第1章ー7
もっとも、土方千恵子に対して、そのような言葉を土方勇志伯爵が掛けたのは、(千恵子には決して言わないが)土方伯爵なりに考えがあってのことだった。
ここまで公開情報だけで推測が出来る千恵子に対して、核兵器開発情報を全く流さないというのは、却って危険だ、という歴戦の軍人の勘が働いたのだ。
一時は反省して、千恵子はこれ以上の核兵器開発情報を探るのを諦めるだろうが、別の情報源を探る内に核兵器開発情報を自覚しない内に、千恵子は探し出すかもしれない。
それによって生じる(下手をすると千恵子のみならず、土方伯爵家全体に被害が及びかねない)リスクを避けるためには、千恵子に絶対に他人に明かすな、と口止めをして、更にそれなりの立場を与えた上で、核兵器情報を明かした方が安全だ、と土方伯爵は考えた次第だった。
さて、1941年9月段階での核兵器開発の話に話を戻すと、日英米(仏)はお互いに腹の探り合いをしながら、核兵器の共同開発を図ることになった。
本音としては核兵器開発に他国の関与は避けたい、とはいえ、それによって独の科学者を受け入れたソ連に核兵器開発を先んじられては元も子もない、という各国政府の冷徹な判断から来たものだった。
更にこの時のソ連の核兵器開発には、もう一つの難題が付け加わっていた。
フォン・ブラウンを始めとする独のロケット科学者の多くがソ連に連れ去られていたことである。
(なお、細かい事をいうと、1941年9月時点では連合国の政府や軍上層部には、単に行方不明となっていることしか分かっておらず、ソ連に亡命しているのでは、と疑っている段階だった。)
そして、ソ連のロケット技術は、コロリョフ等の優秀な人材を従前から保有している。
もし、これらが理想的に組み合わされてしまったら。
最悪の場合、ソ連は核爆弾を搭載したロケットにより、世界中を攻撃できるという事態が生じてしまう。
そして、このソ連による弾道ロケットによる核攻撃を、この当時の連合国側の各国は防ぐ術を全く持っていない、というのが現実だった。
この悪夢の事態を防ぐためには、日英米仏が協力してソ連より先に核兵器を開発して、ソ連を打倒するしかないという強迫観念に、連合国側の各国政府は駆られることになったのである。
とは言え、日英仏の各国政府は、その危険を強く感じていたが、米政府はソ連とはかなりの距離という壁があることもあり、日英仏並みの強迫観念には駆られなかった。
そうしたことから、米政府の承認の下、1941年10月から、いわゆる「マンハッタン計画」,核兵器開発計画が、日英米仏各国の協力の下で、米本土で進められることになったのだが、米政府の腰は微妙に重い有様だった。
その現われが、「マンハッタン計画」の責任者の選任だった。
米政府は、確かに有能であったのは間違いないが、「マンハッタン計画」の責任者に、グローブス大佐を宛てる有様だったのである。
日英仏の各国政府にしてみれば、きちんと将官クラスを責任者に米政府は据えるべきだろう、と考えて申し入れを行わざるを得なかった。
それによって、グローブス大佐は准将に昇進したのだが。
このことは、米政府には自分の国の人事に外国政府がくちばしを挟んできたという不快感を遺したし、日英仏政府には米政府は表面上の糊塗で物事を済ませるのかという不快感を遺すという有様だった。
ともかく米本土において、米英日仏4か国が協力して核兵器を開発することだけは、何とか4か国の外交官の協議によって決まったが、それ以上のことは上記の例をとってもわかるように、各国間で様々な不協和音が奏でられる有様だったので、核兵器開発は難航する羽目になった。
ご意見、ご感想をお待ちしています。