妖結婚 四から六
4―桂御園信太との対面―
寮は木造建築の学生自治寮である。
非情にガタがきている、ということは別にないが時代の流れは感じる。
夜に明かりがついているだけで誰もいない寮の玄関を見ていると背筋が凍るような錯覚を起こしそうではあった。
レトロといえば聞こえはいいが古臭いといえば古臭い。
私も桂御園もここに住んでいた。空也は住んでいない。彼女は優雅にマンションで一人暮らしを楽しんでいるがそれは関係ない。
引き戸を開ければまっさきに受付が見える。
自治領ゆえか外部の人間の宿泊も認められているためその窓口にもなり、時には寮について聞いたりすることになる。
「二名でご宿泊?」
ぼそぼそと聞き取りにくい声で受付の椅子に座った男が言った。
「……入居者だよ。菊屋咲良」
「菊屋? 菊屋咲良……あぁえっと、一階の真ん中の部屋だったよな?」
「違うよ」
「え、そうだっけな……えっと、そっちの人は?」
「雁金空也。見学、よろしいね?」
「あ、はい。よろしいです」
微妙な顔をしている男を放って私と空也は桂御園の部屋に向かう。
空也はぼーっとした子だねと受付の彼から離れた場所で耳打ちした。
桂御園の部屋は寮の二階。その奥の部屋であった。
私の部屋とかなり近い。
彼の部屋に近づくにつれ廊下に置かれた彼の創作物らしきものがごろごろしている。
空也はその中でも特になんだか目がちかちかするピンク色のダルマが気に入ったようでそれを大事そうに抱えていた。
祠はさすがに撤去されているのか彼が移動させたのか見つからなかった。
きしむ廊下を進む。
「なんかおばあちゃんの家思い出すなぁ少年」
「僕のおばあちゃんはこんな家に住んでいない」
「ウチのおばあちゃんの家、おっきいぞぉ。でも築ウン十年で床ぎしぎしいうんだ」
「悪かったね。ぼろい寮で」
「いやそんなつもりはないんだよぉ? ねぇ、少年さ、一緒に住むかい?」
音が聞こえた。ギターの音だ。どうやら桂御園は部屋にいるらしいと分かり内心胸をなでおろす。
桂御園が部屋にいなければ探すか待たなければいけない。
自由に行動している彼を探すのも待つのも骨が折れる。
彼にここで苦労せず会えるのは私にとって喜ばしいことである。
「桂御園信太さん、いますか?」
「ここに……んー? 君……ああ、女性の君。それは俺の作品だね? どうしたんだい? 欲しいのかい? くれてあげよう。どうせ駄作だ。俺の神はそこにはおりてこなかった。深窓の令嬢のつもりがネオンが似合う夜の蝶を作ってしまった」
「あはは……少年、彼もしかしてヤバいタイプの人?」
空也が彼には気づかれない声量で私に聞いた。
私は曖昧な笑みを浮かべてそれに答えるのを拒んだ。
桂御園信太は変人だが犯罪を犯すようなタイプではない。ただし迷惑にはなるタイプだ。
ヤバいといえばヤバい。だが危険かと言われればそうではないという感じだ。
「今日は誰も帰ってこなくて暇をしていたんだ。といっても彼らは俺の芸術が理解できん。ギターを弾いてやれば喜ぶが俺は音楽家ではない。では俺が何者かという話になるが俺は芸術家なのだ。なぁ君……ああ、男の君。君、ええっと……」
「菊屋咲良です。桂御園さん」
「桂御園で構わない……この寮に敬語はいらない。四回生も一回生も同じ立場だからな。ただ君が俺を尊敬したいなら話は別だがね」
「……今日は少し頼みたいことがあって来たのだけれど」
私は敬語を止めた。
彼の言葉に心打たれて敬語を止めたのではない。
さっさと本題を話してしまった方がいいと思ったのだ。
桂御園がギターを弾いているときは芸術に行き詰っているときでなにか打開策を考えている時。
彼の刺激になるような答えを求められるか、それとも気分転換に使われるような気がしたからだ。
「ははあ、個展か何かの誘いかな。だが悲しいかな俺には人に見せられるレベルのものが少ない。否、俺が納得して出せるものが少ないんだ」
「いや、そんなことではなくもっと簡単なことだ」
「ほう。なんだ? 作品のリクエストなら受け付けていない。それともなにか好きなナンバーでも弾いて欲しいか? あいにく流行りの歌は嫌いだが」
「取材をさせていただきたい。サークルの先輩があなたに興味を持っている」
「……なぜ」
「あなたが……その、水晶玉と結婚すると言っていたとかで」
桂御園信太の変人性を知っていたせいで私はこの言葉を何となく現実のものとして受け入れていたのかもしれない。
言葉にしてみてやっと私はそのことにおかしさを感じた。
この時に私は先輩にこのことについてなぜもっと掘り下げて質問しかなったのかを後悔した。
だが過去に戻ることはできない。私は桂御園の答えを待つ。
「……」
桂御園の答えは沈黙であった。
彼が適当に弾いた弦の音だけが響いている。
目を閉じて静止している彼は彫刻や置物のようであった。
「そうか。確かに確かに俺は水晶玉と結婚する。が、それは正しい表現ではない。水晶玉は無機物であり人ではない。そんなものと本当に結婚できると思っているのか?」
桂御園ならばやりかねない。
しかしそれを彼に言えるかどうかは別だ。
沈黙は金、私は沈黙を選んだ。
「まぁ、つかみのようなもんだ。落語で言う枕、曲で言う前奏やAメロみたいなものだ。興味を持たせるためのもの。センセーショナルな一面無くして注目無し」
桂御園は布団の中から水晶玉を取り出す。
それはとても美しかった。
光が屈折して集まっているのか中心ともいうべき部分が輝いて見える。
だがなにか曇っているような気もする。真水のような透明性はない。
輝く光もその水晶の中でだけ見えるもののように思えた。
桂御園が出してきたものだから不信感があるのか? それともこの水晶玉に警戒しているのか?
まるでそこを見続ければなにか引きずり込まれそうな感覚すらある。
「少年」
空也が私の服を背後から掴む。
手に引っ張られるように私は一歩、二歩と下がる。
「ふふふ。これが件の水晶だよ。俺の大事な伴侶だ。完璧な姿ではないがね」
「完璧な姿?」
「気になるか? 気なるのか? 教えてやろうか? だが、教えない。今は時間が悪い、夜になったら来い。そう丑三つ時にでも来い。そうしたらお前に真実を見せてやろう。それと、お前の先輩とやらに言っておけ、俺は誰も拒まない」
一方的にまくし立て満足そうにまたギターを弾く作業に戻る桂御園。
「それはどういう」
「百聞は一見に如かずということだ。これ以上は教えん、見せん、知らせはせん。気になったら夜に来い、それだけだ。ははは」
憎たらしく笑う桂御園。
正直彼と同室の寮生に同情する。少なくともこの短時間の会話で私は彼にいい感情は抱けなかった。
そんな彼と毎日同じ部屋で生活している人間というのもすごいものだ。
私はこれ以上食らいつくことはできないと思い、部屋から出ることにした。
百聞は一見に如かず。確かにその通りだ。しかしその一見が問題の一件であると考えながら私達は歩き出す。
「それじゃあな、帯屋。俺は誰も拒まない」
「……菊屋です」
5―空也とのひと時―
桂御園の部屋から出た私であったが直後に空也が約束だと言ったため喫茶店に入った。
クオリアと名付けられた店で洋風の外観とノスタルジックな内装。
古めかしいが手入れは行き届いている私たちのお気に入りの店である。
「で、どうするんだい? 少年」
私がケーキセットで注文したショートケーキにフォークを刺した辺りで空也は質問を投げた。
「気乗りしないよ。あいつの指定した時間に部屋に行くべきか悩んでる」
「ふうん。で、先輩って人はどうする? 少年がさっきのこと話したらついてきちゃうと思うぜ」
「何があるのか分からないし、もう少し詳細なことが分かったら先輩に知らせようと思う」
「そうかそうか。うんうん、それでいいんじゃないかな」
「やっぱりそう思うのか? なにかあの水晶玉からよくないなにかを感じたとか?」
私は彼女の意見を聞いておきたかった。
「正直、僕は嫌な予感がしているんだ」
「ん……んーまぁ、普通のものじゃあないよ。なんていうか、いわくつきって感じさ」
やはりそうかと私は自分の中で湧いて出た考えが間違ってはいないのだと確かめた。
そういうものに関していえば私より空也の方がよっぽど強い。
「にしても強烈……いや、なかなかの子だったね。桂御園君は」
「話が通じないんじゃないかと思ったよ」
「桂御園君っていっつもあんな感じなの? ていうか、寮に入る前から?」
「寮に来る前の桂御園は知らないけど……まぁ、僕より先に入居してるし。でも、僕が寮に入ったときからあんな感じだった」
「ふうん。そりゃ大変だ。私寝るときってすごく音に敏感になっちゃう性質でさぁ。夜にもしもギターじゃかじゃかされたら参るよ」
嘘をつくなよ空也。いっつも快眠の癖に。
「いっとくけど、寮生みんながあんな感じじゃあないからね」
「なに? そんなこと思ってないよ。ま、確かに折部寮っていったら変人の巣窟みたいに思われているみたいだけどさ」
こうして会話していると桂御園と話している時のような変な緊張感というものはなかった。
相手が空也というのもあるのだろうが、桂御園の自己完結的な会話を経て感じたことは彼の持つ自信だ。
自身への自信。絶好調という感じだ。余裕があり、こちらを上から眺めているような。
「変人の巣窟か……」
「お姉ちゃんから見れば世の中の皆が変人だよぉ。霊感はないし、お酒飲みすぎたら潰れちゃうしね」
「……」
そう、折部寮入居者が変なのではない。
変なやつが入居しているだけだ。雁金空也も世間から見れば変わっている。
一般人と同じ、というわけにはいかない。
彼女もまた霊感を持ち、彼女と共にいたからこそ知れた現実というのもある。
「ねぇ最近寮内で幽霊とかは見たかい?」
突然の質問である。
霊感体質ではあるが四六時中霊の類を見ているわけではない。
それに寮内と限定されるとさらにその回数は少なくなる。
というよりも寮内でそういうものに遭遇する回数はゼロだ。
「いや、見たことがない。あの寮ではそういうのとは会ってないよ」
「ふうん……」
「なにか気になることでもあるの?」
「いや、いいさ。気にしないでいいよ」
そういって空也はにっといやらしく笑った。
6―夜中にて―
時間がたてば当然日が落ち、夜がやってくる。
丑三つ時である。桂御園の提示した時刻だ。
私はあの後空也としばらくの間談笑を楽しんだ後、夕食を食べた。
その頃には私の心の中では桂御園との会話の時に感じた嫌な感じというは薄れ、行かなくてもいいかとも思い始めていた。
変人には近寄らぬが吉だ。
であれば今日のことは忘れて寝てしまおう。そして先輩にはアポは失敗であったと伝えれば余計な事にはならない。
そう思って私は床に就いたのだが、どういうわけだか丑三つ時に目が覚めた。
口の渇きを感じて水を飲めば、完全に目が覚めてしまった。
同じ部屋の者たちが気持ちよさそうに寝ているのを見るとため息が出そうになる。
このまま約束を反故にしてもいいが眠れない夜ほど退屈で嫌になる。
これは約束を守るという子供の頃に学んだ母や父の教えにしたがった行動である。
何か問題が起きそうなら怯えたふりをして逃げてしまえばいい。
そう私は自分に言い聞かせながら桂御園の部屋に向かう。
「来たか……扇屋」
「菊屋です」
「あぁそうか気にするな。許せ」
桂御園はあの時と変わらず座っていた。
彼から視線をそらすといるはずの同居人たちがいないことに気づいた。
桂御園と同室が嫌でどこかにいるのか、それとも今日は帰っていないだけか。
「ところで、その、どこなんだ。あなたが結婚する相手っていうのは」
「ん? そうか、そうか。そうだったな。安心しろ、そろそろ起きてくる」
あの時同様布団から水晶玉を取り出す桂御園。
それは窓から入る月の光を吸い込んで輝く。
桂御園が愛おしそうに水晶玉を撫でると呼応するように水晶の輝きが増していく。
まるで水晶が照明器具のように強い光を発する。
私はその光に視界を潰され、反射的に目を細めた。
桂御園の高笑いが響くと光が収まり、先ほどまでと同じように薄暗い、外の月光だけが視界を助ける部屋に戻った。
「紹介しよう。葛葉という、我が最愛にして最高の女性よな」
顔を上げ桂御園の方を見ると、桂御園の横に女性がいる。
はっきりと言って、美しい女性だ。
髪は烏の濡れ羽。顔は白く、目つきは切れ長で黒すぎるほどに黒い。
真っ白な紙の上に墨をこぼし、それを筆で伸ばせば彼女の目になるのかもしれない。
狐を思わせる顔つき。背は女性にしては高く、和服に身を包み、ゆっくりと私に頭を下げる彼女は大和撫子といって差し支えないのではないだろうか。
なるほど、これほどの美貌であれば桂御園信太が惚れ込むのは分かる。
しかし水晶の輝きと彼女。無関係ではないのだろう。
なにより何もないところから人が出てくる。それも電球に明かりを灯すような手軽さで現れるというのは普通ではないだろう。
「どうだ、美しかろう」
「え、えぇ……」
「ふふ、お前はいいセンスをしている。こいつの美しさが分かるのだから」
「葛葉いいます。その、あんさんは……」
「菊屋咲良です、葛葉さん」
標準語ではないアクセントであった。
私が生まれ育ったこの土地の言葉ではあるが。
「ところで骨屋」
「菊屋」
「そうか。まぁ、座れ。ところでお前、霊を見たことはあるか?」
私は床に座りながらため息をついた。
この質問をするということはつまりそういう事だろう。
「あぁ、あるよ。ということはつまり」
「待て、皆までいうな。俺がいう。葛葉は俺達とは違う。もっと高次な存在、そう神のようなものなのだ」
神のようなもの。違和感を覚える。
葛葉さんが人ではないものであることはわかっている。
しかし神とは思えない。であればあの水晶玉がご神体にあたるのだろうか。
神と言い切らなかったあたり、桂御園がなにか考えていっているのかもしれないが。
神と幽霊。もっといえば神とそれ以外。
それらは似ていても違いがある、私はかつて空也からそう教わったのだ。
それはどういう所だったかと考えながら、私は葛葉さんの顔を見つめる。
もっとも顔を見ただけで何かがわかるわけがない。
少なくとも桂御園の顔を見続けるよりは幾分マシである。
「あのぉ……うちの顔になんかついとる?」
「え。あぁ、いえ。そんな」
「うふふ。変な人。でも、菊屋はん。そないにじぃっと見つめられたらうち……照れてしまうわぁ」
薄く笑った後に顔を赤らめる彼女。
私は自分の立場がなければ真剣に彼女を恋愛対象に入れていたかもしれない。
出来れば違う出会い方がしたかったというのが本音だ。
葛葉さんに釣られて私も笑うと、痛いほどの視線を感じる。
桂御園だ。その時にはっと彼がいたことを思い出した。
「糸屋。人の伴侶に色目を使うとはいい度胸をしているな」
「は、ははは……は。あまりに魅力的な女性だったからぼーっとしてたみたいだ。よくこんな子を射止めたね」
「ふん。まぁいい。許す。かっかしたところで葛葉が俺の女であることは変わらんしな。それに射止めたんじゃない、惹き合ったのだ」
それから彼はギターを鳴らしつつ彼の世界を展開し始める。
夜ということもあるのか私の集中力は欠けていたのだろう、心ここにあらずな返事をしながら葛葉さんや桂御園、部屋の中など様々な場所を見ていた。
ふと部屋のすみを見れば、なにかが一塊になって黒い影が出来ている。
彼の話の腰を折るのは面倒だと思い、私は桂御園にその影について聞くことはしなかった。
いよいよ話も大詰めなのか桂御園がひと際大きくギターを鳴らすと、どさりと音だした。
桂御園の方からではない。窓からだった。
私は窓の方を見た。私だけではない。葛葉さんも桂御園もだ。
月光が差し込み薄暗い部屋を照らしてくれている。
きらきらと美しい光のスポットライトの下にいるのは着流しをきた男だった。
続いてなにかが窓に放り込まれる。
人だ。飛んできた人物は着流しの上に落ち、着流しはカエルがつぶれたような声を出した。
放り込まれたのはジャージの女性。二人とも重なったままピクリとも動かない。
「桂御園、君の友人?」
「まさか。俺に友はおらん。その反応だとお前の関係者でもなさそうだな」
彼女たちの目的がなんなのか、そもそも彼女たちが何者なのか、私も桂御園も知らない。
季節外れのサンタクロースかと冗談でもいってやりたい。
流石にこのまま放っておくのはまずいと思い、二人に近寄ろうとした時に第三段が現れた。
その人物も窓から部屋の内部に飛び込んできたが、違う点があるのならば華麗に着地して見せたというところだろうか。
「ふむ。ここで間違いないかな」
着地を成功させたのは背の高い女性だ。
体に合わないサイズの大きな服を着ている。
「ん? 古市。話が違う。今日は桂御園一人しかいないはずじゃないの」
「そこなんすけど、俺も正直驚いた。根回ししたんすけどねー。どっちが桂御園の嫁? そっちのちっちゃい子?」
「着物の方よ。大きい方」
話が違う。根回し。ここに桂御園の同居人がいないことを知ってきているのか。
彼女たちはたまに寮内で見るような活動家とは違う。
もし冗談ではなく本当に桂御園の同居人が今夜この部屋にいないように仕向けていたのならばなにか目的があるはずだ。
それと私は桂御園の伴侶ではない。加えてちっちゃい子と言うな。気にしてるんだ。
「おい、あんたが桂御園信太でいいっすよね? そっちの人は?」
「いかにもたこにも。俺が桂御園信太。そして彼女は葛葉。こいつは……あー紺屋だ」
「菊屋です」
「ユートピアから参りました。あたしが若王子羽彩。着流しが過書古市。ジャージが相生初」
以後お見知りおきをと言って、若王子さんはお辞儀をした。
ユートピア。言葉の意味こそ知っていても私はそれに聞き覚えはなかったし、そんな団体があることなども知らない。
彼女たち自身がそう名乗っているだけで実際は存在しないものなのかもしれない。
だが、彼女たちの顔に冗談めかしたような雰囲気はない。
頭痛がしだした私とは対照的に桂御園は余裕そうな顔を浮かべていた。
「ユートピア? 知らないな」
ギターを引っ張り出しキザに弾いてみせる桂御園は普段の彼そのものだろう。
いきなりこんな正体不明の集団に出会っていつも通りでいられるあたり、彼と私では住む場所が違うのであろう。
「ま、そのへんはどうでもいいの。あたし達の目的は二つ。一つ、桂御園信太あんたをシバく。二つ、その女を殺す。以上」
「いまのは聞き捨てならんな八王子。シバかれる理由も、伴侶を殺される理由もないんでな」
「若王子ね。あたしらも依頼受けて来ているの。ジタバタせずに受け入れて欲しいわ」
にこにこと笑っている若王子さん。
床の上に寝ころんだままの過書さんと相生さんは退屈そうにしている。
「冗談は面白いものだけを口にしろ!」
そう叫んだ桂御園はギターを若王子さんに向けて投げつけた。
顔面に向かって飛んでくるギターを見つめたまま避ける様子のない若王子さん。
私は顔を覆いたくなったがそうする前に問題は解決する。
彼女が腕を振った。うっとうしい蚊でもよけるようなてぶりで。
しかし彼女の手に当たったギターは手の勢いからは考えられないほどのスピードで床に叩きつけられる。
ギターの音色が聞こえる。それは桂御園が奏でたときに聞こえるものとは違う。
千切れる弦が最後に残した悲鳴や遺言と同じものである。
「手荒。ただ、力任せはあたし好みよ」
相生さんのジャージを掴んで彼女を持ち上げた。
まさかと思ったが彼女が思い切り振り被ったときに理解した。
「ちょ、ちょっと待って」
私が二人の間に入ったその時だ。
若王子さんはまるでチリ紙をゴミ箱に投げるような手軽さで相生さんを私と桂御園に向かって投げた。
彼女たちは仲間じゃなかったのだろうか。
飛来する相生さんを見つめながら、私はそんなことを考えていた。
「おッ」
「あいたっ」
なんとか受け止めようと力を入れてはみたものの、相生さんを受け止めることはできなかった。
むしろ構えてしまったからこそ真正面からぶつかってしまう。
腹が圧迫され内側からなにかが漏れ出す感覚。打ったのか頭がちかちかするして頭痛が強まる。
「あーちょっと、大丈夫?」
「なんとか……」
紳士的に返したかったが先ほどの衝撃のせいで相生さんの問いに力なく答えた。
なぜ彼女は平然にしているのだろうか。ぶつかった側にもそれなりの衝撃があったはずだが。
「なんで入ってきちゃうの。怪我しても責任とれないわよ」
ため息交じりにそういう若王子さんに私はほんの少し怒りを感じた。
なぜ私はこのような人間たちを相手しなければならないのか。
この場合二人の間に入った私の方が悪いのかもしれないが、人ひとりぶつけられて謝罪がなかったことは少々頭にくる。
やはりこの部屋には来るべきではなかった。しかし怒っても悔やんでもどうにもならない。
「横から部外者がモノを言って申し訳ないけど、話が読めないんだ。なぜ彼女が殺されなきゃいけない」
「巻き込んでしまったのはこちらの手違いだし謝るわ。だけど少年、これはお芝居でもなんでもないの」
若王子さんの目が私を見つめる。まるで貫くかのような目線。
こんな暑い夜なのに彼女の目のなんと冷たいことか。
背中にじっとりと汗がにじむ。私は蛇に睨まれた蛙だ。
「あたしたちは退魔サークルユートピア。化け物を退治するのが仕事なのよ」
退魔サークル。化け物退治。そんな集団がいるとは知りもしなかった。
しかしこの場に退治される魔である葛葉さんがいる以上、本物なのだと感じさせられてしまった。
「さて、少年は今回の件に無関係だしちょっと観客に回っといてもらおうかしら。初」
「あい」
私の上に乗ったままであった相生さんが私の服を掴む。
彼女は鼻歌を歌いながら私を引きずって歩いていく。
人を投げた若王子さんに負けず劣らずの怪力である。
女性に力で負けてなるものかと体に力を入れて踏ん張ろうとしたがそれが出来ない。
というよりも手足が拘束されているかのように動かない。
「……糸?」
私が自分の手足を見てみれば月光にきらきらと光るものがある。
それは糸のように細く、しかし全く千切れる様子がない。
むしろ肌に食い込んで痛いくらいだ。
いつのまにかミノムシ状態にされている。その事実に驚いている間に私は彼女たちが侵入してきた窓際へと運ばれていた。
相生さんはどっかと私の上に座った。完全に好きなようにされている。手も足も出ないとはこのことだ。
「ごめんね。羽彩さんの腕にかかれば一分も経たないうちに終わるよ」
終わらせたくない。私は心からそう思った。
彼女と私はつい先ほど会ったような縁だ。
しかし私は彼女の笑った顔が偽物とは思えない。
あの赤らみながらも笑った彼女が悪い人間だとは何となく思えなかったのだ。
何となくでいい。証拠不十分かつ説明不十分だ。
桂御園信太という人間はあまり好かないが、葛葉という妖を私は嫌いになれていなかった。
私は彼女を救うべきだと考えたのだ。
桂御園がシバかれるのはどうでもいいが、彼女が殺されるのは我慢できない。
「にしても熱いな。最近は夜も熱いと思いませんか? 相生さん」
「ん? 急にどうしたー? この辺は木が生えてて影が多いから涼しいけど、来るときはじっとり暑かったよ。夏だしね」
「特に日中なんて焼ける様に熱くて、僕は熱いのが苦手なので地獄のようですよ。晴れていると太陽が憎らしい」
「大げさだなあ。暑いのは確かだけど地獄ってほどじゃないんじゃない? にしてもさ」
「なんですか」
「このタイミングでそんな天気の話なんて君は案外能天気なんだね。あはは」
能天気に自分の言葉に笑う相生さん。
私も彼女に合わせる様ににぃっと笑ってみせた。
桂御園は葛葉さんをかばいながらゆっくりと後ろに下がる。若王子さんは彼が一歩下がるごとに一歩詰めていく。
戦力差は明らかだろう。
「えぇ、火照ってくると頭もゆだってくるのくるのかもしれませんね」
汗が顔から吹き出る。あつい。
流れる汗が目に入って痛い。火照る。あつい。顔の温度が上がる。赤面したかのようだ。
先ほどまで窓を開けているだけである程度過ごしやすかったのに不思議なことだ。
血が沸騰しているのかと錯覚してしまう。心臓が早く動く。鼓動が耳に響く。
あつい。熱い。暑い。あつい。
「こんなに熱いと体に火が付いたみたいだ」
私の体に火が付いた。比喩ではない文字通り燃え上がる。
めらめらと赤い炎が体を腕を足を燃やしていく。
それに驚き、相生さんは飛びのいた。
「焼身自殺?」
「まさか」
「初、どうしたの」
「燃えてる」
「は? あんたなに変な事……」
若王子さんの視線が桂御園から私に移る。
相生さんの視線も釘付け。過書さんもひいたような表情で私を見ている。
夏のビーチで視線を集めるよりも簡単に彼女たちの視線を私に誘導したのだ。
「ねぇ少年。あなたいったい何をしているのかしら?」
「あなた達の邪魔をしようとしている」
今の私は炎のように燃え上がる情熱的な男なのだ。
実際燃えている。
ぐっと体に力をこめる。糸が千切れそうだ。燃えているのかもしれない。
なんとか立ち上がると、彼女たちに向かって一歩踏み出した。
その時腹部に鈍痛走る。
私の体が浮き上がる。幼いころ、父の手によって行われた高い高いという遊び。
それをこの歳になってできるとは思わなかった。
ただし、優しく両手で支えてくれた父の手はなく、代わりに私の腹に叩き込まれたであろう拳が見えた。
若王子さんである。私は一歩近づいた。しかし若王子さんとの間は一歩では埋められないほどの距離があったはずなのに。
背中に衝撃が来ると高校の頃柔道の授業で受け身を失敗したときのことを思い出せた。
肺の中の空気が出たような感覚。ちかちかとする頭。
天上にぶつかったのだろうが、まるで床に落ちたかのような気分であった。
しかしやはり天井にぶつかったと思い知るのに時間はかからないだろう。
地球の引力に惹かれ私は天井から床に落ちるのだから。なぜだか笑えて来てしまった。
走馬燈らしきものが見えてきそうだ。
幼い時の事、失敗した時のこと、先輩にパシリにさせられたこと、宝くじ当選。
違う。これは私の走馬燈ではない。
あぁ私は落ちるのだ。訳の分からないことに巻き込まれその結果死ぬのだ。
両親や空也になんと説明しようか。
菊屋咲良は寮の天井と床にぶつかって死ぬのです。
にわかには信じがたい。というか、この高度で死ねるのだろうか。
私の脳細胞は活性化されたのだろう。
短時間にたくさんの考えが生まれてめぐる。
背中が天井から離れる。もう駄目だと、私は目を閉じた。
体への衝撃……が、弱すぎる。
全身が床に叩きつけられると思っていたがそんなことはない。
これはどういうことかと思って閉じた目を開けば、私は俵のように誰かの肩の上に乗っていた。
「もうちょっと格好良くキャッチしたらよかったなあ」
「空也」
「やぁ、少年。お姉ちゃん登場だぁ。惚れ直したかい?」
横を向けば至近距離に顔がくる。
酒臭い息が鼻から体内に侵入をしてきた。間違いなくこの女は雁金空也だ。
恐らく空也も窓からひってきたのだろう部屋の出入り口を出入り口としていないあたり常識が通じない。
「何でここにいるのかしら。雁金先輩」
「あはは、心配で見に来たのさ」
「あたし達を?」
「ううん、少年をさ」
雁金先輩。たしかに若王子さんはそういった。
赤の他人ではない。先輩後輩の間柄であり相手の名前を把握している。
偶然か? しかしここに彼女たちがここに来たことを知ったうえで来ているのなら無関係ではないだろう。
「はーちゃん。しまった、逃げられたっす」
「ん? ……あ」
部屋の戸の方を見れば桂御園はもういない。
ユートピアの面々は火のついた私と空也に意識を向けていた。
全員が標的である葛葉さんや桂御園から目を離すあたり彼らは手慣れてはいてもプロフェッショナルではないようだった。
「帰ろう。はーちゃん、うーちゃん」
「えーまだ近くにいるんじゃない? 建物の中なら逃げるルートもある程度決まってきそうだけど」
「いやいやいや、止めとこうぜ。どのみち俺は下りるっすからね。イレギュラー多すぎて今日は運気よくないっすわ」
「羽彩さん、どうする?」
「……興がそがれたわ」
ため息交じりに若王子さんは呟く。どうやらこの場は収まったらしい。
若王子さんは二人を掴むと窓枠に足をかけた。
どうやら彼女の頭の中では戸と窓は同じものであるようだ。
同じ国に生まれ、同じような義務教育を本当に受けているのだろうか。疑問である。
「今日の所は様子見ってことにしましょう。それと雁金先輩」
「ん? なんだい?」
「肩、燃えてましてよ」
私はてっきり若王子さんは飛び降りるのかと思ったが、彼女は窓枠の上にしゃがみこみ、その体勢から跳躍した。
まるで鳥が飛び立ったかのように上昇する姿は跳躍というより飛翔のようだ。
落ちていったと思えばなにかを踏み台にしたのかまた跳び上がる姿が見える。規格外すぎる移動方法だ。
「少年、そろそろ下ろしていい?」
「あぁ、うん。ありがとう」
本当なら安全が確認できた時点で下ろして頂きたかったが文句はいうまい。
「ところで少年。私の肩焼けてる?」
「焼けてないけど」
「ん、おっけ」
満足そうに笑う空也は月明かりに照らされてとても綺麗だ。
しかし普段全くそれを感じさせないのは奔放な性格というより酒臭さのせいである。
「まさかお前達が奇術師とは思わなんだよ」
戸の方に振り向けば桂御園と葛葉さんが立っていた。葛葉さんは怯えたような目で桂御園の後ろに控えている。きっと桂御園を信頼しているのだろう。
「違う。奇術師じゃない」
「ではなんだ。体から火を出せるが自分は一般人だと?」
「それも違う。僕らは⋯⋯そうだな」
私達には秘密がある。体から火を放つことが普通であるはずもない。誰にでもできることではない。
であれば私は間違いなく一般人ではない。
「僕らはガラパゴス人間だ」