妖結婚 一から三
1―はじめに―
愛というのは人間の持つ物の中でかなり難解なものなのではないだろうか。
神愛や性愛、種類を問わず愛と名のつくものは難解で厄介であった。
少なくとも私からすればの話であるが。
人と化け物の話をしよう。
まず諸君らに聞かねばならないことがある。
超能力、異能力、その他人間の超常的な力を信じるか?
妖怪変化、魔物、化け物その他人ならざる者の存在を信じるか?
信じてもらわねばならない。それは私たちにとっての現実なのだから。
2―きっかけ―
あの夜の話をするにはそれにつながる日常の話も合わせてしておかなければならない。
しなければならないが、しなくてもいい。
しかしそれは小説を結末から読むこと、三幕の舞台を二幕半ばから観ること、曲をラスサビから聞くようなものになるのかもしれない。
よって、誠に勝手ながらそれらについても語ろう。
「ガラケーってよ、ガラパゴスケータイの略って知ってるか?」
ある日、サークルの部室でのことだ。その日は先輩と二人きりであった。
クーラーの風が涼しく、体が冷えていくのを感じる。
私は小説を読み、先輩は原稿用紙と向き合っている。
小説のページをめくる音と原稿用紙に文字を書き込む音が部屋で起こるすべての音だったがそれらの静寂に近い音とは違う音がした。
先輩の声だ。私は小説から目を離さず先輩に対して言葉を返した。
「まぁ……それは一応」
「俺さぁ、ガラパゴス諸島って島だからよ、つまり世の中のシェアの中心、大陸であるところのスマートフォンと比べてそう言ってんだと思ってたんだわ」
海に浮かぶ島、大陸とは切り離された土地。
それゆえに先輩はガラケーと呼ばれるモノは世界から取り残されたもの、という意味で認識していたらしい。
しかし賢明な諸君が知るように現実はそうではない。
「だけど違ったんだわ。ガラケーっていうのは島じゃなくて生物の方だったのさ」
「生物」
「そう。世界じゃあ流行しなかった機能ってのが日本の携帯電話にはあったんだってよ。それがガラパゴスの生物みてえなんだと」
ガラパゴス諸島の生物が独自の進化を遂げたことは有名な話であろう。
海藻を食べるウミイグアナや大型のリクガメなどがそうだ。
携帯で買い物の会計が出来たりテレビが見れたりというのは日本で独自に進化していった機能らしい。
その日本国内における携帯電話の進化とガラパゴス諸島の生物の進化を重ねてガラパゴスケータイとなる。
「で、俺は思ったんだなあ。俺たち人間の中にもガラパゴス人間がいるんじゃねえかなって」
「ガラパゴス人間?」
「変人って感じかな。ま、俺からしたらお前も十分ガラパゴス人間って感じだが」
私はその言葉に顔を上げた。私は記憶してはいないが恐らくむっとした顔をしていたのだろう。
悪い悪いと詫びの言葉を述べながら笑って言葉を続ける先輩の顔があった。
「霊感体質っていうの? 見えないものが見えたりするんだろ?」
「僕だって好きで見てるわけじゃありません」
「素質っていうかよ、ガラパゴス人間に必要な要素だと思うよ。それに折部寮だったろ?」
にやにや笑っている先輩に私は文句の一つでも言ってやりたかった。
だがそれをしなかったのは、否しなかったのは私は胸を張って否定できる自信がなかったからだ。
霊感体質は真実だ。電車に乗っていて飛び込みをした人間が見えたりや自殺の名所で頭から血を流した人物を見たことはある。
二つ目の寮については私個人の意見だけではどうにもむなしく聞こえてしまう気がした。
折部寮。私が生活するその寮は大学内ではそういう話題性を持つ寮なのだから。
曰く折部寮に住むモノは馬鹿者か変人かもしくはよほどの好き者のみ。残りはみな人外とのことである。
実際に住んでいる私からすれば大げさだろうとは思うが馬鹿者がいないのか聞かれれば確かにいると答える。
問題は寮で起きるものではなく重要なことではない。問題は人が起こす。それが重要であると思ってはいるが。
「この理論っちゅうか考え方だと折部寮の入居者ってのはけっこうな確率でガラパゴス人間だ。そう例えば……」
わざとらしく指を一本、先輩は立てた。
「桂御園信太って知ってるか?」
「寮でたまに顔合わせたりしますけど」
「俺は会ったことないんだが、折部寮の入居者だろ? かなりヤバいなやつなんだってな。宗教家っていうか表現者っていうか」
「本人は芸術家って言ってますけどね」
「ふうん……なぁ、だからさ。ちょっとアポイントメントを頼みたいんだよ」
「アポイントメント?」
「あぁ、取材のな。桂御園信太をモデルにしたキャラを作ってみたいんだよ」
「それ本気で言ってます?」
「マジもマジ、大マジだって。頼むわ。上手くいったらいい飯おごってやるからさ」
気乗りはしない話であった。先輩は時々食事などを対価にこういった面倒ごとを頼むことがあった。
だが、その中でも今回の話はあまり動きたいと思える案件ではなかったのだ。
私は桂御園信太という人間を知っている。
先輩がどういう経緯で彼について聞いたのか知らないが確かに彼は普通の人間と言い難い男性であった。
ガラパゴス人間の称号は私より彼の方がふさわしい。
ただ、私自身彼が何を考えているのか興味があった。
変人には近寄らないが吉で、触らぬ神にたたりなく、君子危うきに近寄らない。
そう知っていながらも、私は首を縦に振ってしまったのだ。
「じゃ頼むよ。可愛い後輩、えっと……」
「菊屋ですよ。菊屋咲良」
にやにや笑った先輩の言葉を背に部室を出ようとした。
善は急げ、思い立ったが吉日ということでもなくさっさと寮に戻って桂御園信太の接触しなければ面倒だと考えたからだった。
思い返せば少し急いでいたのかもしれない。
「あいつ、水晶玉と結婚するんだって?」
私の背に向けていった先輩のおかしな言葉の意味を確かめることなく私は歩き出したのだから。
3―彼女の話―
桂御園信太は変人である。
それが私の住んでいる大学の寮の入居者で私の部屋に近い部屋に住んでいた。
文学部の人芸学科、哲学を学んでいる二回生、らしい。
桂御園信太は変人であったが芸術大学に行かなかったのが不思議というほどには芸術家でもあった。
絵画だけでなく工作的なことも得意らしく変なオブジェや絵を作り上げてはそれを寮内に放置している。
そしてインスピレーションが湧いてこなければギターを弾いているという。
また何やら祠のようなものを寮のいたるところに設置していた。
週に一回は祠の前で何かを称える歌を歌っている。神だのなんだのといっている。
彼が信仰する神について詳しく知るものは一人としておらず、また一人として知ろうともしない。
大学の講義に全く出ず芸術と謎の神に心血を注いでいる男。それが桂御園信太だ。
そのため二回生ではあるが留年でそうなっている。本来順調にいっていれば四回生。
寮の方針で年上であろうとため口を使うことが出来るが、その普段の行動も相まってさんづけをしてしまう者も多い。
この場合敬っているから敬称を付けているのではなく、お近づきになりたくないと心が鳴らした警鐘が現れているのかもしれない。
社会や学校といった集団の中で孤立し独自の進化を遂げたガラパゴス人間、それが桂御園信太だ。
「お、少年」
頭の上から声がした。
身長の問題で頭の上から声がする経験は少なくない。
声の主に返事をするために顔を上げる。
私を少年と呼ぶ人間はこの世に一人しかいない。
「なにしてる」
「やぁ。ちょっと野暮用でね。あっはっは。少年はこれからどっかお出かけかい?」
「……寮に戻るよ」
「どこか喫茶店でも行かないかい? 私がおごってあげるよ。懐あったかいからね」
「そんな所にいる人とは行きたくないかな」
「あはは、お姉ちゃんにちょっとは優しくしてくれよぉ。それにそんなこと気にしない気にしない」
私に声をかけた女性がいたのは我らが大学の正門、そこの上だ。
校門の上に器用に立っている。
彼女は雁金空也という。私にとっては先生であり先輩である。
いつも酒臭くへらへらとしていて軽薄で自分勝手な女だ。
よくお姉ちゃんを自称するが血縁関係はない。
彼女は姉のような存在ではあるが当然姉ではない。
「悪いけど、予定があるんだ。すぐに済むようなことだとは思うけど」
「じゃあついて行こうかな。少年の用事が終わったらどっか行こうねぇ」
校門から飛び降り、私と肩を組む空也。
私の顔を覗き込みながらにっと笑って見せた。
彼女の呼吸を感じる。いつもの深いゆっくりとした呼吸だ。
それと同時に鼻につくアルコールの香り。また飲んでいた。
僕は彼女の汗を手で拭ってやった。
「いいよ」
私は彼女の望みを聞いてやることにした。大抵こういう場合、彼女は決して折れないし結局なんだかんだでついてくるに決まっているからだ。
なので私はいつも通りに、呼吸をするように彼女の行動を許した。
我ながら悲しいことだ。
「あ、途中でお酒買ってもいい?」
「ダメだが」