プロローグ-4
そんなことが、(義)弟の身に起こっていること等、その時の村山幸恵は知る由もなかった。
幸恵と(その異母妹の)土方千恵子は、示し合わせて横須賀市内になる喫茶店で半ば密会していた。
この喫茶店は人目に立たない場所にあり、更に店主は元海兵隊員なのだが、コーヒー好きが高じて喫茶店経営に乗り出したという趣味人だった。
そのために姉妹が隠れて話し合うには絶好の場所と言えた。
「それで、勇さんや総司は還って来れそうなの。首都ベルリンが陥落して独が降伏した以上、欧州にいる日本軍、特に海兵隊は日本に還ってきても良いと思うのだけど。勇さんや総司が戦場に赴く必要はあるにしても、共産中国相手に戦うべきだと思うわ」
幸恵は、千恵子を半ば問い詰めていた。
千恵子は肩をすくめるようにして言った。
「言いたくないけど、どう見ても無理そうです」
「何でよ。欧州でこれ以上、日本人が血を流す必要は無い筈よ」
幸恵は、目の前にいるのが妹であることもあり、更に問い詰めるかのように言った。
なお、これはこの頃の多くの日本人の想いでもあった。
独が降伏、占領された以上、欧州にいる日本軍は、せめて対共産中国戦に投入されるべきではないか。
千恵子はため息を吐きながら、姉に対して何故に夫や弟が日本に還れないのか、の説明を始めた。
「まず、独が降伏したとはいえ、まだ対ソ戦が残っていることです。そして、ソ連と共産中国とどちらが強大な存在なのか、言うまでもなくソ連だと思われませんか」
「確かにそう言われてみれば、そんな気がするけど」
幸恵は渋々、同意の言葉を発した。
「そのために、英仏米等は、中立諸国に対ソ戦への参戦を呼びかけています。どの国も自国民の犠牲をこれ以上は出したくない。そのために他の国に犠牲を少しでも出して欲しい、それには日本軍が欧州に残る必要があるのです」
「そこに何で日本軍が絡んでくるの」
千恵子の説明に、幸恵は本音では聞きたくない、と思ったが、聞かざるを得なかった。
聞く前から答えが推測できたからだ。
「だからこそですよ。極東の日本でさえ、ソ連打倒の為に欧州に大量の部隊を派遣している。そういった事情から、貴国にも参戦してほしい、と中立諸国に英仏米等は働きかけをしているのです。それなのに日本軍が帰国しては、そんな状況でしたら、我が国は中立を保ちます、と中立諸国は喚くでしょうからね」
千恵子は自分が練達の外交官として、中立諸国と交渉しているかのように語った。
なお、これは全くの出まかせではなかった。
千恵子が、土方勇志伯爵の私設秘書として把握し、話せる範囲であると考えて話していることだった。
幸恵は溜息を吐きながら言った。
「ベルリンが陥落すれば、欧州から日本軍は還ってくる、と多くの新聞は社説で書いていたのに。全くの希望的観測記事だったのね」
「人間、信じたいものを信じるものですよ」
千恵子は、幸恵を慰めながら想った。
千恵子の母方伯父、篠田正は、名うての相場師で大富豪に今はなっているが、若かりし頃は大失敗をした身でもあった。
そして、千恵子に自分の経験を何度か語ったのだが、千恵子の印象に遺った話の一つに、信じたいものを人は信じるものだ、それで若い頃に自分は失敗した、何れは上がると信じ込んで大失敗した、それが自分の最大の反省点だ、という話があった。
そう言いながら、千恵子の長女、和子をすぐに自分の養女にできるかのように思っている等、千恵子の眼からすれば、伯父は全く反省していないようにしか見えないのだが。
「本当に早くこの世界大戦が終わって欲しいものだわ。そう思わない」
幸恵は千恵子の眼を見ながら問いかけた。
「本当にそう思います」
千恵子は即答した。
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