世界征服と平和祈願
ずっと昔から世界征服をしたいという願望は持っていた。自分でいうのもなんだが私はかなりお人よしで、そうして平等な博愛主義者だ。
嘘をついたがどこまでが嘘かもわからぬほどには太平楽でもある。世界征服は簡単に成ると思い込んでいたくらいには。
「キミのために世界をあげる」
「私がいちばん偉い人でいられるのなら、ええ、いただくわ」
なんどこういう遣り取りを夢見たか。私が夢女子という単語を知ったのは去年か一昨年だがイマイチ理解していないうえで断言させていただく。
私は夢見がち女子だ。いまで例えるならドリームジャンボ一等前後賞を税抜き価格で貰いたいという妄想が近いか。
嘘だ。ここも嘘だ。
世界のぜんぶが欲しかった。小学生辺りから子供を産むまで、そう思っていた。むしろ世界の覇権をどうして私にくれないのかとすら思っていた。
だってそうでしょう、私は争いを望まない。
いまある幸せに、もう少しだけの幸せを上乗せしてあげたい。
親族も自身の生涯もまるっと呑み込んだような憎しみの連鎖は嫌い、というか理解できなかった。誰かが殺された。ならば許せる奴が許せばいい。許せないなら恨んで行け。司法世界のまかりとおるご時世で敵討ちは許されない。後進国が先進国に追いつきたいのなら、まず理不尽な殺戮からやめなければならない。
だったら征服者の強権をもって「復讐禁止」の令を発布すればいい。
偉い人の言うことには逆らえないのなら、私の一存をもってして「報復不可」とやればいいのだ。はぁい解決したね。世界平和万歳だね。
憎しみは何も生まないと唱える口で誰かを罵る行為を、ずっと疑問に感じていた。深い問いではない。単純に意味が通らないというか、行動に一貫性が無いせいで本人にとってどちらの主張が大きいのかを量りかねる。そういうことだ。
もろちん私の言っているのは宗教戦争だとか土地の境界線で揉め続ける人たちのこと。近々の例でいくのなら隣市との仁義無き罵りあいみたいな奴。
少し大きくなれば、戦争とはつまり物資の取り合いだったと気がついてくる。人口に対して資源の少ない国特有の問題だ。しかしこれ、私の住む県ではあまりピンとこない。海と山に囲まれ豊富な食べ物がある土地では血で血を争うようなことには発展しないのだ。まぁそのぶん小競り合いは陰湿化していっておいそれと手のつけられないものになるが。殺人事件ではないのでそのあたりはスルーさせていただく。
いや、いいや。それだって私が首長になればいい。されたことは水に流し、水に流せないことは労働で打ち消させればいい。理不尽な目にあったと主張するのなら報復を是とするか? お前の子供が今度は殺される。それを理解してるのかと諭せばいい。
少なくとも労働なら生産性がある。朝から晩まで汗みずくになって疲れ果てるような生活で、人間、そうそう馬鹿げたことにエネルギーを割けない。
私はそう思っていた。
どうやら私には負の感情割合が極端に低いのではと思い至ったのは子供を産んでからだ。端的に言うと嫉妬や妬みの感情がほぼ無い。
ほぼ、と曖昧にしたのは主人と弟にだけは嫉妬の感情が湧くからで、ここからよくよく分析すると彼らは私の身内であり対等な立場での男性であるというくらいしか共通項が無かった。
兄は目上で同級生は他人、妹や子供たちは保護すべき立場であるからには、なるほど、私には対等な立場の男性というモノが非常に少ないことになる。
推して知るべしという結果になったが、だが待ってほしい、そういうことじゃない。
世界が欲しかったのだ。
私は博愛主義者なのだろうと思っていたが違うとわかってきた。むしろどちらかというと他人が平等に苦手なのだ。特に感情をベースにした争いを忌避する。世界が欲しいという願望には、もうこれ以上涙を流したり剥き出しの悪意を垂れ流して欲しくないという我儘が根底にある。
見たくない。聞きたくない。
ニュースは嫌いだ。被害者、加害者、双方の感情が流れ込んできてツライ。
いつの間にか、私には世界征服の野望が消え去っていた。毎年、七夕の笹にはデカデカと世界征服と書いていたものだが近頃では家内安全と書いている。
七夕は自力で叶えるよう努力する願いを書くものなので正しい。
子供が生まれてから、世界は私のモノになった。
私は、たった1年ほどで小さな巨大世界を構築した。その世界にはたった一人の住人しかいないが長ずれば幾人も内包でき得る。そんなたいそうなモノを独占し支配し生殺与奪の権利を一手に握った。
私が死ねば腹の中の子は死ぬ。
私が苦しければ腹の中の子も苦しむ。
赤ん坊をミクロンの単位から作り上げたのは私の身体。
優越感なんてものはなく、妊娠期間中はこれでもかというほど苦しめられた。ちょ、ま、こんなキツイとか先に言っとけよ張りに10か月は長かった。それでも出産と育児は人としての道だと教えられていたので疑問に思う隙もなく着々と妊娠期間を過ごしたわけだが。
けれど、でも、出産直後のことだ。産湯をつかわせてもらった一子は、それはもう鮮やかに泣いた。泣き喚いた。
私が泣いてないのにあの子が泣く。
この瞬間、私はあの子とは他人なのだとしみじみ思い至った。
いまどきの産院ではカンガルーケアというシステムがある。生まれてすぐの子は母の胸に置かれ心音を聞かせるという流れが主流(だと思う)。
置かれた赤子は熱かった。泣いていた。私と息をするタイミングが違う。助産婦さんが手際よく初乳の手続きをし乳首を咥えさせる。本能で赤子は吸いつくもので、このときはもう泣いていない。
恐ろしいほどの感慨が沸き起こった。だいたい初産は10時間程度かかる。私は破水から始まったので微弱陣痛を約8時間ほど味わったわけで、もうへとへとだった。赤子は貪欲に乳を求める。
私は喉が乾いてないのにこの子は乳を求めている。熱い。いっておくが赤子の体温は高いものだ。疲れ果て汗で冷えた肋骨に沁みる熱源。
生まれてすぐの赤子は醜い。書物では天使が如くに描かれていたが実物は違い、素で醜かった。正直に言うと義父にあまりにも似ていて困惑した。
一か月ほどは乳をやるたびに義父にあげているかのような錯覚を起こしたほどだ。
私は眠たくないのにあの子は寝ている。
私は眠りたいのにあの子は泣き喚く。
しみじみ思うが、これを他人といわずしてなんと呼べばいい。
ときおり、自分のしたかった未来を子供に押し付ける親だとか、自己投影甚だしくむしろ自分の過去をなぞり書きさせているような親という表現を見かける。
あれが、私には不思議でしょうがない。
どう贔屓目に見ても私と子供たちは他人でしょう。そうして、他人に自分を押しつけても再構築は不可能だ。結果としてアウトプットは違うに決まっている。クローン技術で同じ個体が生まれるか? 否。そんなことはもう何十年も前からSF作家たちがこぞって書いているじゃないか。思考実験はとうに済まされている。では実体験として貴方は実の両親のクローンか? 否。ほら、実体験ですら不可能という結論は出されている。似ているのとクローンであるというのは天と地ほどに違うこと。
環境が個性を作り上げる。気質がどれほど似ていようと『同じ物』はできない。彼らをして自分の上質化はできようが、これは自分よりもレベルが上の人間を作り上げるという意味だと思っている。
劣化コピーを知らず作ってしまうような凡人には到達しきれない行為ではなかろうか。
だいたい、他人をどうこうしようと思うことが不遜なのである。
私は腹の中の胎児の生殺与奪権を持った。産んでみれば他人の生殺与奪権を半年ほど強制的に持たされた。私が世話をしなければ死ぬ生き物なんて拾った生まれたての猫くらいで、そんな生き物ですら2日もたてば皿から自力でエサを食べる。
さらに言及すると、あいつらの意志というモノはまことにクッキリハッキリとしている。食べ物の好みなんてあぁた、同じ兄妹でココまで違うかと言いたくなるほどだ。しかも彼らは私の存在だけを頼る。パパに行けよと言っても私に来る。ママが迷子になったと泣く。違う、お前らが迷子なんだ。
彼らの生活全般の世話をしながら、私は彼らの世界をもまた手に入れている。
あ、もう結構です。
世界征服に対する感情は現在こんな感覚だ。1回ならず3回も世界構築と征服と維持管理した。もういい。もういらない。私は私の世界だけで手一杯です。
異世界トリップ、転生物に出てくる神さまが倦むのもむべなるかな。他人の世界を維持管理する、この作業はすこぶる面倒臭ぇぞ?
視野の狭い彼らを、つまるところいまはまだ小さな世界に生きている彼らを、いかに大きな階層へと引き上げてやれるか。憎しみは何も生まない。知ってるともさ。なぁ聞けよ。聞いてくれよと言っても視野狭窄な子供たちの目にも耳にも入らない。家族でコレだ。世界征服における他人の割合なんて17億分の1(ざっくりしすぎていてスマン)、いかに強大な権力を持っていても人の気持ちは変えられない。当事者であっても聞いてもらえるはずがない。
もっと広い世界があるのに。
可能性を示唆する、そんな手伝いしかできないのが、結局のところ世界征服者の役割なのだと私は思う。反発され尊敬され複雑に愛憎絡み合った感情を持て余す彼らを、私にとって全くの他人である彼らをも含め、本当のところ上層へと蹴り上げたい。楽にしてやりたい。
負の感情は適度がいい。強すぎる気持ちは疲れてしまう。
けれど、どうやって他人にそれを諭せばいい? 答えはもう出てる。無理。
私は、わりとどこにでも書いているが世間知らずの箱入り娘で溺愛され過ぎて育ったため、理解が遅くなってしまった。齢40を超えようやく、世界征服は面倒臭すぎて、みんなはしないのだと知った。
見守り人、管理者のほうが感覚としては近い。
…………ああ、そら、見るがいい。ほらね、結局のところ世界の支配者は何十年も前のSF小説の呼び方に帰るわけだよ。
私は世界征服と平和を祈り、自分の分を超えない範囲で彼らの宇宙を見守っていくことしかできない。
神様のように何もせず。