八百七日目
家の敷地内から見える車道には軍の装甲車が一台停車している。先日からではあるが、一年以上も前に起こった連続殺人事件の被害がこれ以上でないように、軍の方から警備を始めているのである。それをアシェドが知ったのは、酔い潰れてしまった次の日の朝。どうも、その前日に捜査担当の軍人が二人来たらしい。村の中、までとはいかないが、自分たちが見える範囲で見回りをしてくれるだけでも、多少の安心感はある、と化学肥料を撒きながら思っていた。それをキリも同様として手伝ってくれている。
あまり撒き過ぎないように、と細心の注意を払う。二年前は肥料の与え過ぎで、病気にかかってしまったのだから。カワダやサカキ、農業本によれば、あまり多く与えずに少量の肥料を何回かに分けて撒けばいいらしい。そうして去年は誰もが美味しいと言ってくれていた野菜ができたのだ。今年も頼むぞ、と願いを込めながら肥料を撒く。
キリの方を瞥見した。彼も彼で肥料を撒いているが、何を思って撒いてくれているだろうか。表情を見る限りだと、普段通りの何も考えていなさそうで考えているような面持ちだ。二年以上も一緒に住んでいるとはいえ、キリのことはまだまだ謎だらけだ。このデベッガ家に来る前はどのようにしていたのか。はたまた、両親の記憶は? 気になることはある。それでも――訊くに訊けない。児童保護センターのトルーマンは定期カウンセリングなどでゆっくりでいいから訊けばいい、とアドバイスをくれた。
【それならば、キリ君が十四歳になったときとかでもいいでしょうし。それぐらいの時期で学校とか、就職をさせるおつもりですよね?】
あの言葉にアシェドは眉根を寄せた。エナから聞いた話、キリは軍人育成学校もどこかへと働きに行くことすらもしない、と言う。ずっと、この家に留まるとか――。
それがいけないわけではない。それだけキリがこの家を気に入っているという証拠にもなるのだから。それでも、と肥料を撒きながら思う。彼は現在十二歳。そろそろ将来のことについて考えを持たなければならない時期でもある。十四歳になるまでの猶予はあと二年。いや、二年もない。
「どうしたものかな」
アシェドが小さなため息をついていると、キリが「父さん」と肥料を入れていた袋を持ってこちらへとやって来た。
「撒き終わったよ」
そう言うキリの肥料の袋は空である。もう終わったのか、早いな。アシェドは「ありがとう」と何も入っていない袋を受け取ると、あぜ道に生えている草取りをお願いした。これに彼は快く受ける。そう、キリは家の手伝いをしながら、空いた時間で好きな本を読む。このスタイルを貫き通したいとでも思っているのかもしれない。穏やかな時間。この家だけだ。そういう時間が流れているのは。だが、村の集落へと行けば、そうではなくなる。
軍の見回りの警備が始まった頃だろうか。何度か集落の方へと訪れてみると――ほとんどの村人たちから最初にこちらへと越してきたときと同様の警戒心をむき出しにされていたのだから。余程、警備を依頼したのが気に食わないのだろう。以前と変わらぬ近所付き合いをしてくれているのはカワダ、サカキ、ザイツ家の者たちだけ。いや、というよりも、彼らだけだ。最初から――ではないが、普通に接してくれている者たちは。
「なんだろうな、あの人たちは……」
ここまでよそ者に当たるとは思わなかった、とアシェド自身も肥料を撒き終えると――。
「お父さんのお手伝い? 偉いね」
草むしりをしているキリに話しかけるのは警備をしている一人の軍人――もとい、事件捜査担当の軍人だ。これでも、人見知りが激しい。こういう風にして、誰かが話しかけてきても、彼は無言状態で首を縦か横に振るだけ。だとしても、アシェドやエナが一緒にいるときだけ多少は口を開くこともある。それでもだ、多少はマシになったとは――いや、変わらないだろう。相変わらず、村の集落へは絶対に行こうとはしない。そもそも、村人たちの性格を知っているからなのか? あの警戒心を。ただ、最寄りにある町――労働者の町にならば、行くことは多々ある。昨日も連れていった。本屋に。そこで、新しい本を買ってあげた。
キリは本が好き。それは自他ともに認めることだろう。それだからこそ、彼の将来を思うならば、家よりも――本屋よりもたくさんの本がある軍人育成学校に行くべきだ、と考えていた。
相変わらずの反応だな、と軍人は苦笑いをしながら「こんにちは」とアシェドにあいさつをしてきた。これに「お世話かけます」と頭を下げる。
「息子が不愛想で申し訳ありません。あいさつぐらいは、とは言っているんですけれども……」
「いえいえ、構いませんよ。以前に、児童保護センターの方から事情を伺っているので」
それを聞いて安心する。こちらとら、安全を守っているために昼夜問わず働いているのに、と思っているのではないか、と疑っていたのだから。
そうですか、と納得するアシェドのタイミングを見計らって、軍人はぶちぶちと草むしりをするキリを横目に「もうすぐ四週目に突入しますね」と空笑いを見せた。
「未だとして、何の手掛かりも……何のアクションもないです」
平和的ではあるんですけれどもね、とも言える話ではあるが――アシェドはずっと気になっていたことがあった。彼は後ろ手に見える慟哭山を見つつ、軍人に「気になることがあるんですが」と設問を出す。
「結構な大掛かりな事件であるにも関わらず、捜査する人数が二人だけっていうのはいかがなものかと思うんですが……」
そう、この村の車道だけの見回り警備も、何度か顔を見合わせていた捜査担当軍人の二人だけ。おかしな話である。そもそもが、慟哭山やら村の中を立ち入り規制してまで捜査するべき案件であろうに。元より、一人死亡者が出ているのだ。こんなことを放置する状態だなんて――。
アシェドのその質問にキリも気になるのか、こちらを見てきた。この質問の答えは――。
「そうなんですよね」
軍人もわかっていたらしい。
「事件発生の範囲が北地域なので、担当はまだ他にいるんですよ。ただ、捜査や警備においては王都を中心的にやっていたりしていましたので……」
その理由は予想がつくでしょ? 王都はこの青の王国の中枢都市。経済、政治などが中心となって回っている中央。何より、この国を治めている国王や貴族だって、その都市の城に住んでいる。他にも、様々な業界でトップに立つ重鎮だって。それだからこそ、特に偏狭な場所にあるこの村の捜査が遅れてしまっている、と軍人は言う。
「本当は、息子さんの事件が発生してからすぐにこちらへと来るつもりだったんですが、結局は事情聴取だけで、あとは王都での調査や警備ばかりで……」
「それじゃあ、王都は警備がガチガチな状態であると?」
「ええ。絶対的な安全都市とは言いがたいですけれども、人の目が多い分はまだここよりかはいいと思うんですけどね」
だから、申し訳ないが――村内の調査までは手が回りそうにない、と言う。
「以前、捜査に伺いに参りましたけれども、村長さんとの話があまりにも長引き過ぎて……翌日にはこちらに来るつもりだったんですよ。他の担当も交えて。ですが、上が王都の調査が先だと指示を受けましてね。本当に、デベッガさんには申し訳ないと思っているんです」
「……いや、そう思っていただけるだけでも嬉しいですよ。それでも、早いところ犯人が捕まってくれたら、いいんですけれどもね」
アシェドは何も入っていない袋を二つとも結ぶようにして、小さくすると、キリに「草むしり任せたぞ」と言った。
「それでは、私はちょっと、村の方に用事がありますので」
「ええ。では、私の方も失礼します。キリ君、草むしり頑張ってね」
キリが頷いたのを確認すると、軍人は見回り警備へと戻っていった。そんな彼の背中を見送ったアシェドは家の玄関先に置いていた紙袋を手にしてキリの頭をなでる。
「じゃあ、ちょっと行ってくるな」
「……うん、行ってらっしゃい」
村――サカキの家へとアシェドの足は動く。今日はカワダではない。サカキという村人だ。こちらは表情が優しそう、というか、物腰が低くて礼儀が正しい人だ。何度か川魚をお裾分けしてもらったこともある。先日だって、そうだ。今日はそのお礼をしに行くと共に――。
村の公共機関のターミナルに設置されたベンチでおもちゃのカメラを弄っているのはヴィンだった。彼も体が大きくなっている。そろそろ将来を見据えたヴィジョンを見る年頃だろう。
「やあ、ヴィン」
「こんにちは、おじさん」
あいさつと共に、ヴィンはこちらの写真を撮ってきた。ばっちり、眩しいフラッシュが目へと攻撃してくる。おかげでチカチカして仕方がない。
「突然のフラッシュは止めろよな」
「面白いんだもん」
なんてヴィンは笑っているではないか。笑っている場合ではないというのにな。
「というか、ヴィンはそろそろこんなお遊びは止めて、学校とか就職のことを考えなきゃならない年齢だろう? 将来はどうするのか、とか考えているの?」
「んー? ぜぇんぜん」
そういうことは一切考えていないらしい。青空に向かって、シャッターを押した。軽快な音がその場に響く。全く何も考えていないのはキリだけではなかったようだ。ヴィンも同じ。アシェドは「全然って」と怪訝そうにする。
「そもそもヴィンっていくつだ? 俺の子どもと大して変わらないだろ?」
「おれは十三歳だよ。おじさんとこの子どもがいくつかは知らないけれども」
「一個上か。って、来年は十四歳じゃないかっ。何も考えていないって、それぐらいの年は何かしら考えるだろう? 大人になったら、何になりたいだとかさ」
「ぜぇんぜん」
先ほどと変わらない口調でそう言ってくる。そんなヴィンを見てくると、キリと重なってきて仕方がない。一緒にしているのではないのだが、なんだか手を差し伸べてやりたいとは思う。彼はいたずら好きの悪童ではあるにしても、人の言葉がわからないのではない。きちんと叱責すれば、反省もできる子どもだ。だからこそ、アシェドは気になる。
「ヴィンは、何か好きなことはないのか? 落とし穴を掘る以外で」
「嫌がらせ」
この質問にヴィンはそう答えた。洒落にならない答えだ、と眉間にしわを寄せながら「それ以外で」と言う。
「趣味とか色々あるだろう。それこそ、ヴィンはよく人の写真を撮っているから、カメラマンとか。だったら、そこに歴史があったという証拠を見せつけるために戦場カメラマンになるのもいいかもな」
カメラマン、という言葉にヴィンはこちらの方をじっと見てきた。
「何かしらの証拠を見つけることができたんだろう? だったら、大人になってもそれをすればいいだけの話じゃないか? それにヴィンにとって何かしらの意義を見出せそうであるならばだけど」
「…………」
珍しく、神妙な顔付きを見せるヴィンはベンチから立ち上がった。そして、アシェドに「これあげる」と一枚の写真を差し出す。
「それ、おれが見つけた証拠。その証拠をどう使うかはおじさんの自由だね」
それだけ言うと、その場を後にした。アシェドは受け取った写真を見た。そこに写っていた物は見覚えのある石碑だ。裏には一年ほど前の日付がされている。その日に撮った物なのだろう。
「これって……」
アシェドの頭に思い浮かび上がるのは、慟哭山へと立ち入った際に見た石碑。村長の姿に隠れていて、全体を見たわけではなかったが――この写真で初めてこの目に映した。これがヴィンが見つけたという証拠。石碑が証拠だと? ヴィンとカワダのやり取りを思い出す。カワダとサカキは慟哭山のバケモノの正体を知っている、と言っていた。それを彼は知ってしまった、と言っているようにも聞こえていた。ああ、そういうこと? この石碑が山のバケモノにつながる何か?
石碑の写真――まだまだヴィンがカメラの扱いに慣れていないということもあるのか、ピンボケしてしまっているようだ。石に何か文字が彫られているようだが、わからない。石碑自体が汚れているため、わからない。
これがバケモノの正体の手掛かり、証拠であるとするならば――カワダ、もしくは今から訪問予定のサカキはこれを見せれば何かしらの反応を見せるだろう。もっとも、十年以上前にあの山で行倒れになった女性の墓だ、と言われてしまえばおしまいだが。
それでも、可能性に賭けたい。真実を知りたい。この村で何が起き、それを村人たちはなぜに黙っているのか、と。彼らはあやし過ぎるのだ。元より、連続殺人事件の被害となった村長の息子の死自体も。村長は何かを隠している。その隠しているのは村人たちも巻き込んでいるはずだ。それだから、サカキにも訊ねたところで答えてくれるとは限らない。だが、ヴィンの証拠とやらを提示すれば? 論より証拠。必ず、知っているとでも言いたげな反応を見せるだろう。
アシェドには何かしらの確信があった。
◆
「ああ、デベッガさんか」
サカキは自分の家の敷地内にある畑で農作業をしていた。彼は薄くなった頭を掻きながら、にこにこと愛想のいい笑顔でこちらへと近寄ってくる。アシェドは「こんにちは」と頭を下げる。
「これ、先日のお魚のお礼です」
「おおっ、いやいや……悪いねぇ。おっ、これは下の町のお菓子ですか」
これ、自分好きなんですよ、と言うサカキに「よかったです」と笑顔は絶やさない。彼は「そう言えば」と世間話を始める。それにアシェドも乗ってあげる。別に時間稼ぎしたところで、何ら問題はない。こちらには証拠があるのだから。
◆
「――なんですよねぇ」
そろそろ、会話が途切れる頃か。そう判断したアシェドはあの写真を取り出して、それをサカキに見せた。この写真を見た瞬間の彼の顔を見逃さなかった。大きく目を見開き、言葉を詰まらせているようであり――。
「どうしたんですか、この写真」
どこかしどろもどろになっているではないか。何かを知っている?
「とある人物からもらいましてね。サカキさん、あなた……慟哭山のバケモノの正体を知っているんじゃないですか?」
「ば、バケモノですか? 私は知らないですよ? そもそも、あの山に立ち入ることは禁止されていますからね」
「立ち入り禁止という理由を教えていただけませんか」
「だから、山にはバケモノがいるからですよ。それ、カワダさんから聞いているでしょう?」
なぜにこの人はカワダから聞いたことを知っているのだろうか。気になるアシェドはそのことを訊ねようとするのだが――サカキが写真を奪い取ると、びりびりに引き裂いてしまい、用水路の中へと放り投げてしまった。彼は言う、このような物を持つなんて、と。
「バケモノに呪われますよ」
「呪われるにしても、どうして破り捨てるんですか。もしかして、サカキさんはあの写真について何か知っているってことですか?」
サカキの目は泳いでいる。明らかに何かを知っている様子ではある。だが、肝心の何かをまだアシェドは知らない。だからこそ「教えてください」と彼に詰め寄った。
「あの石碑は何のために建てられたんですか? 十年前に行き倒れになった女性のお墓ですか?」
そのとき、サカキは目をぱちくりさせながら「行き倒れ?」と疑問を浮かべていた。これにアシェドは「黒の皇国の女性ですよ」と言う。
「十年ほど前に、あの山で行き倒れとなった黒の皇国の女性がいた、と」
「あ、ああ。そうだった。そうだった。そんなことあったけど、デベッガさん……そのことは――」
「だったら、誰にも聞かれない場所でお話ししますか? 私の家でも招待しましょうか?」
「いや、いい」
どうにも煮えきらない。サカキがあやし過ぎる。あの写真には大きく反応を見せていたのに。同じ慟哭山での出来事であるのに。彼はわざとらしく「忙しいから」とアシェドを敷地外へと追い出そうとする。これで確信を持ったわけではないにしろ、より一層あやしいとは思う。
「サカキさん、あの石碑のことを教えてくださいよっ! あれは女性のお墓なんですか!?」
「しーっ! しーっ! デベッガさん、あんた声が大きい!」
普段は温厚であるサカキだが、今日に限ってはこちらを睨みつける勢いだ。それに気圧されて「大きいって」と声を小さくしつつ、口を尖らせた。
「サカキさんが何も教えてくれないからでしょう? なぜにあの写真のことを教えてくれないんですか?」
「私自身も知らないっ。知りたければ、村長さんに訊いてくれ!」
また村長か、とアシェドが苦虫を潰した顔を見せる。そうしていると、押すに押されて――サカキの家の敷地外へと追い出されてしまった。なんで、と眉根をひそめていたが、周りに気付く。近くにある家の窓からはこちらを窺うようにしてみる目が。散歩をする老婆の視線。どれもこちらを敵視しているように見えていた。
「俺が何をしたって……?」
何もはしていない。強いて言うならば、この村の秘密とやらをよそ者のくせにして探ろうとしているぐらいだが――これがいけないというのだろうか。村長の息子の死とキリの腹の傷は同じ事件に絡まれているということ。村長自身が入るな、と念押ししていた慟哭山への入山。気にしなくてもいい、と言われても、気になる。この村で暮らしているのであれば。家の裏手があの慟哭山であるならば、なおさらだ。山のバケモノというものが自分たちの家へと降りてくる可能性だってあり得るのだから。
誰も彼も、何も語ってくれない。もはや頼りになるのは見回り警備をしている軍人たちぐらいか。そうだとしても、彼らの警備はどれぐらいの期間なのだろうか。それまでに、犯人も真相もすっきりとさせたいところである。
アシェドは慟哭山を怪訝そうに見つめながら、帰路へと着いた。道中、見回り警備をしている軍人とすれ違うのだが――彼らは昨日までとは違った表情を見せているのである。その顔が何を意味するのかは知らない。なかなか殺人犯が捕まらないことを表に出しているだけなのか。それはこちらも同様だ。煮えきらないこの現状を嘆く者同士、これからも仲良くしましょう。彼らは軽く会釈をするのだった。




