第3章ー2
翌朝、家から出立しようとするアラン・ダヴー大尉は、妻のカトリーヌから半ばロケットペンダントを押し付けられる羽目になっていた。
ダヴー大尉が、ロケットを開くと、妻がまだ乳児の頃のピエールを抱いた写真が入っていた。
「どうしたんだい。昨日から僕が浮気をしにスペインに行くかのような態度じゃないか」
それを見て、ダヴー大尉としては半ば軽口を叩いたのだが、妻の態度は予想外だった。
「何だか不安なの。あなたが、スペインで会った女性の下から還って来ない気がしてならないの」
妻は不安そうに言った。
「そんなことはしない。約束する。必ず君とピエールの下に還ってくるから」
ダヴー大尉はそう妻にキスをして抱きしめた後、耳元でささやき、出立していった。
ダヴー大尉が自宅が見えなくなる寸前、それとなく自宅を振り返ってみると、妻はまだ自分を見送り続けていた。
ダヴー大尉は想った。
妻のカトリーヌはどうしたのだろう。
まさか、カサンドラとその子のことを妻は知ったのだろうか。
いや、そんなことはあり得ない。
ダヴー大尉は首を傾げながら、スペインへフリアン曹長と共に向かった。
「よく来たな。その勲章は似合っているぞ。生粋のスペイン陸軍士官のようだ」
マドリードへ到着し、スペイン陸軍大尉の軍服に着替えると共に、フランコ総統自ら叙勲された勲章を着用してスペイン陸軍省の一室に出頭したダヴー大尉を、グランデス将軍はそう言って出迎えた。
グランデス将軍は近々、募集が開始される予定の対ソ連義勇軍(後の通称「スペイン青師団」)の司令官に内定していて、アラン・ダヴー大尉は、表向きはその指導のためにフランス陸軍から派遣されたことになっている。
だが、それはカバーだった。
「身分証明書は準備した。希望通り、アラン・ハポンというスペイン陸軍大尉だ。なお、君の部下も、ルイス・グスマンというスペイン陸軍曹長になっている。ハンガリーに駐在武官補佐官とその従卒として行って欲しい。ハンガリー外務省にも、カバーと言う点は除いて正式の駐在武官補佐官として通知を済ませた」
「ありがとうございます」
グランデス将軍は、てきばきとダヴー大尉に、ハンガリー、ブダペストにおける身分等を説明した。
その後、グランデス将軍は表情をあらためて切り出した。
「ところで、その見返りはきちんとしてくれるのかな」
「勿論です。最新のフランス軍の戦訓を私からもお伝えしますし、兵器等も供給されるはずです」
ダヴー大尉は如才なく言い、グランデス将軍は満足げに肯いた。
ダヴー大尉は想った。
事前にフランス陸軍上層部から自分に説明があった。
ハンガリーで発生したユダヤ人迫害を見過ごすことはできない。
だが、ドイツ降伏直後、ハンガリーが連合国に対して武装抵抗を策しているかのような行動をしている微妙な時期に、連合国は具体的な行動を取る訳には行かない。
下手に執ると本当にハンガリーと戦争になる。
だから、中立国であるスウェーデンやスペインを介してのユダヤ人保護を図る、とのことだった。
だが、スペインも強かだ。
対ソ戦のための兵員確保に、連合国軍が苦しんでいること等から足元を見て、対ソ義勇軍の編制、派遣を行うというアメまでちらつかせて、スペインへの大量の兵器等の物資供給、スペイン軍の強化を約束させてしまった。
更に。
「自分個人としては、ハンガリーのユダヤ人がどうなろうと構わんのだがな」
グランデス将軍は、最後に吐き捨てるように言った。
スペイン政府は本音では何一つしたくないようだ。
異端審問が19世紀まで残る等、スペインは反ユダヤ主義がかなり強い。
ダヴー大尉は、内心でかなりの覚悟を固めて、ブダペストに向かうことになった。
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