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第2章ー5

 11月半ばのある日、土方千恵子は義祖父の土方勇志伯爵の供をして、首相官邸を訪れていた。

 貴族院議員の土方伯爵の公設秘書として、義祖父の供をするのは職務上から当然のことではあったが、千恵子は首相官邸に赴こうとする義祖父の機嫌が微妙だったことが引っかかっていた。

 数時間にわたり、米内光政首相と懇談した後、土方伯爵は千恵子に短く

「帰宅する。千恵子、お前が車を運転しろ。運転手には電車で家に帰らせるように」

 と指示を出し、千恵子は運転手を帰宅させた。


 首相官邸を千恵子の運転する車で出た後、数分の間、土方伯爵は沈黙していた。

 千恵子は車の運転免許を東京女子高等師範学校生時代に取得しているが、土方勇と結婚した後は、今でいうところのペーパードライバーでいた。

 そのために内心では冷や汗をかきながら、千恵子は車を運転する羽目になっていた。

 更に運転手にも聞かせたくない秘密の話を義祖父はしたいのでは、と推測できるだけに、尚更、緊張感を高めて千恵子は運転する羽目になっていた。


 十字路で安全確認の為に、千恵子が車を止めたのを機に、土方伯爵は口を開いた。

「千恵子、欧州にわしと共に行って、お前の夫や弟に逢う気はないか」

「えっ」

 千恵子は義祖父の余りにも思いがけない言葉に、固まってしまった。


 数分程も経っただろうか、千恵子が車を動かさないことに苛立った後続車がクラクションを鳴らしたことで千恵子は我に返って車を運転しだした。

 だが、千恵子は微妙に動揺して車を運転してしまい、後続車は危険を感じたのか、千恵子の運転する車の後に附いてこようとはしなかった。


 土方伯爵は更に口を開いた。

「米内め。お前のことで恩を売りおって。今回の捜査差し止めのお返しをしていただけませんかだと。わしに欧州に行って、独の現在の状況を視察し、仏のペタン首相に特使として申し入れをしてほしい、と頼んできた。高齢を理由に、わしが固辞しようとしたら、ペタン首相は80歳を超えられていますが、と言って、身の回りの世話をされる公設秘書までおられるではありませんか、と追い打ちを掛けてきた。ところで、何で米内がそんなことを言って来たのか、分かるか」


 千恵子は義祖父の言葉を受けて、懸命に考えを巡らせた。

 米内首相としては、義祖父でないとこの任務は務まらない、と考えているから、義祖父に対して言って来たのではないだろうか。

 義祖父が最も向いている理由は。


 千恵子は暫く黙考した末に、まとめた考えを言った。

「現在、欧州に巻き起こっている民族対立、追放の動きを穏やかにするためでは。お祖父さまは、日清戦争以来の戦歴を誇り、数々の民族対立の現場を見ておられます。そうした経験を踏まえて、欧州の現状にあった発言をされる、と米内首相は考えておられるし、それによってペタン仏首相を説得できると考えておられるのではないでしょうか。それにペタン仏首相とお祖父さまは旧知の間柄でしたね」


「ほぼ正解だ。更に付け加えて言うと、現在、対独強硬姿勢が最も強いのが、仏政府だ。仏政府を説得して宥和的な態度を独に対して執らせることができれば、英米の説得も容易になる」

「確かに言われてみれば」

 義祖父の言葉に、千恵子は車を運転しながら答えた。


「それでだ。千恵子、わしの供をして欧州に行ってくれ。勇や総司と序に逢っても勿論構わん」

「ありがとうございます」

 義祖父の言葉に、千恵子は素直に答えながら、更に想いを巡らせた。


 この件は当然、公表されるはずだ。

 公表され次第、村山幸恵姉さんや岸忠子さんにも話をしよう。

 それで託された物を総司に届けよう。

 総司はきっと喜ぶだろう。

 そして、私と顔を合わせた夫はどういう顔をするだろうか。

 ちなみに千恵子が車を運転した理由ですが。

 千恵子が特高の捜査対象になったというのは、土方伯爵家内部では土方伯爵と千恵子しか知らない秘事であり、それ以外の家族や使用人には知られてはならない話だったので、土方伯爵が千恵子と自然に二人きりになるために、千恵子に車を運転させています。

(もっとも、この当時の日本の民法から言うと、そもそも女性が車の運転免許を取得すること自体が女性保護の視点から許されない話になりそうなのですが。)


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