を消してしまった。
また、マハトマ・ガンディーらが率いるインド国民会議の主流派にとっても、スバス・チャンドラ・ボースは危険人物だった。
もし、スバス・チャンドラ・ボースが英に対する武装蜂起を煽る言動を行い、更にインド国民会議派の左派(急進派)が呼応したら、インド全土が血の海になりかねない。
さすがに表立っての英政府の治安当局への協力は差し控えたが、インド国民会議の主流派は水面下での英政府の治安当局との協力を決断し、スバス・チャンドラ・ボースの行方を追い求めたが、こちらの捜索、情報網にもスバス・チャンドラ・ボースの足取りは引っかかって来なかった。
そうした中で思わぬところから、スバス・チャンドラ・ボースの足取りらしきものが引っかかった。
第二次世界大戦勃発に伴い、ソ連領内、特に中央アジアのイスラム教徒に対して、反ソ活動の扇動を日英は行っていたのだが、その扇動を受けたイスラム教徒のソ連人から、スバス・チャンドラ・ボースが、アフガニスタンからソ連に1941年の春に密入国するのをソ連の国境警備隊員が見た、という情報があるという連絡があったのである。
この情報が本当なのか、英政府の治安当局を筆頭に様々な機関が現在まで探っていたが、肝心のソ連がそのことについて公式の発表をしていないせいで、どうにも裏が取れない状況にあったのだ。
だが、どうもスバス・チャンドラ・ボースが、ソ連の庇護を受けているらしいという情報が、複数の情報源から日本の軍情報部を統括する前田利為中将の下に入っている現状にあった。
(なお、ラース・ビハーリー・ボースは、前田中将がそういった情報を入手したことを知らず、インド国民会議派内部からの情報しか知らなかった。
一方の土方勇志伯爵も、この件では新聞情報以外は、この時には知らなかった。
しかし、現状で把握している情報を検討する程、スバス・チャンドラ・ボースがインド国内からどこかに亡命しているという疑惑を誰もが持つ状況だったのだ。)
「少なくともインド国民会議派が、インド国内を懸命に探しましたが、それらしき足取りが全く見えません。更に英政府の治安当局も同様です。そうなるとスバス・チャンドラ・ボースはインド国内にいない公算が極めて高い。そして、スバス・チャンドラ・ボースが向かえる国となるとソ連しか」
ラース・ビハーリー・ボースは、苦渋に満ちた口調で現在の状況を語った。
土方伯爵も渋面をし、千恵子も深刻な想いをせざるを得なかった。
3人の間に暫く沈黙の時が流れた。
「それにしても、何でソ連はスバス・チャンドラ・ボースが亡命しているとして、その情報を秘密にするのでしょうか。インドの国内情勢を揺さぶるためには、むしろ公表すべきでは」
沈黙に耐え切れなくなった千恵子が、独り言を呟くと他の二人は顔色を変えた。
「言われてみれば確かに」
ラース・ビハーリー・ボースが言った。
「確かにそれは盲点だった。何かの理由があるから、情報をソ連は伏せていると考えるべきだ。勿論、ソ連にスバス・チャンドラ・ボースが亡命しているというのが大前提だが」
土方伯爵も言った。
「何か大規模な事件を起こして、それに併せてスバス・チャンドラ・ボースの亡命を、ソ連は公表するつもりではないでしょうか。インド国内を大きく混乱させるために」
千恵子は更に言葉をつなぎ、他の二人は顔色を完全に変えた。
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