第2章ー9
夫の耳元でそうささやいた後、土方千恵子は、さっと離れて、弟の岸総司大尉に言った。
「それから怒りで忘れるところだった。忠子さんと幸恵姉さんから、総司に渡して欲しいと言われて、渡す土産を預かっているの」
「酷いよ、姉さん」
そう総司は言ったが、内心ではホッとしていた。
母と姉は少しは和解したようだ。
そうで無ければ、母は姉に土産を託すまいし、姉も母からの土産を受け取るまい。
ちなみに余談だが、忠子の土産の中には豆味噌が入っており、後で総司は斉藤雪子中尉と一緒に食べた。
こうしてやや遅れて、土方勇中尉と岸大尉は、第6海兵師団司令部に出頭し、正式に土方勇志伯爵率いる特使団の護衛任務を部下とと共にするように指示された。
とはいえ、護衛と言っても駐屯地外に特使のメンバーが出ない限りは、そう厳重に護衛の必要もない。
それに特使のメンバーは駐屯地内に基本的にいたので、土方伯爵なりの久々の家族交流をしたかったというのが主な目的と言った所だった。
それ故、勇と総司は、この護衛任務は基本的に暇と言えば暇だったのだが。
「夫と弟の話から何となく予感していたけど、ここまで酷いなんて」
千恵子は、義祖父の公設秘書として特使団に集まってくる情報整理を行い、義祖父に伝えたが、その内容を知る度に色々な意味で心を痛めた。
なお、千恵子は特使団の人手が足りないこともあり、軍医大尉のカバーを利用して、カルテからの情報収集整理にも当たっていた。
ちなみに特使団は、土方伯爵を団長とし、腕利きの30、40代の課長級以下の中堅官僚を外務省や商工省等から臨時に派遣してもらって、総勢20名で編制されたものだった。
本当だったら、もう少し格上の局長級以上の面々で数を揃えたいところだったが、土方伯爵は名は高いとはいえ、現在は貴族院議員に過ぎず、余り格上を揃えても土方伯爵が御しがたく、また、迅速性重視という事から少数精鋭ということで、このようなメンバーとなっていた。
更に言うと、当初は特使を派遣しての申し入れだけに米内首相と吉田茂外相は止めるつもりだったが、この際に現地情報を文官によって分析、把握すべきでは、という声が閣議で上がり、閣議決定された。
そのために、特使団はドイツで少しでも情報を把握した上で、パリへ乗り込むことになったことから、土方伯爵率いる特使団は、ベルリンに一時的にいることになったのである。
予め本国からの指示があったので、それなりに雑然としてはいたが、資料はある程度は揃っていた。
特使団の一員として、大蔵省から派遣された池田勇人はそれを読んで頭を抱え込んだ。
「こんな状態で占領地のドイツから税金を取れ、と言われてもという状況だ」
鉄道省から派遣された佐藤栄作も頭を抱え込んだ。
「鉄道等を復旧させて、ドイツの交通網を再建しないといけないが、分割統治の弊害が出ているな。これは早くドイツを一体化させないと、欧州が地盤沈下を来してしまう」
池田や佐藤と言った特使団の面々は、ドイツの現状を分析し、土方伯爵に相次いで報告した。
当然、千恵子も同席して報告を聞くことになった。
ベルリンについて4日目の夜、土方伯爵と千恵子は二人で会話していた。
「千恵子、今後のドイツ等の方向性についてどう考える」
「保障か繭糸か、ということでしょうか」
「おもしろいことを言う」
千恵子の言葉に土方伯爵は少し笑みを込めて言った。
ちなみに保障か繭糸か、というのは中国の故事である。
春秋時代、趙簡子が晋陽を治める際に、家臣からどのように収めますか、保障ですか、繭糸ですか、と尋ねられて、保障と即答した。
そして、趙簡子は息子の趙襄子に、いざという時には晋陽を頼れと遺言を遺した。
ちょっと長くなりました。
次話に説明が続きます。
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