第3章ー14
ちなみにスペインの義勇兵によって編制された部隊が、青師団という通称を持った理由だが。
全くの建前といえば建前に過ぎないが、義勇兵に志願してきた兵が着る軍服は、スペイン軍の軍服を着ることはできなかった。
何故なら、スペインはソ連との関係においては中立国であり、ソ連と戦争はしていないのである。
だから、スペイン軍の軍服を義勇兵を着て戦うことはできないのだ。
その代償として。
伝統的な右翼主義者(いわゆるカルリスタ)達が愛用していた赤いベレー帽。
更にスペイン外人部隊が愛用していたカーキ色のズボン。
更にスペインの与党であるファランヘ党員のシンボルである青シャツ。
この3つを義勇兵は着用して対ソ戦の戦場に赴くことになった。
そのために、義勇兵達から編制された部隊は、青師団という通称を持つことになったのである。
(細かいことを言えば、それ以外に部隊記章等も彼らには与えられている。)
そして、スペイン正規軍から派遣された士官、下士官の指導により、義勇兵達は実戦に役立つ軍人として鍛え上げられていくことになったのだが。
どのような部隊にするか、ということが、まず最初の問題になった。
フランコ総統としては、せめて一部だけでもいわゆる機甲部隊にしたい、と考えたらしいが。
現実は非情だった。
まず、様々な事情(内戦等)により、スペインでは国産自動車すら中々製造されていなかった。
となると、必然的にいわゆる自動車に触れたことのある国民も少ないということになる。
米陸軍の兵士だと車が故障したら、自分でどこの故障か判断して修理できる兵が当然だったが。
スペイン陸軍の兵士だと車が故障したら、専門の修理兵を呼ばないとどうにもならないのが当然だった。
(なお、この当時の日本兵はどちらかというとかなり米兵寄りの状況にあり、それもあって機甲部隊の運用が、日本には可能だったのである。)
そのためにスペインの義勇兵は、いわゆる徒歩歩兵部隊として全てが編制されることになった。
とは言え、1941,42年段階になると、それなりに部隊の自動車化を図ったり、戦車部隊を保有したり、ということが必要なことが、各国の軍上層部には染み渡っている。
そのために、スペインの義勇兵、青師団と言えども、砲兵の自動車牽引化を図ったり、更に戦車部隊を保有したり、ということに奔った。
それによって、なされたことだが。
アラン・ダヴー大尉は、目の前のスペイン青師団ご自慢の戦車部隊をナナメに見ていた。
「いかがでしょう」
「凄いですね」
青師団に派遣されたスペイン陸軍少尉の問いかけに、半ば棒読み口調でダヴー大尉は返答していた。
ダヴー大尉は、目の前の戦車部隊の内容を反芻していた。
ベルデハ1戦車か、スペインが苦心惨憺の末に国産化した軽戦車、いや豆戦車だ。
45ミリ砲を搭載しており、豆戦車としてはまともな火力を誇る。
しかし、対ソ戦において、まともに役立つかというと無理だろう。
まだ、対戦車自走砲に改造して、固定砲塔に75ミリ砲を搭載した方が戦場で役立つのではないか。
(もっとも、エンジンの馬力等からすると、まともな装甲が備えられず、無意味かもしれない。)
いっそのこと、ベルデハ1戦車は偵察部隊用と割り切り、独から戦車を提供してもらってはどうだろう。
独の三号戦車や四号戦車を、この青師団が装備すれば、かなり役立つのではないか。
対戦車火力が不足するというのなら、新型の三号突撃砲を対戦車部隊に配備すればいい。
実際問題として米英仏日にスペインに戦車を提供する余力は無いのだから。
ダヴー大尉は自分の考えを、青師団の長であるグランデス将軍に提言した。
グランデス将軍はダヴー大尉の考えに同意した。
ここで独の兵器云々と言っていますが、言うまでもなく、この時点で独は降伏しています。
しかし、連合国は独の兵器を大量に鹵獲しており、また、独の産業を維持等するために独の兵器生産を認めています。
こういった兵器が、スペインに提供されることになります。
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