十五日目
リビングのテレビの横に、新たに飾られた飛行機のおもちゃ。キリはそれに見向きもせずして、ティビー・ウラビのカートゥーン番組を見ていた。愉快なキャラクターたちが色々とやり取りしているのをその薄くて青色の目に映していく。ほぼ、毎日この番組を欠かさず見ている彼はやはりティビー・ウラビが好きなんだろう、と菓子折りが入った袋を手にしているアシェドは思う。三日ほど前に起きた傷害事件――その犯人はそのカートゥーンキャラクターのお面を被っていた、という。そして、それを利用し、子どもの純粋な心を悪用してキリを殺そうとも企んでいた。にもかかわらず、まだまだティビー・ウラビが好きらしい。これは本格的にテーマパークへと連れていかなければならないだろうな、と苦笑いしつつ「行ってきます」と告げた。エナとキリの口からは「行ってらっしゃい」と自分に言葉を送る。
外に出ると、少しだけ冷たい風が頬をなでた。寒い季節がそろそろ近付いてきているという証拠だ。この村が雪で覆われる前に、本で見たこの時期に生えている山菜とやらを採って調理して食べてみたい。それはエナも思っていたことらしく、二人の間にその提案が生まれていた。
キリは山菜というものを知らないはずだ。それだからこそ、そこら辺に生えている草を採って食べる行動をあやしむかもしれないだろう。「食べるの?」と訝しげそうな顔を見せてくる顔を想像して、失笑してしまった。食べられると知ったならば、どんな反応をするだろうか。単純に目をキラキラさせるか? ああ、きっとそうだろうな。
「楽しみだな」
思わず口からこぼれる言葉に後ろから「なにが?」と幼い声が聞こえてきた。一瞬だけキリが着いてきたのか、と振り返ってみれば――違った。木の枝を手にしたヴィンだった。
「おじさん、にやにやして気持ちわるいよ」
「……誰かに指摘するという心意気は評価してあげるけど、本音と建前って知ってるか? 知らなければ、みっちりと教えてやるけど?」
「わるいね、おじさん。おれは学校の授業すらもサボること知らないだろ?」
どうやら、ヴィンは学校の授業すらもまともに受けようとしない子どもらしい。とことん悪童の道を突っきっているな、と思う。というか、今日は普通に学校がある時間帯だろうに。
「今は何の授業の時間なんだ?」
「歴史。おれ、歴史はねむくてしょうがないんだよね」
そうかい、と適当に相槌を返して、家の敷地内にある納屋から昨日村長宅から借りていた剪定道具一式を取り出す。
「ところで、俺の家に何か用なのかな?」
そう、まだここは自分の家の敷地内。そこにヴィンがいるものだから、驚いてはいる。というか、その枝で何をする気だ? 頼むから、袋の中に入っているお菓子の箱を突いて汚そうとしないでくれよ。
車道の方へと行き、村の集落へと向かうアシェドの後を着いて行きながらヴィンは「別に」と茂みに向かって振り回す。
「学校ぬけてきて、ひまだからおじさんの家に来ただけ。呼び鈴にいたずらしようと思って」
「きみは懲りないやつだ。また説教でもされたいのかな?」
横目でヴィンを見た。そんなアシェドに「むりでしょ」と鼻で笑ってくる。
「両手ふさがっているなら、おれは逃げれるよ」
「へぇ、俺はその気になったら手に持っている物を投げ捨ててまで、きみを捕まえに行ってあげるよ」
嘘ではない、本気だ。それを見抜いたのか、ヴィンは苦笑いをしながら「ヴィンだよ」と手に持っていた枝で自身を差した。
「おれはきみだなんて名前じゃない。ヴィンって言うよ」
「そうかい。じゃあ、ヴィンはこれから一緒に村長さんの家に行くか?」
どうせ暇ならば、と誘ってみるのだが「さようなら!」とその場から逃げるようにしてどこかへと走り去ってしまった。村長の家に行く気はないらしい。苦手意識でもあるのか――いや、以前カワダはそれと似たようなことを言っていたような気がする。だから、こうして全力疾走をしてまでも逃げようとしていたのか。まあ、別に構わないが、とアシェドは一人村長の家へと向かうのだった。
◆
古い家――村長の家の呼び鈴を鳴らせば、出てきたのは村長の妻だった。彼女は「どうも」とどこか怪訝そうな顔をこちらに向けてくる。その表情から察するに、何しに来たのだ、と言いたげ。いや、こちらは昨日借りた剪定道具を返しに来たのだが、返さなくてよかった? なんてアシェドがそのようなことを言う度胸はない。低い腰で「道具をお返しに来ました」と、菓子折りを差し出した。
「本当にありがとうございました。これ、ほんのお気持ちですけど――」
「はあ」
なんとも不愛想な奥さんか。昨日もそうだが、こちらに笑顔を一切見せないとは。せめて作り笑顔ぐらいは見せたっていいのに。村長の妻はお菓子を受け取ると、道具は納屋に仕舞ってくれと言うだけ言ってドアを閉めようとするが――。
「あ、あの」
どうにか呼び止めることに成功。こちらに眉根を寄せながら、顔だけを見せて「何ですか」と一応は話を聞いてくれるらしい。
「私、お鍋に火をかけているんですが」
「それは失礼しました。あの、村長さんとお話をしたいのですが――」
「お父さんなら村の方を散歩していますよ。多分、あっちの方」
そう指を差した方は慟哭山がある方向だった。その周辺を散歩しているというのか。情報を得たのだ。アシェドは「ありがとうございます」と頭を下げる。それを言い終わる前にして、ドアを閉められてしまった。釈然としない様子で納屋の方へと道具を片付けに行くのだった。
◆
慟哭山周辺を散歩している、と情報を聞いたアシェド。慟哭山にそう言えば、と思い出す。カワダから聞いた話。山にはバケモノが棲んでいる、と。だから、村人はそこに立ち入らない、と。だが、その禁忌を破った者――ヴィンともう一人引越ししていった子がいるらしい。立ち入り禁止の山へと入ってしまい、村長に折檻された、と。山へと入ったぐらいであんな罰が待っているのか。
山のバケモノとは?
山の周辺とやってくると、その山を見上げた。高くも低くもない山。この山を右の方に越えたところが自分の家。左の方に越えたところが隣国、黒の皇国。キリはこの山を経由して我が家へとやって来た。この山に何が潜んでいるのかもわからず。あの子は村長の息子を殺した猛獣やバケモノに遭遇していない。
アシェドは王都出身である。だからこそ、思ってしまう。それだからこそ、考えてしまう。本当は、山のバケモノだなんていない、と。もしも、いるとするならば、キリは出会っているはずだ。もちろん、彼だけではない。昔、ここへと立ち入ったことのあるヴィンだって。何かに出会っているはずだろうし――。
「ただ、入っただけで、監禁ってひど過ぎやしないか?」
今日の朝にひげを剃ったばかりのあごに手を当てて考える。そうしていると、山に生えている木々の隙間から人影が見えた。誰だ、とよくよく目を凝らして見ていると――山の中を歩く村長の姿が見えた。足腰が弱いからなのか、杖を突いてまで登っているではないか。自分たちには入るな、と言っていたのに?
この行動が気になるアシェドは葛藤した。入ってはいけない、という決まりと、その掟を村長自ら破っているというジレンマ。周りに村人はいない。誰もいない。しん、と静まり返り過ぎて不気味な道にたった独り。
「……行こう」
慟哭山へと足を踏み入れた。この山にあるのは獣道だけ。車や人が通った形跡だなんて以ての外。手入れのされていない鬱蒼とした木々。刈られていない草。そのせいで、地面が見えづらい。枝がいっぱい落ちているのだろうか。足を進めてはぽきぽきと音を立てる。確か、村長は左の方向へと向かっていた。ならば、こちらか。
慣れない獣道に足元を取られないように、山に棲むバケモノを怒らせないようにして慎重に歩を進めていった。何、この山はそこまで大きくないし、高くもない。自分の体力と怪我人の村長――すぐにこちらが追い着くさ。
ある程度、山を登ってしばらくすると、少しだけ平坦な場所へと出てきた。その少し向こう側は今にも潰れそうな小屋があるようだが、あれは物置小屋だろうか。なんとなく気になって仕方ないが――村長はそのまだ左手の方にいた。彼の眼前にあるのは石碑か。アシェドは大きく息を吐くと、そちらの方へと歩み寄った。歩く音、枝が折れる音――静かな山には大き過ぎる音のようで、こちらの存在にはすぐ気付かれた。
村長はこちらの方を見てくると、しわくちゃの顔に対して主に眉間の方に深くしわを寄せていた。
「なぜ、ここに」
こちらを見る目は明らかに敵意があるように見えた。だが、待って欲しい。アシェド自身、敵意は一切ない。村長の行動が気になるから追いかけたまでだ。そのことを伝えると――。
「そうかね?」
皮肉を込めたように鼻で笑ってきた。そして、ここにいるのは許されないとして「言ったはずなのに」と下山するように指示を促す。もちろん、村長だって下山するようだった。だから、一緒になって山を下りた。
山の入口へとやってくると、アシェドは口を開いた。
「これで私もヴィンと同じく折檻ですか?」と言うも、村長は「いいや」と一人家路に着こうとする。その後を追う。杖を突く老人はこちらを見ようともしない。
「村長さん、山に棲むバケモノって何ですか?」
「…………」
「あの石碑って何ですか?」
「…………」
何を訊いてもだんまり。だが、これはある意味での証拠になる。村長は慟哭山に棲むバケモノのことを何かしら知っているはずだ。それらに関して何も言わないとならば、別の話題ではどうだろうか。
「村長さん、怪我の具合はどうですか」
「……ぼちぼちだ」
慟哭山に関しては何も答えてくれなさそうだったが、他の話題は答えてくれた。
「村長さんたちを襲った猛獣ってどんなやつなんですか? まだ仕留めていないんですよね? 怖いですよね」
こちらの方を見てきた。じっと眼力のあるその目が少しだけ怖いと思う。それたじろぎながらも、村長の答えを待った。彼は視線を逸らすと――。
「子ども」
そう口にする。
「カワダさんから聞いた。お宅のところに黒の皇国から子どもが来たって。養子として受け入れたって」
「は、はい! 人見知りが激しくて対人恐怖があるみたいなんですが……今度、村長さんのところにあいさつに伺いに来ますね。あっ、その子の名前は――」
こちらが言いきる前に、村長は止めた。すでに彼の家に着いたようだ。
「来なくてもいい」
カワダが言ってくれたおかげか。それはキリの不安を考慮してだろうか。実のところは養子受入の許可が下りた日から何度か村長のところへあいさつに行こうと言っていたが、本人は嫌がっていた。今朝もそうだった。どうもアシェドやエナ以外の人と会うことが好きではないようだ。というよりも、カワダを初めて見たときから逃げるようにして自分の部屋へ行ってしまったのだから。
来なくていい、という言葉に「そうですか」と家の中へと入る村長の背中を見るしかできなかった。そんなアシェドを遠目でヴィンは木の枝を振り回しているのだった。




