第2章ー19
そんなふうに土方勇中尉が想っていることは、完全には妻の千恵子には伝わっていなかった。
千恵子は、義祖父の土方勇志伯爵とペタン仏首相との会談に同席した後、1日だけヴェルダン要塞の慰霊碑を駆け足でまわり、その後、ロンドン、ワシントンを経て1941年末に日本に帰国していた。
1941年1月上旬のある日、千恵子は、異母姉の村山幸恵を訪ねて、横須賀の「北白川」に来ていた。
本当なら帰国してすぐに幸恵の下に行きたかったが、年末年始でお互いに慌ただしく、正月三が日もとうに明けた日に千恵子は幸恵の下を訪ねていたのだ。
もっとも、ここまで遅くなったのはもう一つ理由があった。
「岸忠子さんの機嫌はどうだったの」
「息子の総司からの贈り物を受け取ったことから、それなりでした。全く、この日は都合が悪いとか、散々自分の都合で遅らせておいて、何で早く贈り物を持ってこなかったのか、と呟かれましたが」
「まあ、仕方ないわよ。玄関をまたげて、応接間に入れただけでもいいと思わないと」
「分かってますけどね」
千恵子と幸恵はそんなやりとりをしていた。
岸総司の母、岸忠子も横須賀に住んでいる。
だから、幸恵を訪ねるのなら、忠子も共に訪ねるのが、千恵子にとって楽だった。
それに総司から二人に渡す贈り物を託されているのだ。
そのことからしても、同じ日に訪ねるのが当然と言える。
だが、忠子はどうにも気が乗らない千恵子の来訪を、様々な口実を付けて遅らせていたのだ。
そのために千恵子が幸恵の下を訪ねるのも遅くなった。
「はい、頼まれていた総司の写真と、総司からの贈り物です。ツヴィリングの包丁セットです」
「ありがとう」
千恵子が渡した贈り物、ツヴィリングの包丁セットは幸恵の眼鏡にかなう物だった。
そして、写真は3人が写っている。
二人は総司と土方勇だが、もう一人は幸恵には見覚えが無かった。
「総司一人だと遺影になりそうだから嫌だ、と総司が言ったんです。それで、総司を中心に三人が写っているこの写真を幸恵姉さんに渡して欲しいと」
千恵子が説明した。
「勇さんは分かるけど、もう一人は」
「アラン・ダヴーというフランス陸軍大尉だとか。スペイン内戦の時に「白い国際旅団」の一員として戦ったことがあって。それと名前は分からないけど実父が日本の海兵隊士官らしいんです。そういうことから、義祖父とも面識があって、私から言うと舅の紹介で3人は知り合い、仲良くなったらしいです」
幸恵の質問に、千恵子は丁寧に説明した。
「ふーん。ありがとう」
幸恵は顔に出さないようにしつつ、想いを巡らせた。
これは母のキクにこっそり聞かねばならないことが出来た気がする。
もっとも、幸恵にしてみれば、千恵子に聞きたいことが山のように今はあった。
「それで、ドイツの現地状況はどうだったの」
「ええ。かなり酷いものでした」
千恵子は、かいつまんでドイツの現状を説明した。
ポーランドやチェコスロヴァキアから大量のドイツ民族系住民が、ドイツへと追い立てられていること、更にドイツ国内では貧困と飢餓が蔓延し、通貨代わりに一部では外国製タバコが使われていること、若い女性が春をひさぐのが稀でなく、連合国軍の将兵相手の商売が横行していること。
「遣欧総軍をはじめとする日本の出先機関は、できる限り、ドイツの復興を助けようとしていますが、そうは言っても限度があります。取りあえずは先日、発表された連合国外相理事会の決定によって、ドイツの工場が本格稼働すること等により、ドイツの現状が良くなることを願うばかりです」
千恵子は、そう言って幸恵への説明を締めくくった。
幸恵は思わず言った。
「言葉が無いわね」
「ええ」
千恵子もそう言った。
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