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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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短編ホラー

残響

作者: 壱原 一
掲載日:2026/08/26

風が無く蒸す炎天下。


ぎらんぎらんと陽が高く、一面しろく褪《あ》せて見える。不随意に膝が落ち背が曲がり、もはや汗も掻けず悪寒がする。


ぐらりぐらりと煮え滾《たぎ》る陽炎のうねりに目が回り、遂《つい》に頽《くずお》れ、蹲《うずくま》ると、逆上《のぼ》せて草臥《くたび》れた体が待っていましたとばかりに地べたへ伏して憩《いこ》い始める。


焼けた小石が皮膚に埋まり、硬い青葉が頬に刺さる。乾いたにおいを嗅ぎながら、胡乱《うろん》な半眼で先を見る。


何ら遮《さえぎ》る物の無い田園を突っ切る畦道《あぜみち》を、後もう暫く行けば山裾の民家へ辿り着けた。


暗む視界と遠退《とおの》く音と微睡《まどろ》む意識の途切れ際に、上から差し掛かる影と、砂利を踏む足音を感じ取る。


*


一つ、瞬きした位のつもりで目を開けると、俯《うつぶ》せの姿勢はそのまま、民家の廊下に移っていた。


磨き込まれた木の床に体の熱が染みている。


甘い木の匂いに巻かれつつ起きて振り返った背後は玄関で、半端に開いた戸の外に、炎暑《えんしょ》の畦道が続いている。


上がり框《かまち》から突き出た足が引っ掛かるついでに靴を脱ぐ。


誰か居ないか見て回るも、人が住んでいる様子はない。どこもそこもすっかり片付いて、建具《たてぐ》が隅へ寄っている。


外で、どう、と風が渡り、追って、かしゃかしゃ、さかさかと、家の周りで枝葉が揺れ、屋根や壁に擦れる音が立つ。


淡いざわめきが遠退《とおの》くと、元の静けさが際立って、ぴんと張った聴覚の糸を微かに爪弾《つまび》く音に気付く。


家の右奥の辺りから、小さな人為《じんい》の音がする。


隣家の窓から漏れ聞こえる、テレビや何かの音に似て、一か所から多彩に散っている。


定間隔の円い音や、時折はねる高い音、点からわあっと広がって、細かにさざめく音などから、炊事をしていると取れる。


けれど位置が低く、床を這《は》って聞こえ、ぼんやり解《ほぐ》れ、籠《こも》っていて、生身の音とは思えない。


音を伝って右奥へ行くと、薄暗い台所へ行き着く。


物が無ければ人も居らず、火の気も水気も絶えている。


縦の面格子が付いた、凹凸硝子の窓から、庭木の緑の木漏れ日が差し、朧《おぼろ》な光の落ちる床に、1枚、割烹着が伏せている。


何度も洗われ、着倒されたろう、毛羽立った、柔《やわ》そうな質感で、ふんわり山を成していて、音は中から聞こえてくる。


傍へ屈み、耳を澄ますと、手際良い調理音の合間に、離れた所で戸が開いたり、廊下を行ったり、何事か話したりする音もある。


更に良く聞き耳を立てれば、奥の方で扇風機が振れて、周期的に風鈴を鳴らし、軋《きし》む座椅子で誰やらが、広げた新聞紙を捲《めく》っている。


脇でばしゃばしゃ水が撒《ま》かれ、子供らと犬が燥《はしゃ》ぎ合い、みんみん、しゃわしゃわ蝉が鳴き、季節は夏と窺《うかが》える。


熱に倦《う》んだ怠《だる》い意識が、ほうっと引かれるに任せ、毛羽立つ山の頂きを、そっと抓《つま》んで、持ち上げる。


するりするり横へ退《の》けてゆくと、磨き込まれた木の床に、黒い頭髪が見え始め、小振りな人頭が現れる。


どう収まっていたものか、小玉スイカ程の大きさで、3、40の歳の頃の、頬がふっくらした男。


左側を床へくっ付けて、横向きに据《す》わり、目を閉じて、何とも安らいだ表情で、赤子の如く親指を吸っている。


すう


ふう


と穏《おだ》やかに行き交う男の息の源《みなもと》で、殊更《ことさら》まぶしく、何気ない、夏の日の音が鳴っている。


知らず知らず退け続けた先で、男の首と手が融《と》け合い、捏《こ》ね掛けの生地の様にくねり、大樹の根の様にうねっている。


ある根に垂れ耳の雑種犬、ある根に半ば埋もれた子供、ある根に微笑む女の目元、ある根に節くれた男の手。


肌の粘土で模《も》した風に、一色で、精巧に浮かび上がり、徐々に木の色を帯びながら、綯《な》い交ぜになった終端が、艶《つや》めく床から生えている。


抓んだ指から力が抜け、割烹着が落ち、溜め息が出る。


干上がった喉を熱が抜け、流れ、流れて底を尽き、小玉の男と向かい合い、同じ高さで音を聞く。


いつかの夏の日の残響に、すう、ふうと耳を傾け、奥へ、先へと聞き入って、ゆっくり、くねり、うねり、融けてゆく。


ひんやり吸い付く木の床に、安らいで目を閉じる刹那、上から差し掛かる影と、緩《ゆる》やかに覆い被せられる、柔い布の感触を感じ取る。


茹《ゆだ》って疼《うず》く足先が、ひんやり埋もれ、沈んで行って、次に浮かび上がる時には、嘗《かつ》ての、眩しく、何気ない、夏の日を奏でる事だろう。


独りでに身が竦《すく》んでいって、丸まり、俯《うつむ》いた口元の、唇に触れた温かさを、含んで、離さないように吸う。


すう、ふうと息衝《いきづ》いて、吸う度に澱《よど》んだ熱が解け、暑夏《しょか》の畦道の行き止まりで、半端に開いていた戸が閉まる。



終.

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