第6章ー15
更に他の国々の状況を叙述するならば、ユーゴスラヴィアも義勇兵と言う名目で約20万人の将兵を対ソ戦に派遣する準備を整えていた。
これは国内対策が主な側面だった。
多民族、多宗教国家であるユーゴスラヴィアとしては、下手に完全中立を保った場合、国内が混乱する可能性があると政府上層部は考えたのだ。
連合国側に事実上立ち、国内ではクロアチア民族主義者から成るウスタシャ等の過激な民族主義者、宗教主義者への弾圧を連合国に黙認させることで、国内を安定させる。
それが、ユーゴスラヴィア政府上層部の目論見だった。
ブルガリアやギリシャも、ユーゴスラヴィアと似たようなもので、各々10万人程度の兵力を義勇兵と言う名目で対ソ戦に提供することを連合国に対して内々に表明していた。
そして、陰で積極的に暗躍しているのが、トルコで約10個師団、約30万人の兵力を対ソ欧州本土侵攻作戦発動の暁には、カフカス地方で活動させることになっていた。
これは、ロシア帝国時代以来からの歴史的経緯に基づくものであり、また、それを口実にクルド人に対する弾圧等を行おうという裏もあった。
他にも、オランダ、ベルギーも、対ソ欧州本土侵攻作戦のための兵力を提供していたが、この2か国は対ソ戦ということから、あまり積極的な態度を示しておらず、また、自国が戦禍に遭ったことから、その復興を行わねばならないこともあり、この2か国を併せても約5個師団、約15万人といったところだった。
(更に書くなら、オランダは自国防衛のための洪水戦術をドイツの侵略に際して発動したために、自国の多くの土地が冠水被害に遭ったという問題も抱えていた。)
そして、イベリア半島のスペインもこれを見て、うごめいた。
約3個師団、10万人の兵力を義勇兵として派遣することをフランコ総統は決断したのである。
他に中南米諸国も、米国の意向や勝ち馬に乗ろうという心理から、ブラジルを筆頭に様々な援助を行おうとしていた。
(なお、実際に部隊として、中南米諸国の中で対ソ戦に参加したのは、ブラジルのみだったが、義勇兵と言う形で対ソ戦に赴いた中南米諸国出身者もそれなりにいた。)
こういった戦力をかき集めれば、陸軍と海兵隊の師団数だけで、優に200個師団を超えており、その兵力は約1000万人に達しているといっても、過言ではなかった。
土方千恵子は、想いを巡らせた。
これだけの兵力が集まるのは、これまでの世界史に無かったことではないか。
それだけ、ソ連欧州本土侵攻作戦が困難なことであると、連合国側は考えて、これだけの兵力を整えることにしたのだ。
ナポレオンのロシア遠征で集められたという約50万人の兵力が、日露戦争時の日本の約40万人の兵力が、大兵力どころか、ほんの小さな兵力にしか思えない規模に達している。
義理の孫娘の内心を察したのか、土方勇志伯爵が千恵子に声を掛けた。
「これだけの兵力を集めたといっても、これを有効に活用できるか、というのは別問題だ。数は力なのは確かだが、有効に使えねば意味が無い」
「そうですね」
千恵子も肯定せざるを得なかった。
自分達の父祖が参戦した鳥羽・伏見の戦いでも、額面上の戦力だけを比較すれば、薩長軍に対して会津が加わっていた幕府軍の方が質量ともに約3倍と優勢だったのだ。
それなのに、幕府軍は薩長軍に大敗した。
千恵子は、その故事を思い出した。
「ともかく後は欧州にいる連合国軍総司令部が、この兵力を有効に活用できるかどうかだ。有効に活用できねば、これだけの兵力を集めた甲斐がない」
「そうですね。アイゼンハワー将軍らがどれだけ有効に活用して戦えるかですね」
義祖父と孫娘は、そうやり取りをした。
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