妖結婚 七から九
7―新しい昼が来た―
時間が流れれば夜が朝になる。
ただし、私にとっての朝は私が起きた時間だ。その理論で考えるとその日の朝は極端な程に短いものになった。
一つ言っておくが私は決してねぼすけさんな性質ではない。少し二度寝三度寝が多いだけだ。
眠気の消えない時間は苦痛だ。起きねばならないが寝ていたい。じっとりと汗をかいているのも不快だ。
そんな時に誰かが私の頭を触る。
「空也?」
「俺だ」
「お前か⋯⋯」
私は赤面した。
空也は時々私の部屋に上がり込んで私を飲みに誘うことがある。
思えばあの時も窓から侵入していたのかもしれない。
桂御園が私の部屋に来たのは偶然ではない。
私はあの夜、桂御園の部屋を去る前に彼に言ったことがある。
私達の事が知りたければ明日の昼にでも部屋に来い。私は誰も拒まない、と。
彼が部屋に来るかは分からなかったが、彼が私達に興味を持ったということだろう。
「自分から呼び出しておいてお前かとは結構な言い分だな」
「いや、悪かったよ。ほんと、すまない」
目をこすりつつ布団から出る。
私を起こした桂御園は相も変わらず自信にあふれた顔だ。
「桂御園、その達磨は?」
桂御園の手の上には達磨が乗っていた。空也が持ち帰ったおかしな達磨ではない。
厳しい表情と赤い体、まさしく達磨らしい達磨だ。
「葛葉内蔵型の達磨だ」
「葛葉さんを?」
「正式には水晶入れだがね」
達磨の背中を見てみると小さな取っ手が付いている。それを引っ張れば扉のように達磨の背が開き、中には例の水晶玉が入っていた。
簡単だがしっかりとしたカラクリである。
「葛葉を狙うものがいる以上、葛葉と俺をつなぐこれを奴らが狙わんとも限らん」
なるほど。桂御園なりの用心ということなのだろう。
正直私は驚いた。桂御園がそこまで考えるとは思っていたかった。
「ではお前らのことを教えてもらおうか」
「その前に行かないといけない場所があるんだ。君にもついてきて欲しい」
「行かんといかん場所?」
「あぁ、なんというかそういう話をするに適した場所だよ」
そうだと頷く。今からする話に適した場所というのがある。
「それと頼みたいことがあるんだ。僕が着替えている間の暇つぶしにでもしてくれたらいい」
「あぁ」
「油揚げ買ってきて」
ポケットの中に入っていた小銭を桂御園に投げた。
「俺をパシリにするのか?」
「でなければ僕が着替えた後に君を連れて買いに行く。時間は有効に使おうじゃないか」
舌打ちをする桂御園。
そこまでパシリにされるのが嫌とは思わなかった。
今後彼に頼み事をするのはやめておこうかしらという気にもなる。
「釣銭は俺がもらうからな」
「君、案外せこいな」
私も金には困っている方なのだが。そんな私の心も知らず桂御園は部屋を出る。
彼が持っていった釣り銭によって私が泣かないことを祈ろう。
どちらにせよそれは未来のことのはずだから。
8―桂御園部屋、三度―
桂御園が買い出しに行ってしばらくして私は着替えも洗顔も済ませてしまった。
朝食はない。かといって昼食もない。食べるものがないわけではない。寝起きは食欲がわかないのだ。
彼が帰るまでの間に暇を持て余すのも退屈である。なので桂御園の部屋に行くことにした。
昨日(正確に言えば今日)の事件の舞台となった桂御園部屋。
流石に叩き潰されたギターの残骸は残っていなかった。
ただし天井を見れば私がぶつかった時にできたらしいへこみがあった。寮に望まないつめ跡を残してしまった。
よく見てみれば人型に見えなくもない。いっそ染みか何かと処理していただきたいものだ。
桂御園だけが住んでいる部屋なので当然同居人の荷物というのもある。
しかし目につくのは桂御園の荷物だ。
彼がありえないくらい物を散乱させスペースを取っているわけではない。
目立つものは全て桂御園のものだ。あのサイケデリックっぽい達磨や意味深な絵画。彫刻の類など様々な作品が床に無造作に置かれている。
私はそこである物を見つけた。部屋のすみ、黒い影のあった場所だ。
祠だ。私が以前何度か寮内で見たものだ。いくつもの祠が重なり合って塊になっている。
そう無造作に扱っていいものではないのではないかと内心思うがそもそもなんの神を祀っている物かもわからない。
全ては桂御園だけが知っている。正体不明の祠と正体不明の神だ。
祠を一つ手に取ってみると繊細微妙なバランスであったのか少し山が崩れてしまった。
桂御園には謝らないといけないだろう。
勝手に部屋に入って勝手に荷物を触っているだから。
ゲームの中の主人公達を尊敬する。
彼らは時には他人の部屋から金品を持ち出し、なおかつ罪悪感を感じている様子もないのだから。
手に取った祠を見てみるとなかなかに精巧である。
彼の芸術家としての技術のなせる技なのだろうか。
崩れた山を直そうと手を伸ばすと山の下敷きになっているものを見つけた。
クリアファイルに入っている。紙だ。見た目からして賞状らしい。
芸術家とまで呼ばれる人間なのだからなにか賞の一つでも持っていそうではある。
私は好奇心にかられその賞状に手を伸ばそうとしたその時である。
「何をしている」
「うわっ」
「驚きたいのはこっちだが」
「いや、すまない。昨日色々あったから、それで」
「別に構わんよ。俺だけの部屋でもないしな。俺の作品に興味があるのか?」
「あ、あぁ、まぁそんな感じだよ。ところでそこの祠は一体なんの祠なのかな」
「神を祀るものだ」
それくらいは知っている。何の神を祀っているのかが気になるのだ。
「貴様らにいっても分からん神だよ。なにせ俺しか知らない神だからな」
彼の手には私が頼んだものが入っているらしい買い物袋。
私が彼に小銭を投げてよこしたのと同じように彼は私に袋を投げた。
受け取った私は食べ物を投げるなと言ってやりたかったが私も小銭を投げたので大概である。
「桂御園。これは?」
袋の中に油揚げでないものがある。
封筒だ。ご丁寧に封蝋までしてある横長のものであった。
「招待状だ」
「僕にか? 君のじゃなく?」
というかなぜこの袋に入れてあるのだろう。
「俺の結婚式の招待状だからだ」
「⋯⋯なんで僕なの?」
「お前だけだ。俺が指定した時間にきちんと来たのは。それに葛葉のために囮になったんだろう」
どうやら私は知らぬ間のこの男から信頼を得ていたらしい。
しかし彼の言い様からすると彼は好奇心でやってきた者達全員にあんなことを言っていたらしい。
行かなった気持ちがなんとなく分かってしまう。
私も本来であれば行かずにいる気だったので少し申し訳ないところだ。
この招待状は受け取っておこう。
「これから行くところにあの女はいるのか?」
「僕といた酒臭い先輩ならいるよ」
「そうか。ならばよし」
「あいつにも渡すの?」
「当然だ」
空也が助けたのは桂御園ではなく私のはずだが。いや、空也が来たからこそあの三人が帰ったのかもしれない。
そういえば彼らとの関係を聞き忘れていた。
それも聞いておかないといけない。
「あ、さらっと流してしまったけど君しか知らない神様ってどういうことかな?」
「俺の頭の中にいるということだ」
「⋯⋯名前は?」
「あめのびさいのかみ」
それから私は桂御園の信仰するあめのびさいのかみについて語られた。
彼はその神の逸話などをまるで見てきたかのように話している。
その顔は子どものような無邪気さを持っていたが話の内容は新興宗教の類にすら感じる。
やはり桂御園は変人だ。変人で宗教家で芸術家。とても一般的な人物とかいいがたいだろう。
そんな彼の結婚相手が人ならざるものだというのだから人生とは案外よく出来ているのかもしれない。
だとすれば私の人生もそうなのだろうか、とほんの少し考えた。
9―忘れられた場所―
桂御園の話は寮を出るまで続いた。
流石に桂御園でも暑さには負けてしまうのかもしれない。
そして私もまた負けてしまいそうだ。
「暑いな。目的の場所は遠いのか」
「暑いっていうなよ。二十分もしないうちに着く」
「暑いのだから暑いといっていいだろう」
「暑いといわれたら余計に暑く感じる」
「……俺にここが冬のシベリアだといえと?」
私はそこまではいっていない。
「まぁ暑い暑いといっていても気が滅入るだけだな。別の話でもするか」
「そうだね……桂御園、僕はあの時聞いてなかったんだけど葛葉さん、というか水晶玉はどこで手に入れたんだ?」
「買った。古物商からな」
「古物商?」
「街をふらついている時にな、たまたま見つけたのだ。電流が走るとはあのことだ」
桂御園は水晶玉を見てその何ともいえない雰囲気に惹かれたらしい。
店主に値を問うと店主は二束三文で売るというので衝動買いをしてしまったとのことだ。
そして祠作りに精を出していると気付けば夜になったおり、一息つくかと思ったときに葛葉さんが出てきた、ということらしい。
「そういえば葛葉さんを神のようなものって言ってたけど」
「祠を作っているときに現れたのだ。きっと呼応したのであろう。あめのびさいのかみが寄越した分霊かなにかだろう」
本当にそうかどうか確かめられないので神のようなものと表現したらしい。
あくまで桂御園の頭の中の理論だ。
もしも無関係であったなら葛葉さんはどう感じているのだろう。
彼女は純粋そうだからそう思い込んでいるのだろうか。
桂御園を信頼しているようであったのでそうなのかもしれない。
私であれば信じられないことだが。
出会いが違えば私が葛葉さんを射止めていたのかもしれない。
大きな声では言えないことだ。
私と桂御園はその後言葉少なになりながらある神社の鳥居の前にたどり着いた。
鳥居の向こうには石の道。参拝客もチラホラと見える。
「場所というのは神社か?」
「そうだけどここではないよ」
「? ならなぜわざわざここに来た」
「鳥居があるから」
空也の受け売りだが、鳥居とは人の世界と神の世界を区切る結界なのだ。
鳥居の内側は神域であり神の空間であり鳥居は神のいる場所への扉ということらしい。
ならば稲荷大社の千本鳥居はめまいがしそうな程の扉の数である。
「それぐらいのことは知っている。それがどうした」
「焦るなよ桂御園」
本題はここからである。
鳥居の内側、神社の境内は神域である。
それは本当なのだろうか。
雁金空也が私に話した理論というものがある。
鳥居は確かに結界であり門である。
しかし神社の境内などという空間は神が人の世に持つ神の土地と言うだけである。
つまり神は人の世に自分の土地を持っている。それは人でいうところの別荘地ということらしい。
神はこの土地の地主と得意満面に私に告げた空也の顔は今でも覚えている。
「今から行くのは神の別荘地ではなく、神の本宅なんだよ」
「ほう。なるほど、にわかには信じがたいがね」
「そこは君のやり方で証明する」
百聞は一見に如かず。
私は鳥居の前で一礼した。
それから少し大きな声で
「葉子、僕だ。菊屋咲良だ」
といった。これで準備は完了である。
相手に声が届いていれば私たちは目的の場所へと行ける。
「これでいい」
「それだけか? なにかもっと仰々しい儀式でも必要なのかと思ったぞ」
呼びかけだけで十分だ。
私と桂御園は鳥居をくぐる。
私達に対する歓迎なのか向かい風が吹いた。
涼しげな風が頬を撫でる。暑さを忘れる気持ちよさだ。
「で、これでいいのか? なにも変わった感じがしないが」
「後ろを見てなよ」
私と桂御園が振り返ればそこに鳥居の姿はなく、また私達が通った道もない。
その代わりに湖が私達の眼前に広がっていた。
「面妖な」
「行くよ。あと少しだ」
湖に背を向ける。また風景が変わっていた。
石の道はなく、参拝客もいない。
そこにあるはずのない森が広がっているだけだ。