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少年は薄い闇の中を駆けていた。なによりも速く走り続けているのか、玉のような汗を額にびっしりと浮かべている。ぽつりぽつりと明りがあり、その明りで現在、彼の周りの様子がそれとなく分かってくる。どうやら彼がいる場所はトンネルらしい。鉄骨がむき出しにされた、カビ臭そうな空間だ。
そこはヒトが存在しない。存在してはいけない。数十年前まではおそらく、ヒトという生命体が存在していたのだろう。しかし今は、その名残しかない。雨水が漏れ、地面を濡らしている。悪臭漂うそこは、少年にとって不快以外の何物でもなかった。捨てられた人形と思われる物が落ちており、ふとした拍子でそれを踏んでしまう。するといとも簡単に分解されてしまうのだ。落とした少女は、もし生きていたとしてたら一体いくつなのだろう。いや、この人形はただ単に劣化していただけなのかもしれない。不安と恐怖で、彼の頭の中はそんな無駄な事でいっぱいだった。そうだ。それはもしかしたら筋肉がバキバキの三十代のオジサンが持っていたかもしれない。少女だとは限らない。頭を振り、切り替えて正面を向く。
数分前に先発隊がトンネルへと侵入したのだが、彼に違和感が芽生える。先発隊の姿が見当たらないのだ。さらに、次々にすれ違う人間とは違う魂たち。その誰もが敵である少年に向かって攻撃してこない。
「マリエッタさん、様子がおかしいです!」
『……』
通信は途切れたかのように、ウンともスンとも言わなくなった。インカムの奥の方では怒声のようなものが常に放たれているのにも関わらず、マリエッタと呼ばれた人物からの応答はない。内容を盗み聞きしていると、どうやら作戦が裏目に出てしまったようだ。トンネルが封印の役割を果たしていたのだが、それが今解き放たれ、平和が破られようとしている。
「俺はどのように動けばいいんですか! このまままっすぐ、敵本陣へ乗り込めばいいんですか!」
もちろんたった一人でそんな事が出来るはずもない。少年はヤケになっていた。周りは敵だらけ。味方の姿も見当たらず、唯一頼みの綱であるマリエッタからも応答がない。司令部には混乱が広がり、逃げ惑う声に変わるのにも、そう時間はかからなかった。
四面楚歌。周りには誰も味方はいない。逃げる場所も、余裕もない。さらにいえば……武器も物資もない。手元にある物はフォークとリコーダーだけ。こんなのでどう戦えばいいのか、少年には皆目見当がつかなかった。魔法アイテムかなにかだと思ったのか、突然少年は笛を鳴らしてみる。ぷー、ぴー、ぴょろ~と鳴らすと滑稽な音がした。エーデルワイスでも奏でようとしたのだろうが、うろ覚えのようで上手く音が出ていない。と、音色が原因か、敵がこちらを向いているではないか。四足歩行型でずっしりとした体形。漆黒の鎧に身をまとい、それでも素早く動ける彼らはどうも漆黒のライオンに見える。だけど顔は人間にも見える点が不気味なところだ。下手したら人面犬になりかねない。ここは敬ってスフィンクスと言った方がいいのだろうが、スフィンクスに失礼なので正式名称のラバズと言っておこう。