千三百九十七日目
ここは鬼哭の村。この村は多少の閉鎖的であっても、事件は一切起きたことはない。たとえ、あったとしてもそれは村はずれの家に住むデベッガ家に黒の皇国の方から孤児の少年がやって来たことぐらいか。キッチンに立っているエナはそうだ、と信じていた。一年前にアシェドから聞いた話。自分たちが安心して、幸せに暮らすための思い込みだ。そう、もうあんな怖い目に遭いたくないのだから。
「うん」
一人納得したように、エナは窓の外から見える少年の姿を捉えた。その少年――キリは四年前に黒の皇国からやって来た孤児だ。きちんと、養子登録をして我が家へと迎え入れた。そんな彼は今、畑のあぜ道の草むしりを勤しんでいる。農作業を手伝うことに快く受け入れている。毎日、毎日――昼間は農作業を手伝い、夜は自室でのんびりと本を読む。それがキリの日常だ。それと同時にエナたちの当たり前であった。当たり前にいる我が子、彼らはそれが嬉しくて仕方がない。いつかは自分たちから巣立ち、知らなかった世界を見て欲しい。そんな切望が二人にはあった。だが、いくらその世界について説明しても、キリはこの現状維持がいいと言うのだが。
だとしても、もうキリも十四歳。保護されるような年齢でもない。初めての人生における選択肢を自分で見つけて、選ばせないと。それが彼にとっての、子どもにとっての親がしてやれることだ。そう思うエナは時計を見た。そろそろお昼時だ。アシェドは今、村の当番で木の剪定をしているはずだ。呼び出して、昼食にしよう。自身の連絡通信端末機で連絡を取ろうとするが、着信音がリビングに鳴った。
「えっ? えぇ……お父さん、忘れたの?」
リビングのテーブルに置かれた青色の連絡通信端末機。珍しい、忘れた状態で外に出るなんて。仕方あるまい。エナは窓から見えるキリを見た。それならば、彼に呼びに行ってもらおうではないか。
外に出て、キリのもとへと近付いて呼びかけた。その声に彼は薄くて青色の目はこちらに向けた。その目の色、綺麗で羨ましいな、と思いつつ「ごめん、お願いしていい?」と言う。これに彼は「どうしたの?」と立ち上がった。もうすぐ、自分の目線と同じになりそうだ。そこまで成長している。そう思うだけでも微笑ましいな、と思いたいところだが――まずはお願いが先だ。
「ちょっと、お父さんあっちの山道の方に行ってしまったんだけれども、もうすぐお昼だから呼んできてくれる? 連絡機忘れちゃっているみたいだから」
「わかった、行ってくるよ」
キリは物分かりもいい。頷くと、早速家の敷地内から出て車道へと行ってしまう。彼を見送ると、エナは家の中へと入るのだった。
◆
鬼哭の村では毎年必ずこの時期に車道の脇にある木の剪定や草刈りをしなくてはならない。それは当番で決まっており、今日はデベッガ家がすることとなっていたのだ。剪定道具一式を村長の家から借りてきて、ザクザクと余計な枝を切り落としていく。アシェドがそうしていると、車道の向こう側から「父さーん!」なんて声が聞こえてきた。その声がする方を見てみると、こちらの方へと手を振る一人の少年がいた。キリだ。自分の自慢の息子。血はつながっていなくとも、立派な家族。
ただ、こっちの方に呼びかけに来るなんて。珍しいものだ、とアシェドは脚立から降りた。
「どうしたんだ?」
「母さんがもうすぐお昼だからって」
「えっ、本当?」
もしかして、そのためだけに来てくれたとでも? なんだか、悪い気がするな。どうせならば、連絡通信端末機で連絡を寄こしてくれたらばいいのにな。なんて思いながらも、現在の時間を確認するためにポケットを探るのだが――。
「あ、あれ?」
ズボンのポケットにも、シャツの胸ポケットにも――周囲のどこにも自身の連絡通信端末機は見当たらなかった。どこへやったのだろうか。えっ、もしかして失くした!?
この焦りようにキリは小さく笑う。こいつめ、笑っている場合じゃないってのに。それを見てアシェドは彼の頬を軽くつねる。少しだけ頬が伸びたキリは「家にあるよ」と教えてくれた。その言葉に頬を解放してあげる。
「えっ、そうなの?」
「母さんから聞いたけど、家にあるってよ」
そういうことか。あれ? だとしても、おかしいなぁ。きちんとポケットに入れたつもりだったんだけれどもな。
「……あぁ、そっちかぁ。それなら、仕方ないな」
うむ、仕方あるまい。要は自身のミスだから。そうとわかれば、ここら辺を軽く片付けでもしておかなければ。人や車の通りが少なくとも、邪魔になるだろう。そのように判断したアシェドは「キリさ」と車道の向こう側をあごで差した。
「先行って片付けてから来るって言っておいてくれないか? すぐに来るからさ」
「わかったよ」
そう返事をすると、エナにそのことを報告するために家の方へと戻っていった。キリの背中を見送ると、軽く片付けるか、と道具類を邪魔にならない脇の方へと寄せ始めた。そして、家へと戻るために後を追いかけるようにして行く。そうしていると、前方の方から笑いながらこちらの方へとやって来る村人二人が見えた。彼らとはほとんど接点がないため、軽くあいさつを交わす程度でいいか。そう思うのだが、結構話し声は大きいらしい。声をかけるような余裕が見当たりそうになかった。
「そんでよ、その『罪人の子』……」
村人たちはアシェドに気付いたのか、笑いも話すらも止めて、無言ですれ違った。黙った二人であったが、それでも彼はあいさつしづらかった。それだからこそ、軽く会釈するしかない。もちろん、それは向こうの方も同様であり――彼らの姿が後ろの方へと見えなくなると、ぼそぼそと何やら会話をしているのが聞こえてくる。
ああ、この感覚は四年前に体験したことと同じだ。あのとき、村長の息子が山のバケモノに殺され、葬式へと赴いたときと一緒。
確かにあの二人の会話内容は気になるにしても、あんな態度はないのではないんじゃないか、と思う。アシェドは遺憾ながらも帰路へと着くのだった。
◆
アシェドが家へと戻り、ダイニングの方へと赴くとエナが出迎えてくれた。
「お帰りなさい……って、あれ? キリは?」
「えっ? 先に戻ってきたんじゃなかったのか?」
先に戻っていてくれ、とは伝えたはず。それに、キリは寄り道をするような子どもではない。もう小動物を見掛けたら殺してその血肉を食べるという悪癖もなくなった。その代わり、誰もがドン引きするほど小動物を愛でるようになった。そうしているのか。それとも? 最後に考えらえるのは――四年前に起きた連続殺人事件!
「キリ!?」
まさか、とは思い二人は窓の方を見た。車道の方からはキリが戻ってきているのが見えた。足取りが重たそうであるが?
「どうしたのかな?」
「あれか? 動物見つけたけど、触りたい。でも、お昼ご飯が待っているみたいな」
その考えはエナも同様だった。というか、そのことぐらいしか考えられないのである。きっとそうなのだろう、と納得していると、アシェドが「そう言えば」と何かを思い出したようにして彼女を見た。
「最近、軍人育成学校の任務って動物園とかの見回りもするらしいよ」
「えっ、そうなの?」
「うん、この前もらってきたパンフレットな。あれに任務の実績が載っていたんだけど、それをキリが聞いたら行きたがるかな?」
「どうかな?」
それでも行きたくないとでも言うのか。なんて腕を組んでいると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。それに伴い、エナは玄関の方へと行き、どこか伏し目がちのキリに「お帰り」と声をかけた。
「お父さんより遅かったね。さあ、ご飯食べよう?」
「…………」
キリに「おいで」と言う。彼は後を着いてくる。エナに誘われるがまま、ダイニングの方へと来るとアシェドは「遅かったな」と笑った。
「さあ、食べようか」
「うん」
多分、どこそこで小動物を見つけたけど、触れない不満があったのだろう。元気がない。だが、安心して欲しい。これから紹介するのはキリにとっても嬉しいはずなんだから。
ダイニングテーブルの席に着いたのを確認すると、各自で昼食を食べ始めた。今日の昼食はキリの好きなフルーツサンドとミートパイ。いや、彼に嫌いな物なんてない。どれもエナが作ってくれた料理は美味しい物ばかりだから。いつもならば、美味しそうに食べているはずが、もそもそと口を動かしている。これはタイミングか、とアシェドとエナは呼びかけた。二人に呼ばれて、どこか暗い顔を上げた。
「お前もそろそろ、いい年だし。今年か来年あたりに学校とか、どうだ?」
「…………」
食事の手を止めた。やはり断るか? それでも、自分たちはキリの人生の選択肢を提示してあげなければ。それが親というもの。完璧でなくても、キリにとって最高の両親でありたい。二人はそう思う。
「そこなら、キリが読みたい本もたくさんあるし、行ってみないか?」
「それもそうね。キリ、本が好きだもんね」
それでもキリは無言状態。視線を小分けしたミートパイに向ける。
「それに知っているか? 最近の学校の任務じゃ、動物園の見回りなんてあるぞ」
「あら、いいわね。任務の後とかに動物を触れたりもするんじゃないのかな? ふれあいコーナーとかね」
「うん、キリって本だけじゃなくて、動物も好きだしなぁ」
なんて説得をしているのだが、キリは自分たちの話を全く聞いちゃいなかった。それにアシェドが気付いたとき、口を噤んだ。これ以上、何か言ってはいけない気がしてたまらないのだ。彼がフォークを握る力を強めているのだ。もしかしすると、こういうことを言われたくなかったのか? 学校も就職もする気はなかった? だが、ずっとこの家にいたとしても、それはキリのためにはならない。そう言おうとするのだが――。
「……二人は……本当は俺が……『罪人の子』だって知っていたの?」
目を伏せながらそう言うキリに二人は頭が真っ白になる。理解不能と言うべきか。というよりも、その『罪人の子』とは一体何のことなのか。どこかで聞いたことがあるようで、ないような――。
困惑するエナは「き、キリ?」と怪訝そうにしていた。
「どういう意味?」
「……本当は、俺を家から出したふりして殺すつもりだったんでしょ?」
今度はそのようなことを言い出した。キリのその言葉に彼女が「何を言っているの?」と席を立った。
「私たちがそんなことするわけないじゃないっ!」
これにはアシェドだって「そうだぞ」と大きく同意する。
「俺たちはキリの将来を思って言っているんだ。お前が黒の皇国から生きるために見えなかった世界を見せるために選択肢を差し出しているわけであって――」
ここで先ほどからキリに元気がないことと何か関連するのだろうか、と考えた。あの暗い表情は小動物を抱っこする余裕がなかったから? いや、そうではない? だったならば、なんなのだ? 自分と会って、家に戻るまでの間何があった? 誰かに何かを言われた? 考えられるとするならば、鬼哭の村の二人とすれ違ったぐらいか? だとしても、そのすれ違い――アシェドに対して冷たい、話をかけることすらもしない彼らがほとんど顔を見せないキリに何か話しかけたりするのか?
アシェドとエナは少ない情報でキリは何を言いたいのか、と思考をフル回転させていると――。
「お前ら、村長とグルだったんだろっ!?」
村長とグル!? 一体どういう? 話が掴めなさ過ぎる! キリは村長を知っていた!? 知っていたにしても、顔は合わせていないはずだ。キリが村の集落へと行くことは全くなかったはずだ。村の人たちと顔を合わせたとするならば、カワダぐらい――いや、あの村人の二人も入るか?
とにかく、落ち着かせようとするのだが、それでもキリの興奮は止まらずにミートパイの傍に置いていた小分け用のナイフを掴んだ。その刃先は自分たちに向けられる。思わず、近くにいたエナは後ずさった。
このままでは危険だ、としてアシェドは「止めなさい!」とキリの手を掴んだ。
――なぜにキリを殺さなければならないんだ。なぜにキリを嫌わなければならないんだ。
「俺たちは家族なんだぞ! お前を嫌ったりなんかしないし、俺たちはお前の味方だ!」
まずはそれをわかって欲しかった。誰にそのようなことを言われたのかはわからない。そうだとしても、キリはキリだ。あの日、黒の皇国から居場所を求めて我が家へとやって来た。黒の皇国から――?
【十三年前に黒の皇国からやって来た亡霊】
去年聞いた話。キリは現在十四歳。
【知りたければ、村長さんに聞いてくれ!】
【多分、村長さんが知っていると思うけど】
どうしていつも村長ばっかり? 彼は何を知っているのか。キリが言っていた村長とグルだったって?
【それ、おれが見つけた証拠】
ヴィンが撮った慟哭山にある石碑の写真。
【あの山で殺人事件が二回も起きていることとかさ】
慟哭山では村長の息子が二人も殺されているらしい。亡霊と山のバケモノに。
【来なくてもいい】
村長はキリと一緒にあいさつに来なくてもいい、と言っていた。それは知っていたから?
【そいつの存在を隠したくて、村長たちはおじさんたちに黙っていたんだ】
村長やカワダは慟哭山のバケモノの存在を隠したかった。だが、その存在をヴィンは知っている。幼い頃に出会っている。
【村長さんの息子が殺されてね】
【村人を殺したやつがこちらの方に向かった】
村長の息子はキリが家に来た日に殺された。結局、猛獣なんていなかった。彼らの嘘だった。
――あ。
考え事をしていたのがいけなかったらしい。アシェドの喉に焼けるような痛みが突き刺さる。思わず、キリの手首を掴んでいた自身の手を緩めて――エナの叫び声しか聞こえなかった。
エナはその場で悲鳴を上げるしかなかった。自身の夫の首周りは真っ赤に血塗られている。彼の目がこちらを見ている。瞬き一つせずして。何も彼女を見ているのはその目だけではない。キリの薄くて青色の目もこちらに向けられた。完全にこちら向けるその感情は殺意。彼の目は悲鳴で助けを呼ぶなんて許されない、とでも言いたげ――であるが、目の前にいるこの彼をどうしろと? ほら、今度は血塗られた料理の小分け用ナイフを向けてくる。その刃先はこちらの首!
叫ばずにはいられない。エナは「お願い!」と悲痛の声を上げる。
「キリ、止めて!!」
こちらへと近付いてくるキリ。目も刃も憎悪と殺意に満ちている。彼は「うるさい!」と自分を睨みつけてきた。
「お前らが俺の存在を消そうとするから!!」
消すだなんて、とんでもない。
「何を言っているの!?」
そんなのおかしい話だ。キリの手首を何とか掴んで抵抗する以外はできない。徐々に血の刃がこちらに迫りくる。
「あなたが存在してはいけないだなんて――!!」
【死なねばならないんですよ】
連続殺人犯の言葉を思い出す。本当は、キリはあのとき――あのティビー・ウラビのお面を被った男に何かを言われていた!?
エナの視線は一瞬だけ、リビングのチェストの引き出しに向けられる。そう、キリは嘘をついていた。最初から、ずっと。何度も勘違いで済まされてしまったことだって。彼は「違う」と嘯いていた。
――なぜにキリは嘘をついたのだろう? なぜにキリは自分たちに隠していたんだろう?
その思いが完全に油断だった。息ができないような苦しい痛みが首から全身にかけて襲う。エナの視界に映るのは己を完全な敵意かつ、殺意を向けられた薄青色の目。もはや、自分のことを母親として見てくれていない。
――ああ、結局血がつながっていなければ、母親ではなかったのか。そう思われていなかったのか。
そのキリの目を見たくなくて、目を閉じる。その瞼の裏に映るのは食品雑貨店で手を握ってきてくれたこと。結局はただの夢にしか過ぎなかった。それが悲しくて、エナの目からは涙があふれ出てくる。
――私は母親になれなかったのか……。




