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断切  作者: 池田 ヒロ
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五十三日目

 手には待合室から借りてきた絵本が数冊。エナはキリの病室へとやって来た。ちょうど彼は朝ごはんの真っただ中のようで、スプーンでおかゆをすくって食べているところだった。扉の音に気付くと「おはよう」そうあいさつを交わしてくる。


「待って、すぐに食べ終わるから」


 こんな時間帯に来るとは予想していなかったらしい。キリは慌てて食べていく。だが、そんなことをすれば、いくら病人食であろうとも喉に引っかかる可能性がある。そのため、エナは「ゆっくり食べなさい」と落ち着かせた。


「今日も時間はちゃんとあるのよ? 待っていてあげるから、ね?」


「わかった」


 納得すると、器に入っているおかゆをゆっくりすくって、口に運んだ。キリはもうスプーンから食べ物をこぼすことはない。きちんと扱い方を理解できている。扱えている。食器をきちんと扱うという当たり前を取得したのだ。それは誇ってもいいことである。思わずエナは「よかったね」と小さな声で言うのだが、それをキリは聞こえていたらしい。首を傾げながら「なにが?」と訊いてきた。


「なにがよかったの?」


「キリがきちんとスプーンを使えるようになっているからよ」


「……うん」


 そう言えば、という面持ちの反面、どこか嬉しそうな顔を見せている。エナに褒められたことがほんの少しだけ気恥ずかしいのだろうか。嬉しいんだけどな。そんなキリに彼女はそういう表情や照れ隠しもするんだな、と思うのだった。


     ◆


 キリが朝食を食べ終わり、看護師さんが食器の片付けをしに来た。器をワゴンに乗せているとき「そう言えば、デベッガさん」とエナの方へと向き直る。急に呼ばれたものだから、絵本を開いていたエナは少しだけびっくりしたように「はいっ」と声を上ずらせた。ちょっとだけ恥ずかしい。


「何でしょうか」


「昨日、デベッガさんが帰ってから、軍の方から連絡がありましてね。今日のお昼頃、事件捜査の担当者と児童保護センターの方がお見えになるそうです」


「そうですか?」


 まさかの児童保護センターの誰か――おそらくはあの女性軍人、トルーマンだろう。彼女が来るとは思わなかった。今回の事件を知って、彼女自身もこちらと話をしたいのだろうか。それは別に構わないが、多少の驚きはある。


「場所は別室を用意しましょうか?」


「えっと……キリ。今日ね、キリとお話ししたいっていう人たちが来るんだけれども、この部屋と別の部屋、どっちでお話ししたい?」


「え?」


 初めて目にするキリのとてつもない嫌な顔。この前のわがままとか、ティビー・ウラビを見て嫌がるような顔付きではない。嫌悪と言ったが正しいだろうか。しかしながら、彼は意外にも表情豊かなのだな。――なんて、感心している場合ではない。その顔は絶対に「嫌だ」と断りたがるだろう。それでも、捜査協力をしなければ、あの犯人は捕まらないし、こちらとしても不遇だ。


「この前の軍人さんと……ほら、家族の証拠を作りに行くって言ったときに会った女の先生がいたでしょ? あの人たちよ」


 なんて説得はしてみる。それでも不満らしい。唇を尖らせて「別にいいけど」と反応を見せた。


「だったら、ここじゃない別のところがいい」


 それよりも早く絵本を読んで欲しいのか、エナの手と本を軽く引っ張った。そんな要望に彼女は回答を待つ看護師に「別室の用意をお願いしてもいいですか?」とお願いした。それに「わかりました」と承諾してくれた。


「その方たちが来られたら、お呼びしますね」


 看護師はそう言うと、食器を乗せたワゴンを引いて退室した。この場にはエナとキリしかいない。その二人だけ――本当はアシェドもいて欲しいのだろう。この空間が彼にとっての至福の一時。看護師がいなくなった途端、にっこにことした笑顔を見せて「読んで」とせがむ。まあ、彼も人間だ。人間だからこそ、好きなことと嫌いなことを分けるのは当然である。苦笑いをしつつも「はいはい」とキリに見えるようにして絵本を開くのだった。


     ◆


 絵本を読むことに飽き、文字の勉強すらも飽きた頃、キリは窓の外を見ていた。彼の表情からして、家にでも帰りたいか。それとも、外へと散歩に行きたいか。だが、まだ医者から外出許可は下りていない。先ほど、病院内のお散歩にでも誘ったのだが――。


「いい」


 そちらも飽きているのである。それもそうだ。この状況が二週間も続いているのだから。子どもは同じことに飽きる。これは当たり前を知らなかったキリですらも同じ。エナはアシェドから拾ってきてもらった連絡通信端末機の時間を確認した。もうすぐ、昼食の時間である。それならば、とキリを誘って売店で何か自分のお昼でも買おうか。彼には何かしらの飲み物でも買ってあげて――そう行動を移そうとしたときだった。部屋のドアにノックがかかる。失礼します、と言って入ってきたのは食器を片付けていた看護師である。顔だけを覗かせて「デベッガさん」と少しだけ申し訳なさそうだった。


「もうすぐお昼なんですが、今朝お伝えした捜査担当者と児童保護センターの方々がお見えになられているんです」


 どうも、予定より早い時間にこちらへと到着した様子。エナはキリの方を瞥見すると、別に彼は嫌悪感ある顔をしていなかった。いや、自分たちの話に理解ができていないのか。興味がなさそうに、待合室の絵本を並べている。今は本の大きさの順番を決めかねているようだ。


 こちらが面談の拒否をすることはできそうにない。これは協力捜査につながる。一刻も早く、連続殺人犯を捕まえるためにも――。


「キリ」


 そう呼びかけをすると、無言状態で固まってしまった。ということは、こちらの会話を知っていながら聞こえないふりをしていたな? そういうところが上手くなったものだ。


「キリにお話ししたいっていう人たちが来たって。行こう?」


 先日、事件担当の軍人は言っていた。次は自分と同伴で、と。エナは「大丈夫よ」とキリの手を握った。


「私も一緒にいてあげるから」


「……本当?」


「うん。この前ね、軍人さんが言っていたの。一緒にお話をお願いしますって」


「行く」


 どうやら、独りで話をするのが怖いらしい。自分と一緒だと聞いて安心したようだ。キリはベッドの上から下りると、病院内で使用しているサンダルを履く。しっかりとエナの手を握って。


 二人は看護師に案内されたがまま、別室へと向かうのだが――その部屋の前には一人だけ事件担当の軍人が待ち構えていた。彼とエナは軽く会釈をする。そして、軍人は「先に別々で話を訊いてもいいですか?」と訊いてきた。


「息子さんは中に一人と児童保護センターの方がいらっしゃるので、そこでもう一度事情をお伺いします。奥さんは私と一緒にここではない別の部屋へご同行をお願いします」


 途端にキリが握る手が強くなった。爪が食い込むほど力強い。思わず、エナは顔をしかめて「キリ?」と自身の手が痛いことを伝えるが――軍人を睨みつけるようにして「嫌だ」と言った。


「かーさん、言ってた。いっしょにお話をするって。うそつき」


「…………」


 困惑するエナは軍人の方を見た。彼は確かにそう言っていた。次は一緒に話を、と。自分が嘘ついているわけではないし、何より――【先に別々で話を訊いてもいいですか?】と訊いてきたのだ。嘘ではない。『先』に別で事情を訊かれるだけだ。彼らは嘘をついていない。


「……困りましたね」


 困り果てた様子で互いの顔を見合わせていると、こちらの声が聞こえていたのだろう。部屋の中からもう一人の軍人とトルーマンが出てきた。二人は「こっちだ」と手招きをするが、絶対に行こうとしないキリはエナにしがみつくだけ。


「キリ君、私たちはきみからお話を訊くだけよ? ね? こっちに行こう?」


「嫌だ! そっちになんか行くもんか!」


 なかなか融通が利かない。こういうとき、アシェドがいれば――と思ってしまう自分は母親失格だろうか。母親らしく、びしっと何も言えやしない。困り果てた顔をして、誰かを頼ってしまっているようだ。ここで「ダメだ」という一言を言わないと――言えるだろうか?


「お母さんとは後で会えるから」


 ほら、と半ば強引に軍人がキリの手を引こうと、腕を掴むのだが――。


「嫌だっ!」


 キリは腕を掴んできた軍人の顔を爪で引っ掻いた。これにはその場にいた誰もが唖然とする。こちらへと攻撃してきた彼の目は荒んでいる。エナはその目に見覚えがあった。初めて我が家にやって来たとき、警戒をしていたあの目と同じ――。


 一回だけに飽き足らず、もう一度軍人に対して爪で引っ掻こうとするが、ここでエナが「キリっ!」と怒声を上げた。直後、キリの手は彼女が止めようとした手を引っ掻いてしまう。腕からは血がにじみ出ているではないか。これを見て彼は硬直する。今にも泣きそうな表情でこちらを見る。それでもエナの表情は怒っていた。


 自分に傷付ける分はいい。だが、説得しようとしている相手を傷付けるだなんて。聞き分けのいい子どもだと思っていたが――本当はそうではない。ただのわがままな子ども。そこだけは普通の子どもと変わりない。そうであるのは構わないが――。


「軍人さんに謝りなさい」


「…………」


 ようやくしおらしい顔を見せたか、と思っても、だんまり。いかにも自分は悪くないと言わんばかりに、こちらを上目で見ていた。


「軍人さんに謝りなさい。キリ、今何をした?」


「…………」


「顔を引っ掻いたよね? 狙ってやったよね? やってはいけないことだとわかっていながらも、やったよね?」


 相手を傷付けるなとは言っている。それはアシェドも言っていた。そう、それはキリの悪癖の件。それをここで口にする気はないのだが、元々はそれつながりにはなる。


 エナがキリを叱っていると、顔を傷付けられた軍人は「奥さん」とばつ悪そうな顔を見せていた。


「いいですよ、そんな……私らが強引に息子さんと奥さんを引きはがそうとしたから――」


「いえ、よくありません。私は今、キリに当たり前を教えてあげているだけです」


 当たり前というその言葉に、キリは気付いたようにしてエナと顔を傷付けられた軍人を交互に見る。彼女はなんと言った? そう、軍人さんに謝りなさい。自分がしたことを頭に入れながら、相手に詫びなさい。それはあなたが知らないこちらの世界ではごく当たり前のことなのだから。


 ややあって、キリは顔を傷付けられた軍人に対して「ごめんなさい」と鼻声で謝った。目に涙を溜めて、鼻水を啜りながら――。だが、エナはそれだけではない、と言う。


「何がいけなかった? それも言わないと、相手に伝わらないよ」


「……顔、引っかいたりして、ごめんなさい……」


 この謝罪に軍人はキリの目線と同じになるように屈み込み、赤くなった顔で「こっちこそごめんね」と言う。


「おじさんたち、嘘をついちゃったみたいだね。でも、最初の時間だけ……ちょっとだけ、きみとおじさんたちだけでお話してくれないかな? 嫌?」


「……嫌だけど、いい」


 渋々承諾、という感じだ。不満はあるものの、そう言うことならば、という形だ。エナも屈んでキリの頭をなでた。その手――腕には引っ掻き傷がある。だが、気にしない。


「偉いね、キリ。大丈夫よ、軍人さんたちにちゃんとお話をすれば、何も怖いことなんてないんだから」


 それじゃあ、あとでね、というエナがもう一人の軍人と別室へということするのだが――キリは慌てて追いかけてきた。傷付いた彼女の腕を取った。立ち止まる一同。彼は涙目でエナにも「ごめんなさい」と言った。


「かーさんの……かーさんのうで、引っかいたりして、ごめんなさい……」


「……うん、もういいよ。大丈夫、お母さん、痛くないから」


 こんな傷、とは思う。キリがこれまで経験してきた痛みよりは小さいはずだ。だが、自分自身、アシェドも彼がどこまで負の傷を背負ってきているかは知らない。いずれ、知る機会はあるだろうか。エナはもう一度、キリの頭をなでると、その場を後にするのだった。


     ◆


 連続殺人事件捜査の担当軍人に連れられて、エナは別室へとやって来た。今頃、キリは落ち着いて事情を話せるだろうか、という不安が拭えない。


軍人は「先日はご協力ありがとうございました」と前回の事情聴取のお礼を言う。これに小さく頭を下げた。そう言えば、彼らは詳しく言わなかったが、なぜに自分とキリは別々なのか。そこが少しだけ不思議だ。そう思っていると、彼は「以前のお話の件なんですけれど」と神妙な顔を向けてきた。


「奥さんの話は本当なんでしょうか?」


 我が耳を疑う。自分が発言したことが本当か、だと? 本当だとも。この目でキリと殺人犯は会話をしていたし、殺されそうにもなった。なぜだか、途中でどこかへと逃げてしまったティビー・ウラビのお面を被った男。エナは少しだけムキになりながらも「本当ですよ」と答えた。


「私の話がどこかおかしな点でもあったのでしょうか?」


 犯人の特徴は見間違えていない。完全に噂通り聞いていたカートゥーンキャラクターのお面に全身黒ずくめの成人男性。突然、キリに「死ね」だなんて言いながら、傷付けた。エナにとって、アシェドにとっても許しがたい男だ。


 その不服そうな言葉に、軍人は「いえね」と向こうの方も怪訝そうにしていた。


「二週間ほど前、ご家族のあなたよりも先に息子さんとお話ししましたことはお詫び申し上げますが……どうも息子さんと奥さんの言い分が食い違うんですよ」


「違うって?」


 そんなことはないはずだ。キリが嘘つくとは思えないから。自分が見た状態と彼が見た状態では何かが違う、と? 眉根を寄せていると、軍人も同様に眉根を寄せた。


「奥さんは前回の聴取で、犯人と息子さんが会話をしているのを見た、と仰っていましたね?」


「はい。あの子の口は動いていましたし、会話の内容は聞き取れませんでしたが、犯人の声も聞こえていました」


「ですが、息子さんに話を伺ってみれば、犯人は何も言わなかった、と仰っていたんですよ」


 話が上手く見えてこない。そのせいで、エナは首を傾げた。記憶を掘り起こしてみる。はっきりと聞こえた声が【死なねばならないんですよ】。その言葉から察するに、キリには何かを言っていたとしか考えられない。あのときの少し前からは、彼はある程度の受け答えができるほど成長した。もう頷いたり、首を振ったりするだけの子どもではない。もちろん、自分の考えもだってはっきり言えるはず。それなのに、何も言わなかった?


「……それって、キリもですか?」


「そうですね。私が直接息子さんに訊いたとき、何も、と答えていました。いきなり自分を殺そうとした、とね」


「ええ、確かに突然襲われはしましたけど……何も言っていない?」


 別段エナは目が悪いわけではない。耳も悪いわけではない。斜面の下の方にいたから、周りに誰もいないから。二人の会話らしき声が聞こえただけ。幻聴とは言いがたいものだった。


「もう一度、確認してもいいですか? 奥さんは息子さんと犯人が会話をするのを聞いたんですね? その目で見たんですね?」


 もちろんだ、と軍人の目を見てはっきりと答えた。


「はい、そうです」


 嘘をつく理由がどこにある? 血がつながっていなくとも、大切だと思う子どものために自分は閉ざしたい記憶の奥底を探っているのだから。


 しばしの視線訴え。互いにどちらが嘘をついているかの探り合いだ。その場の沈黙はとても痛いものだな、とエナが感じていると――軍人は「わかりました」と頷いた。


「奥さんは犯人と会話をしているのを見た、ということで――」


 あのとき、第三者はいない。アシェドもいない。自分とキリだけ。大人と子どもでは、子どもの方が嘘をつくのが下手くそだと――大人は見抜けるはずだ。だからこそ、彼らはこちらを疑っているのだ。どちらが正しいのか。それは嘘をついていない人間が正しい、と誰もが言うだろう。


「一度、息子さんがいる部屋へ戻りましょう。きっと、寂しがっていますよ」


 こちらを見るその目は疑いの眼差しである。


     ◆


 キリがいる部屋へと行くと、エナが来たことが喜ばしいのか、表情を穏やかにした。彼女は「いい子にしていた?」と軽く頭をなでる。それに彼は「うん」と小さいながらも答えた。向かい側に座っていたトルーマンは「大人しかったですよ」と状況を説明してくれた。


「先ほどは取り乱していましたけど、デベッガさんの言葉で安心したんですかね? きちんとこちらの質問に受け答えはできていましたよ」


 以前に比べれば、成長しましたね、と褒めてくれた。褒める相手はキリであるが、エナは自分のことのように嬉しかったようで――「だってよ、キリ」と彼の頬を軽く突く。


「よかったね。先生に褒められて。キリ、頑張っているもんね」


「うん」


 次はどんな話をするのだろうか、と二人の軍人の方を見る。彼らは先ほどのエナとキリの事情情報の確認でもしているのか。こちらには聞こえない音量で何やら会話をしているようだ。眉間にしわが寄っている。一体、キリはどんなことを言ったのか。あの犯人と会話をしていないだなんて――。


キリの方を見た。彼はトルーマンと指遊びをしているようだ。もしかして、一人の聴取のときでの緊張を解すためにやっていたのだろうか。どこか楽しそうにしている。そんな彼らを微笑ましく見ていると――。


「何かと時間がかかって申し訳ありません」


 二人の軍人がそう言って、自分たちの向かい側に着座する。事情聴取再開にキリはあまり快く思っていないようで、指遊び中断されたことが不満のようだ。俯きながら、椅子で床に届かない足をプラプラとさせていた。


「奥さんには言ったかもしれないですけれど……キリ君、何度もごめんね。最後に訊かせてくれる?」


 キリは足をブラブラさせながら頷く。だが、軍人の方は見ない。


「お母さんはキリ君が、きみを殺そうとした人とお話ししているように見えたって言っていたけど……その人、何にも言わなかったんだよね? キリ君も何も言わなかったんだよね?」


「うん」


「何も言わず、いきなりキリ君を短剣で殺そうとしたんだよね?」


「うん」


「それで、お腹を怪我して、入院している」


「うん」


 返事をするキリに軍人は「ありがとう」とどこか納得したようにして何度か首を縦に振ると――「でもね」そう、彼の顔を上げるように指示を出した。


「さっきからちょっと、おじさん気になるんだ。なんで、こっち向いてお話してくれないのかな、って」


「…………」


 キリはじっと薄くて青色の目を軍人に向けているが、すぐに目を逸らした。表情は無表情のようであるが、軍人は視線を下にしたままが気になるという。


「本当はお話ししていたでしょ?」


「してない」


「していないなら、おじさんの方を向いて、していないって言ってもらいたいな。言える?」


「…………」


 あまり気乗りしない、とでも言うように、キリは軍人の方に顔を向けた。視線を逸らすな、と言っていたから――もう一度、その目を見せた。


「してない」


 キリの目と軍人の目がぶつかり合う。軍人は彼の目から逸らそうとしない。エナを見てから嘘ではないとわかったのだろうか。ということは、意見の食い違いはキリが嘘ついている可能性となるが――。


「してない」


 もう一度、キリが主張を上げる。エナのときと同様に、しばらくの沈黙が続くと――軍人は諦めたようにして「そうかい」と深いため息をついた。


「していないならば、なんとも言えないな。していたら、犯人につながる何かが得られると思ったんだがね」


 最後の揺さぶりでもかける気か。それでも、キリはもう視線を逸らす気はないらしい。「してない」と答えた。


「その人と、お話なんてしてない」


 もしも、キリの意見を認めてしまったならば――エナが見た口の動きはどう説明すればいいのだろうか。会話の内容自体は聞こえなかったが、何かを話している声は聞こえていた自分の耳はどうかしていたのだろうか。


 軍人はエナの方を見て「奥さん」とこちらへと話題を振った。


「もしかしたら、という憶測ですが……息子さんが犯人と会話をしていないならば、それは奥さんの勘違いとなります」


「か、勘違いですか?」


「山の急斜面を登っていたんでしょう? そのときに見たとならば、会話をしているように見えたのかもしれません。また、あるいは風が吹いていて、その音が人の声として聞こえた、とか」


 もっともな話。必死になって登っていたならば、そうなのかもしれないのだから。だからこそ、軍人の言い分には説得力はある。遠くから見えた二人の姿は会話をしているように見えていたのかもしれないし、実際に風も吹いていた。風の音が二人の声として聞こえた。それらの可能性は十分にある。


 結局は自分の勘違い? それが結果であるならば――まだ疑問はある。あの男が言っていた【死なねばならないんですよ】という言葉。キリの方を見た。彼はまだ軍人をじっと見ていた。いや、見ているというより、どこか睨みつけている印象だ。人を睨むのはよくない。そう思うエナは「そういう目で見ないの」と小さな声で注意をする。彼女の言葉にキリは小さくなり、ようやく視線を逸らして俯く。


「……私の勘違い、ですか」


「はい。事件発生時に証拠でもあれば確定なんですけどね。流石にそれは難しいですので――」


 軍人二人は捜査協力ありがとうございます、とエナとキリに頭を下げた。


「今日は結構です。またお話を伺うかもしれませんが、そのときはよろしくお願い致します」


 二人に室外へと案内される。おそらくではあるが、この軍人たちにとって有益な情報は何もなかっただろう。顔を見てわかった。被害者と話ができたのは嬉しいが、状況は進展しそうにない、と。


 廊下へと出て、トルーマンと別れを告げる。エナとキリは二人して病室へと戻るのだった。


 自分もキリもどちらが正しいかなんて、誰も知らない。だからこそ、どちらとも疑われる。人の目を見て嘘の有無がわかるとも聞くが、どちらも嘘をついていない場合、彼らはどっちを信用するべきなのか迷いがあるはずだろう。それがあるからこそ、エナは答えを見出せなかった軍人たちを責める気にはなれない。彼らがわからなかったからこそ、どちらも正しいと感じ、どちらも嘘であると判断したのだろう。非常に曖昧な答えではあるが、双方を傷付けない回答であることを自分たちは理解しないといけないのだ。


 キリはそっとエナの手を握ってくる。その行動に彼女は「犯人」と前を見た。


「早く、見つかるといいね」


「……うん」

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