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第五章

 国境を越えると、そこは戦場だった。

 幸いに追っ手と遭遇することなく、国境の山を越えてヴーゴスネアにたどり着いた一行を待ち受けていたのは、荒廃した戦場だった。

 ある村落は、家屋ことごとく火を放たれたかむき出しにされた柱は黒こげになり。また黒こげの柱が何本も横たわり。戦乱で命を落とした人々の、多数のむくろ横たわる悲痛極まりない光景を、容赦なく一行の瞳に投げかけた。

 まさに死の世界さらけ出す廃墟であった。

 だが、山野の景色は人のおこないなどかまわず、冬支度と葉を紅に染めゆき。川は淡々と流れ。紅に焼ける夕陽は山々に沈んでゆこうとする。

 クネクトヴァとカトゥカは、生まれて初めて見る悲惨な光景にひどく心をいため。言葉を発することさえ不自由する有様であった。

 ここでは、どのような戦争が繰り広げられたのであろう。

 オンガルリでは、ドラゴン騎士団がよく守り、こういった集落を巻き込んだ戦争はなく。常に人の住まぬ高原などでおこなわれるのが常であっただけに、コヴァクスとニコレット、ソシエタスの衝撃も小さからぬものがあった。

「ひどい」

 と一言、ニコレットは痛ましげにつぶやいた。

「誰だ」

 と言う声がした。

 声の方を向けば、村落の生き残りであろうか、二、三十人ほどの人々が姿をあらわした。戦争になって逃げ出し、落ち着いた様子なのをみて、もどってきたようだ。

「……」

 我らはオンガルリ王国ドラゴン騎士団の者たちだ、とコヴァクスは言おうとしたが、人々の瞳凍りついたかと思わせるほどの冷たい視線に射られて、言葉が出なかった。

「そうか、お前ら略奪に来たんだな」

 と一人言って石を拾うと、また一人一人と石を拾い、

「出ていけ、汚らわしい盗賊ども!」

 と口汚くののしりながら、石をなげつける。相手が五人しかおらず、また戦争によりすべてを奪われた怨みを、一行にぶつけようとする。

「ちがう。我らは……」

 と言おうとしても、彼らは聞かず。怒りのまま投石し、中には鍬をかかげて飛び掛るものまであった。

 その気になれば造作もなく勝てる相手だが、斬ることはできず、馬をけしかけその場から逃げ出すしかなかった。

 人々は怒声をあげて追いかけてくるが、馬脚にはかなわず。しばらくして、声は消え、追ってこなくなった。

 オンガルリでは考えられないことであった。バゾイィーは戦争がないときは、国内をよく治め、人民の生活に気を配っていた。だから盗賊のたぐいは出ず、騎士たちはタールコとの戦いに専念できた。

 また国境を越えてくるヴーゴスネアからの難民も受け入れ保護もした。

 ドラヴリフトが、内政に専念せよと助言するのも、根拠なきことではなかったのだ。

 冬も近づく中、陽も落ちれば途端に空気は冷たくなり。闇が世を追おう。

 一行やむなく野宿をする。 

 旅立ってから屋根のあるところで寝ることなく、寒さを堪えて身を寄せ合って野で夜を過ごしてきた。

 混沌の地に希望を見つけ出そうと思った。

 困難なのは百も承知であったが。いざとなれば、そこにただよう絶望に飲み込まれそうだった。

 オンガルリでは、ドラゴン騎士団がよく守り、人の住む集落を巻き込まずに戦争をしてきただけに。

 戦場とは、戦争をしている真っ只中のことばかりをいうのではなく、戦争という嵐や竜巻が通り過ぎて傷ついた地も含まれることを知った。

 冷気に当てられながらの旅は続く。その中で幸いであったのは、南へ下るにつれて、比較的冷気がやわらぎ過ごしやすいことだった。それでも、山から吹き降ろす風は冷たく肌を裂くようで。やはり寒いことにはかわらない。

 かといって帰る場所もなく。

 進むしかなかった。

 戦場の中を。

 何度悲惨な光景を目にしただろうか。

 彼らはドラヴリフトの遺志を受け継ぎ、新生ドラゴン騎士団を結成しオンガルリに秩序を取り戻すことが目的だった。その目的は、戦場の悲惨な光景を目の当たりにして、形を変えつつあった。



「ゆくぞ!」

 コヴァクスは叫んだ。

 それまで、戦いそのものにぶち当たることはなかったが。ついに、眼前で刃閃き血煙あがる戦いに出くわした。

 それは彼らにとって、異様な光景であった。

 正規軍と思えぬ貧相な軍装をしながら、目は餓えた狼のようにぎらついた集団が。老人子供をかかえ、戦えるものの少ない一団を襲っていた。

 それは戦いと言えるものではなく、一方的な殺戮だった。

 幼い子供が、斬られて、悲痛な声をあげて絶命した。一方で、相手を斬るよりかかえている荷物を奪い取ることに血眼になる者がいた。

 それは盗賊が避難民を襲っているのであった。 

 老人や子供まで手にかけられることを見たコヴァクスは、電光石火、怒りに燃えて剣をかかげ馬を飛ばした。それに、ソシエタスにカトゥカを預けたニコレットも続く。

「なんだてめえら!」

 人の声とも思えぬだみ声の怒号が響き、楽しみの邪魔をされた盗賊はコヴァクスらにも襲い掛かった。クネクトヴァは短剣を握りしめつつ、カトゥカとともにソシエタスにしがみつく。

 コヴァクスとニコレット駆け抜け剣光一閃するごとに、盗賊はたおれゆく。それはあまりにもあっけなく、手ごたえなく、その弱さにかえって驚くくらいだった。

 が、数は向こうが上、およそ三十人は越えるだろか。それを相手に戦うのはコヴァクスとニコレット、ソシエタスを含めてもわずか七人程度だった。

 戦えるものは剣や槍を握りしめ、必死に応戦するが、いかんせん数の不利があり、一人たおれ、また一人たおれる。

「ガジェンさん!」

 と女が叫んだ。たったひとり褐色の肌をし、長い髪を振り乱して、右手で小斧を振るい左手で盾を持ち盗賊の攻めを防いでいた。

 たおれた男は馴染みだったのだろう、女は怒りの声があげてめちゃめちゃに小斧を振りまくった。それで二人ほどたおしたが、

「このアマ!」

 と怒鳴りながら、敵は次から次へと襲いかかってきて。一瞬の隙をつかれ、後ろからはがいじめにされる。

 しまった、と思う間もなく剣が振りかざされたとき。突如あらわれた騎乗の騎士が、またたくまに女を囲む盗賊を切り伏せ、間一髪で命を取り留めた。

(誰だろう)

 と思ったが、今はゆっくり考える暇はなく。戦列に加わり、小斧を振った。

「きさまが大将か!」

 コヴァクスは、ただ一人馬に乗る大将らしき盗賊に向かって駆けた。他の雑魚はニコレットが討ち果たしてゆく。ソシエタスもクネクトヴァとカトゥカを守りながら善戦し、その甲斐あって誰も近づかない。

「ち、ちきしょうめ」

 大将らきし男は気迫みなぎるコヴァクスに恐れをなしてうめき、

「おぼえていやがれ!」

 と捨て台詞をはいて、我先に逃げ出す。慌てた盗賊どもも、奪い取った物を捨てながら一斉に逃げ出した。

 それを追いかけようとしたコヴァクスであったが、

「お兄さま、それよりも襲われた人たちを!」

 とニコレットが呼び止めるので、「ちっ」と舌打ちしつつ、馬を返して人々のもとに戻った。

 勝った。しかし、そこに嬉しさはなく。悲しみがあった。

 死んだ子供を抱きしめ、号泣する母親をはじめ。盗賊に殺された家族や友人のなきがらにすがり嗚咽する人々の姿を目にして、なんと言ってよいかわからなかった。

 馬を降りたものの、コヴァクスとニコレットは手綱を持ったまま立ちすくむ。

 勝っても喜べないなんて、初めてのことだった。ただすこし離れたところで、人々の悲しみを眺める以外、なにもすることがないように思われた。

 ソシエタスも下馬し、クネクトヴァとカトゥカをともなってそばまで来たが、これも言葉なく。悲しみを堪えているようだった。

 クネクトヴァは、手を合わせて祈りの言葉をつぶやき、亡くなった人々の冥福を祈る。コヴァクスとニコレット、ソシエタスにカトゥカもそれにならい、冥福を祈った。

「あの……」

 とひとり声をかけてくる者があった。褐色の肌をした女だった。

「助けてくれて、ありがとう」

 と女は言った。言いながら、一行を不審そうに見つめていた。

「いや、我らはただ義によってあなたたちをお助けしたまでのこと」

 とコヴァクスは言うが。助けてくれる者があるなど信じられない、という風に、感謝の色薄く女は、いや人々は一行を眺めている。

(助けられても、嬉しくないのか?)

 それほどまでに、戦争で傷ついているのか。と思わざるを得なかった。

 様々な感情をないまぜにした視線が、一行に突き刺さり。決して放そうとしなかった。それが心苦しい。

 女は一旦後ろを振り向き人々を見てから、 

「私はバルバロネ。流れ者の傭兵だが、縁あってこの人達と一緒にいる。あんたたちは?」

 と言った。

「オレはオンガルリ王国ドラゴン騎士団、コヴァクス」

「私も同じく、ドラゴン騎士団のニコレット」

「そして私は、おふたりにお仕えするソシエタスでござる。この少年と少女はクネクトヴァにカトゥカ、縁あってともに旅をしている」

 自己紹介を聞き、バルバロネは呆気にとられた思いで一行を見ていた。

 オンガルリ王国のドラゴン騎士団といえば、その強さドラゴンのごとしとたたえられるほどのもので。その名は広く伝わっているから、バルバロネも知っていたが。

 まさか、という疑いが沸き起こるのも無理はない。コヴァクスにニコレットといえば、小龍公、小龍公女とも称される貴族の貴公子に令嬢ではないか。それがわずかな共とこの戦乱の国に、どうしているのだろうか。

 だが、小龍公女ニコレットは色違いの瞳を持つといい。その通り、色違いの瞳の少女騎士が、いま目の前にいてニコレットと名乗った。

 剣の腕も確かで、人格も良さそうだ。

 が、それだけに、いっそう頭は混乱しそうだった。これが一介の流浪の剣士であれば、問題はなかったのだが。

「ドラゴン騎士団!?」

 バルバロネだけではなく、避難民の人々すべて、驚き一行を凝視する。

「なぜドラゴン騎士団がこんなところにいる?」

「それは……」 

 言いづらそうにしていたコヴァクスとニコレットだったが、ソシエタスはやむを得ぬと頷くのを見て、すべてを打ち明けた。

 国のために戦いながらも、奸臣イカンシのために反逆者の烙印を押されて王の軍勢に討伐され壊滅したこと。そこで大龍公ドラヴリフトは命を落としたこと。やむなく国を出て大龍公の遺志を遂げるべく、新生ドラゴン騎士団を結成してオンガルリ王国に秩序を取り戻そうとしていること。

 バルバロネをはじめとする避難民の人々は、呆然と話を聞いている。

「私たちは、オンガルリに行くつもりであった……」

 というバルバロネの言葉を聞き、コヴァクスとニコレットは心に釘を打たれるようであった。

「そんなことがあったというなら、オンガルリに行っても、意味はないのか……」

 オンガルリはヴーゴスネアからの難民を受け入れ保護している。この避難民の人々も保護を受けるため、オンガルリにゆく最中であったのだが、そんな政変があったとなれば、保護政策もどうなることか。

 私欲の強いイカンシが、難民に慈悲をかけるとは考えられない。今ごろは王を操り、オンガルリを自分に都合のよい国に変えていることであろう。

 となれば、難民保護政策も、打ち切られる怖れは十分にある。いや、最悪の場合タールコに攻め落とされるかもしれない……。とコヴァクスらは思っている。

「ちきしょう。終わりだ。何もかも終わりだ!」

 と誰かが叫んだ。

「逃げ場などない。結局オレたちは戦争で死ぬしかないんだ!」

 男は泣き喚き、落ち着けと言う声も無視し、手足をばたつかせ地面を転がりまわっている。

 見苦しい姿ではあったが、誰も馬鹿にできなかった。

 我が子を殺された女性が、眠る我が子を抱きしめながら、天を仰いで子守唄をうたう。ぼうや、お母さんももうすぐいくからね、と悲しげな歌声は天に向かってそう語っているようだった。

 人々に絶望感が広がり、それは見えない手で底なし沼に引き摺り落とされているようだ。さきほど武器を取って戦っていた男たちさえ、絶望に飲み込まれ力なくうつむいている。

 バルバロネは肩を震わせ、

「落ち着けみんな!」

 と叫んだ。戦いを生業とする傭兵だけに、声には張りがあり、耳とともに心さえも打つほどの威勢があった。そのおかげが、皆バルバロネの方に目をやり、一旦は泣き止む。

「まだ終わったわけじゃない! オンガルリがだめなら、『赤き月』のもとにゆこう!」

 と、避難民の人々に言う。

 避難民の人々の絶望ぶりに言葉なかったコヴァクスらではあったが、赤き月がなにかわからないながらも、新たな希望の種であることくらいは察しがついた。

「あんたたちにもお願いしたい。赤き月のもとにゆくまで、この人たちを私と一緒に守ってもらえないか」

 バルバロネはコヴァクスらにもそう懇願する。

 突然のことに、戸惑うコヴァクスとニコレットであったが。バルバロネの眼差しにえもいわれぬ熱気を感じ、断れないのをさとっていた。

 が、まず赤き月がなんなのか知りたい。

「それはいいが、赤き月とは、何か教えてほしい」

「ああ、そうだったね。赤き月ってのは……」

 ヴーゴスネアに戦火広がり、国が七つに分かれて激しく刃を交え国土は荒廃し。また人心の荒廃も著しく、すさんだ弱肉強食の世界が繰り広げられ盗賊が跋扈する中にあって。戦争の破壊や盗賊から人々を守っている義軍であるという。

 頭領はイヴァンシム、副頭領はダラガナといい。ともにヴーゴスネアの軍隊にいた将校であるが、王族や貴族が私欲のために戦争を繰り広げるのに嫌気が差し、私財を投じてどこにも属さない義軍を結成し、人々を守るため各地を転戦しているという。

 赤き月とは、ヴーゴスネア王国が功労者に送る称号で。様々な気象条件のため、希にしか現れない赤い月の美しくまた威厳ある赤さを讃るとともに、建国以来「あなたは赤き月のようだ」と功労者に送る称号とされ。

 イヴァンシムは王国より与えられた称号を義軍の名将に使用している。

 それは、あくまでも国のために戦うことを誇りとする気持ちからだというが。イヴァンシムにとって国のために戦うとは、人民を破壊から守ることであった。

「赤月公・イヴァンシム殿でござるな。ご尊名はうかがっている。どこの国にも、義の人はあるものですな」

 ソシエタスは感心しながら言う。コヴァクスとニコレットも、隣国の功労者の名を知らぬわけではない。たしか、戦争で敵に勝つよりも、窮地に陥った味方を救うことで武勲を立てた武人である。

「それなら願ってもないことだ。オレたちも、イヴァンシム殿のもとに行こう」

 とコヴァクスは乗り気になった。他も異存はない。

 だがバルバロネはまだ心配そうだった。

「だが、一箇所にとどまらず各地を転戦しているから、いつ会えるやらわからぬ。だからこそ、あんたたちが頼りなのだが」

「なるほど……。だがわかった。赤き月と出会えるまで、この人たちを守ろう」

 戦いには、大義がいる。

 ヴーゴスネアを彷徨い行き場を見失いかけていた一行だったが、弱者を守り義の人と出会うという大義、目的を得て、心が潤いと熱気をおぼえたようだった。

「ありがとう。ありがとう……」

 端正で勇敢そうな顔を明るくし、バルバロネはよほど嬉しくて、みんなの手を握って礼を言った。

 かくして、五人のドラゴン騎士団はバルバロネの守る避難民とともに、赤き月を求めて、戦乱の地を旅することとなったのであった。



 ヴーゴスネア。

 オンガルリ王国の南西に位置する国であり、南方に海を臨む。南方とはいえ、海岸線は南東方向に伸び。国土もそれに沿って南東方向に伸びている。

 さらに南へ下れば、都市国家=ポリスが群れをなすエラシアにたどりつき、海岸線はエラシア南部をなぞってで北上したのち、南下して、西に向かっている。

 ヴーゴスネアの気候はオンガルリに比べて変化に富み、南部北部ともに四季はあるが、北部の冬は厳しく南部は穏やか。逆に南部は夏暑く北部はゆるやか。

 とくに海に面した南部はオンガルリよりはるかに過ごしやすいと旅人はささやく。

 オンガルリ同様、かつての西の大帝国の西端の属州であるが。過ごしやすい気候とあいまって、人の行き来も盛ん。それは、川と川が交わるようにして、大陸の東西文明が融合することを意味した。

 だがそれは、興亡の多さも意味した。

 国境定まることは十年と続くことまれで。

 西の大帝国が滅びてからというもの、さまざまな民族がさまざまな方角から流れては交わり合い渦巻き合い、土着する者、新天地を求め旅立つ者をと振り分けて。その流動は今もなお続いている。

 それらの民をまとめ、ヴーゴスネアを建国したのがレスサス王であった。

 オンガルリ歴で見れば二百八十九年、二十七年前のこと。

 統一王と称されるレスサスは善政を布き、国の特徴を生かし様々な国の出身者や民族の人民を受け入れ、才能さえあれば王宮に仕えさせもした。だが残念ながら、王宮にオンガルリ出身者はいないらしい。

 また土地を拓きさまざまな産業を興し経済や「分け隔てない」文化興進にも力を入れ。またヴーゴスネアの各都市を国際都市とし、諸外国との貿易も盛んにおこない。

 地域によって多少の格差はあれど、国は比較的豊かであった。

 無論軍事力の維持もおこたらず。これもまた出身国や民族の別なく採用した才能溢れる軍官の率いる強力な軍団を擁していた。

 タールコはドラグセルクセスの先代の王に当たるアンドレイオスの時代に、幾度となくヴーゴスネアを攻めたが、レスサス率いる多国籍軍により撤退を余儀なくされ。以後は敵対しながらも、国境の警備を強化し隙をうかがうことに専念し。

 そのおかげでヴーゴスネアは平和を享受していた。

 オンガルリ歴で見れば二百九十六年の、二十年前までは……。

 ちょうどコヴァクスもその年に生まれた。その年に、レスサス王は死去。これを機に、王宮内での権力闘争が激化し、内乱が起こった。

 それまで抑えられていた、王宮内でうごめく魑魅魍魎が顕在化し、人々を権力欲に駆り立てて。

 われこそ正当なる後継者と、まっさきに乱を起こしたレスサスの三男トレイヴィンは、以前から器量劣ると批判し続けていた長男のスウボラと次男のエムアルーニを攻め殺し。

 その仇討ちとの大義名分でスウボラ派とエムアルーニ派の貴族たちは挙兵しトレイヴィンと激しく刃を交えたが、この両派は手を組むどころか互いを邪魔者扱いし、三つ巴の戦乱を巻き起こし、戦火を国土に広げた。

 その混乱に、あざとい者が黙っているわけもなく。一番南東端に位置するソケドキアの貴族、フィロウリョウはすかさず独立し、ソケドキア王国を建て自身は王位についた。

 これをきっかけにして、各地方の貴族は続々と独立し王国を立て、ついには国は七つに分裂し。統一の歴史に幕を閉じた。

 またレスサスが統一王と称される根拠であり、苦心してつくりあげた最高傑作である、民族融合策も、無に帰し。

 一旦まとめられた諸民族は七つの国に別れ住むようになり、互いに牽制するようになった。

 それぞれの民族は、自分たちを大事にしてくれる王につく。諸王もまた、自分の出身の部族や自分を支持する部族を大事にし権力闘争の道具とし、敵対する部族には容赦ない制裁を加えた。

 人の心は不思議なもの。自由と平等を求める一方で、差異も求めた。

 それは同じ人の心から発するものなのに、外にある、言葉や習慣の違い、肌や髪、瞳の色の違い、信じる神の違いのせいにしながら。

 皆と同じように人間として生きることを望みながら、他者は人間とみなさず。皆と同じように人間らしい生き方をもとめ、今日もまた、他者をふみつけにする……。

 それが一番楽に、己の人間性を自覚できる生き方であるからだという。



 形見のために髪の毛の束や爪を切り取り、死者の埋葬をすませ、神弟子であるクネクトヴァが冥福を祈る神の言葉をたむけて。

 五人のドラゴン騎士団を加えたバルバロネの守る避難民の一行は山野を踏みしめ旅を続けた。

 避難民は二十人おり。男は三人だけで、女は十七人もいる。最初はもっといたのだが、戦乱や盗賊との戦いで、その人数は減る一方であった。ことに男は、戦争に取られたりしたこともあっためなおさらだった。

 破れ目のある幌をかけた三台の粗末な馬曳き車に、老女と女性、子供が分乗して乗り。男とバルバロネは武器を携えて徒歩でゆく。

 いざという時に備え、コヴァクスは騎乗で先頭に立ち、右後ろにニコレット、左後ろにソシエタスがつく。

 クネクトヴァとカトゥカは馬車に乗り、子供たちの面倒を見ていた。

 戦えるものは、七人。先の戦いで三人が死んだが、新たに三人加わったので、おあいこ。どころか、ゆえありといえど、勇名響くドラゴン騎士団が守ってくれるとなれば、これほど心強いことはない。

 最初こそ緊張に震えていた人々も、日が経つごとに表情が和らいでくる。

 ことにドラゴン騎士団の一行は、破れている幌とはいえ、夜休むときに久々に屋根の下で寝ることが出来。また毛布も借りられて、まこと久しぶりとなる安眠を得ることが出来た。

 幸い盗賊や戦争に遭遇することなく、旅が続けられて。このまま赤き月と出会えれば、と希望も抱きはしたが。かなえられぬものであるのもまた希望。

 思わぬところで足止めを食うこととなった。

 それまでなるべく無人の野を選んでいたが、やはり馬曳き車が三台もあると道を選ぶ贅沢はできず。やむなく切り開かれた道を通らねばならぬときもあったが。

 その道を通れば、集落にたどり着く。集落には人がいる。

 強そうな四人の戦士がいる避難民を見て、集落の人々は、その周囲に群がってくる。人が群がれば、道をふさがれて進むに進めない。

 何事か、とコヴァクスらは警戒したが。

 杖をつき頭の白い、集落の長らしき老人が、

「どうか我らも一緒に連れて行ってくだされ」

 と懇願する。

「そう言われても……」

 その集落も、戦乱の傷痕深く。元の姿をとどめている家屋はなく、新たに建てられたと見られる墓碑が多数見受けられた。

 集落の人々は、荒廃したふるさとを捨てて、新天地を求めているようで。コヴァクスらが、その新天地に導いてくれると信じているようであった。

 自分たちはイヴァンシム率いる義軍、赤き月を求めて、先行きの見えぬ旅をしているのだ、と説明したが。それならなおさら、連れて行ってほしいとすがってくる。

 赤き月、イヴァンシムの名は、この戦乱の地において絶大な吸引力があるようだし。なにより、コヴァクスにニコレット、ソシエタス、そしてバルバロネといった頼りになりそうな者の姿にもひきつけられているようだった。

 そこへきて、ゆえあってドラゴン騎士団の騎士がいるとなると、オンガルリの政変に驚きつつも、

「このような人がいるなら、守ってもらえるかも」

 という、淡い希望が濃さを増したようだった。

 いたずらに人が増えれば、移動が困難になる。かといって、見棄てるわけにはいかない。

 どうするべきか、とバルバロネと相談した結果。いざというとき、まだ身体の十分に動く男は武器を持って戦うことを条件に、旅に加えることをゆるした。

 人々は神を見たかのようによろこび。仕度を整えて、避難民の一行に加わる。そこで総数は六十人を越え、その中で戦える者はようやく二桁の十二人になった。といっても、もとは素朴な農民やきこりであるため、武器らしい武器はなく、斧や鍬といった農耕具を代用して、いざというときにこれを得物とする粗末さであったが。

 馬曳き車も増えて、避難民はにわかに賑やかさを増した。

 話せる人、苦しみを共感できる人、そして互いに力を合わせられる人できることで、心にうずまく絶望感がいくらかやわらぎ。

 無事に赤き月と出会えるといいね、と希望を口にしだしてきた。

 支度するうちに、日も暮れた。

 その晩は休んで、翌日陽が昇ってから出発することになった。一行は、家で寝れると大喜びであった。

 集落の人々は、

「もう皆ボロ家ですが……」

 と恥らうも、贅沢は言ってられない。なにより、もっと悪い環境の中旅をしていたのだ。家屋の中で寝られることほどの幸福があろうか。一行は感謝することしきりだった。

 食事は粗末なもので。乾いたパンのかけらに豆、干し肉数切れだったが。足らぬ分は、希望でおぎなった。

 コヴァクスらも空いた一軒屋をあてがわれて、謝意を厚く表し喜んでくつろいだ。が、ランプ灯す部屋の中で顔を影にうずめるように、ソシエタスは浮かぬ顔をしていた。

 使命感に燃えるコヴァクスとニコレット、クネクトヴァにカトゥカ、バルバロネは、どうしたのだろう、と浮かぬ顔をするわけを聞いてみれば。

「いや、人が増えれば移動が難しくなります。いざというとき、我らとバルバロネ殿の主だった四人以外は戦う訓練を受けておりませぬ。それで、どこまで守りきれることか」

「なんだい、しけたことを言うじゃないか」

 とバルバロネは頬をぷっと膨らます。コヴァクスにニコレットも、自分が懸命に戦えば守れぬこともない、と言う。

 だが、ソシエタスは首を横に振った。

「なにより、どこにゆけば赤き月を出会えるのか、見当がおつきか? この広いヴーゴスネアで、弱い人たちを守りながら、風にただよう一羽の鳥を見つけ出すことがいかに難しいことか」

 と、かなり手厳しいことを言った。

 言われて、想像力を働かせて、一同は黙り込んだ。

「じゃ、じゃあソシエタスさんはどうしてもっと早くそれを言わないの。今さら言われても、どう避難民の人たちに説明するの?」

 とカトゥカは反論する。それに対し頭をかきながら、

「いやあ、皆さんの嬉しそうな顔を見ていたら、つい言いそびれてしまいまして……」

 と面目なさげにこたえるソシエタス。コヴァクスは腕を組んでうーんとうなり考え込む。

「なら、ここにとどまって、赤き月を待つというの?」

 とニコレットは言った。

 いつ来るかとも知れぬ、風にただよう一羽の鳥を待つのもまた非現実的だ。

 皆から責められる視線を受けて、ソシエタス非常に気まずく。頭をかきながら、急いで考えをめぐらす。

「まあ、その方が一番安全かと」

「その間に、食いもんはどうするんだ。戦争と盗賊のせいで食いもん獲られちまって、畑も荒れてなんにも採れなくなっちまったってのに」

「その間は、狩りをするなどしてしのがねばなりますまい」

「狩り!? 鹿や猪だって、戦争だの盗賊だののせいで追い立てられて近くにいるって保証もないのに、悠長なことを言うねあんた」

 噛み付くバルバロネにソシエタスはやや焦ったが、そこはドラゴン騎士団の騎士であった、

「我々が一番大事にせねばならぬのは、人々の安全です。勇にはやりいたずらに冒険をしては、犠牲は免れますまい。まかり間違っても、尊い犠牲などという言葉で済ますわけにはいかぬのです。おわかりくだされ」

 と踏ん張る。バルバロネ、舌打ちし顔をそらす。確かに一番大事なのは、安全だ。犠牲やむなしと下手な旅を人々にさせるのも、これまたむごいことだった。

「どどまるのはいいとしても、赤き月をどうするか、だな。赤き月が、この集落に来てくれれば問題はないだろう」

「いい考えがあるのかい。小龍公さん」

 ソシエタスへの怒りをコヴァクスに向けなおすバルバロネ。ニコレットは苦笑し、クネクトヴァとカトゥカはちょっと、怖がる。

「いや、今は、ないが」

「じゃ明日になれば出るってのかい」

「そうだな。出るかもしれない」

 コヴァクスも勝ち気なだけに、バルバロネに一歩も引かない。気がつけば、ふたり視線を交わす間には、火花が散っているようで。空気はにわかに緊張を帯びる。

 知らす口元を引き締めたクネクトヴァであったが、今までの疲れがもよおす、内からにじみ出る睡魔にクチをこじ開けられて。

「ふわあ」

 と大あくびをしてしまい。はっとして、気まずそうに手で口を覆う。

 緊張でかたまりつつあった空気も、クネクトヴァのあくびに吹き飛ばされてか、途端にゆるみ。バルバロネは、

「ふん、やってらんないね」

 と床にころがりふて寝を決め込んだ。

 他も、互いに顔を見合わせて苦笑いをし、とりあえず今は疲れを癒すため寝ることにした。

 部屋を灯すランプの火が消されて部屋は真っ暗になり、それぞれ得物をかかえながら毛布にくるまり、眠りに着いた。

 剣を抱きしめ、頭ごとすっぽり毛布で覆って目を閉じたニコレットは、はっと目を見開き耳をそばだてたが、

「気のせいだったかしら」

 と、ふたたび目を閉じた。



 もしこの中に千里眼を持つ者がいれば、得体の知れぬ一団が血をしたたらせる肉食獣のように獲物をもとめて、闇に紛れて集落をさまよい歩いている事に気付いただろう。

「オンガルリ王国のドラゴン騎士団と、確かに言ったな」

「左様。小龍公に、小龍公女と」

「なぜ、こんな辺鄙へんぴな集落で難民とともにいるのだ」

「オンガルリになにかあったのか」

 オンガルリの政変は彼らは知らないようで、彼らもまた千里眼ではないようだ。とはいえ、闇夜の中光る目は、氷を瞳とするかはたまた冬の月を瞳にするかのように冷たく光る。

「グニスッレーよ、そなたはどう思う」

「さあ、とんと見当もつかぬ。オナリハトク、おぬしは?」

「わかっておれば、すでに応えておるわ。アンダルゾンよ」

「いっておくが、このブラモストケもわからぬ」

「ふん、えらそうに言うことかしら。あなたはいつも一言多いわね」

「おお、それはオレに対する挑戦かな、アッリムラックよ」

「お、やるのかやるのか。おもしろそうだなあ」

 茶化す声のあと、氷がひび割れるような緊張が走る。闇夜が揺らぐ。

「よせ。我らには役目がある。無用ないさかいは、グニスッレーが許さん。ルクトーヤンよ、貴様も余計なことを言うな」

「へーいへい」

 気の抜けた返事がするが。女はおさまらない。

「ふふ、その役目が果たせなくて、八つ当たりに罪なき者を手にかけようとしてるのは、どこのどちらさまかしら?」 

 肌をなぞる冷笑が漏れる。だが、グニスッレーと名乗った声は無言。無言が無言を呼び、重い沈黙がのしかかる。

「わ、わかったわよ。言うことを聞けばいいんでしょう。はいはい、聞きます聞きます」

 アッリムラックと名乗った女の声は、何かが肩にのしかかったかのような気だるそうな声で、グニスッレーにしぶしぶ服従を誓った。

「それでよい。ブラモストケ、お前もつまらぬ挑発にのらず、黙っていろ」

「……」

 ブラモストケの声は無言で、頭を縦に動かし闇夜の空気を揺らした。

「……。それで、どうするのだ。こんな辺鄙な集落まで来たが、得るものはなし。と思ったが……。思わぬ魚が網に迷い込んでいる。このまま放すのか、それとも食うか?」

「それよ。オレもまさかオンガルリのドラゴン騎士団など目に見、耳に聞こうとは思わなんだでな」

「小龍公女はたしかに、ヘテロクロミアであるな」

「でも、にせものだよ」

 ルクトーヤンの声はかるく言い、さらに声を弾ませて続ける。

「オレたちの役目は、敵の領地を荒らして混乱させることもあるんだろう。だったら、ここの人間みんな殺しちゃえばいいじゃん。命令通りやってんだから、ご主人さまも文句いわねえよ」

「だが、もしあれがまことドラゴン騎士団の小龍公に小龍公女で。殺したあとオンガルリといさかいが起きれば」

「しらねえよ。ブラモストケの臆病もんが」

 それから、はっとして沈黙が流れる。

「やるか」

 グニスッレーの声が響いた。闇に波紋が広がるように揺れた。

「なぜドラゴン騎士団の小龍公と小龍公女がいるのか、オレもわからぬ。本物か偽物かもな。だがいずれにせよ、我らは誰一人として逃さぬが信条。誰であれ、我らに狙われたが運の尽きよ」

「ならば、いまから」

「いや、ただ闇夜に紛れて暗殺ばかりするのも面白みに欠ける。たまには、太陽の下で堂々と渡り合って敵を殺したいものだ」

 闇に紛れようとも、そこはやはり人間であるのか、相手の素性から欲が出たのか。吐き出す息凍りつきそうな冷たさをたたえつつも、湿り気も帯びているようだった。

 それから合意したか、闇揺らす気配は消えた。


 

 闇は払われ、暁がのぼる。

 人々は、心にも暁のぼる気持ちで朝を迎えた。

 赤き月への期待をも胸いっぱいにみなぎらせて、皆出発の仕度をしている。それを、気まずそうなソシエタスによって、手を止めねばならなかった。

「じゃあ、ここにいろってことですか!」

 と誰かが言った。ソシエタスは首を縦に振らざるを得なかった。

 理由は、昨夜語った通りのことだった。朝になって、この話をどうするか、と話し合った結果、言いだしっぺのソシエタスが、皆に説明することになった。

 案の定、人々の顔はにわかに曇った。

 頼もしい人に守られて、赤き月と出会う旅をするのだ、と夢にまでみたというのに。

 最初に出会った難民の人々はともかく、地元の人々はいい加減戦争や盗賊によって荒れ地となったふるさとに嫌気が差していただけに、反感も大きい。

「そんなうまいこと言って、結局は怖いんだろう」

 という声があがった。ソシエタスは、さにあらず、と思いつつも、苦い顔をして、

「その通りだ」

 と言った。

「旅の危険はまぬがれえず、少なからず犠牲も出るであろう。まったく犠牲を出さずに守りきれる保証もない。ともすれば全滅もあるかもしれん。わかってくれ」

「ならもっと早く言ってくれよ。昨日あれだけ人を期待させといて、土壇場になってやめましたなんて、あんまりじゃないか!」

「それは百も承知。我らももっと早く気がつくべきであった」

 人々に詰め寄られて、ソシエタスは閉口し、助けを求めるようにコヴァクスにニコレット、バルバロネに目をやった。が、バルバロネはソシエタスと反対の意見なのでそっぽを向いて知らん顔。

 コヴァクスとニコレットは、互いに目を合わせてやむなしと頷き助け舟を出し、一緒に説得に当たった。

 クネクトヴァとカトゥカは、ここは出番じゃないと、黙って見ているだけだった。

「とにかく、旅はとりやめだ! 皆をより安全に守るためなんだ。ただ、知恵を出し合い赤き月と出会えるようにするから、それで勘弁してくれ!」

 コヴァクスの言葉に、一応人々は静まったものの、まだ納得し切れてはいないようだ。が、かつて小龍公と呼ばれ人々から憧れと畏敬の念をもって接せられていた貴公子だっただけに。人々の態度には、心の奥底意から屈辱が滲むのはいかんともしがたかった。

 いかに小龍公といえど、それはドラゴン騎士団が、大龍公ドラヴリフトの存在があったればこその話で、今は流浪の身にすぎぬことを、嫌でも痛感するのだった。

 ニコレットは兄に比べて物事を柔軟に対応できる。そのおかげで、

「みんな、きもちはわかるわ。でも、みんなを守るためなの。傷ついたあなたたちが、さらに傷つくのを見るのは、私はとても悲しいから……」

 詰め寄る人々の前で、色違いの瞳をうるませ美しい金髪を揺らし、ニコレットは旅をやめる一番大きな理由を強調していた。それは、人々と危険から遠ざけるため。

 目を潤ませた少女の言葉には慰撫されてか、人々は落ち着きを取り戻し、

「わかった」

 とようやく言ってくれた。

「ありがとう。みんな、ごめんね」

 ニコレットはほっとした途端に、目から涙がこぼれ落ちた。慌てて、恥じらいながら涙を拭う少女の姿を見て、

「この方は、そこまで我らのことを……」

 と感激する者まであり。この人がいるなら、とすべてを任せる気になった。

 雰囲気は一変し、空気はやわらぎ和やかになってゆく。

「涙は女の一番の武器とは、よく言ったものね……」

 苦笑しながらバルバロネがささやく。傭兵として生きた彼女には、涙を流すなど考えられない。でも、怒る人々を説得するのも考えられなかった。もしこれが自分なら、短気を起こしていたろう。

 無論ニコレットも計算ずくで涙を流したのではない。

 ともあれ、この場は一段落着いた。と思うの間もない、どこからともなく拍手の音が響きだす。



 なんだ、とコヴァクスとニコレットは帯剣の柄に手をかけ警戒するも。拍手の音の主は見えなかった。

 人々は突然の拍手に驚き、首をきょろきょろさせるが、誰が拍手をしているのか、またはどこからするものかわからず。身を寄せ合って怖がっていた。

「いやあ、いい、いい。いいもんみせてもらった」

 と、誰か、黒装束をまとった若い男がひょっこりと家屋の陰から姿をあらわした。この集落ではみたこともない顔だ。

 それに続いて、続々と見慣れぬ顔が現れ。しめて六人の人間。ひとりは女で、みな二十代から三十代の間のようで。皆、男女の別か咄嗟にはつかぬほど、顔立ちのよい、ぞっとするような美貌の持ち主だった。それでいて、目は異様に冷たい。

 皆黒装束を身にまとい、顔つきも暗い。手にはそれぞれ剣が握りしめられているが、腰にぶら下がる鞘も、柄も鍔も、衣装と同じように黒かった。

 瞳の色も、髪の毛こそそれぞれ色が違うものの。皆腰まで伸ばした髪を紐で首の後ろでまとめ、なおかつ背中でまた紐でまとめている。その紐の色も黒かった。

「何者だ」

 ソシエタスは相手から冷気のような殺気を感じ、咄嗟に剣を抜き放てば、つづいてコヴァクスとニコレットも剣を抜き。バルバロネは盾で身をかばいつつ斧を構える。

 彼らはどう考えても、まともな者ではない。それどころか、害を加えようという悪意が全身から満ち満ちている。

 人々は六人の姿を見て、驚愕の声をあげてうろたえている。かろうじて、年配の者が落ち着けと言いながらコヴァクスらのうしろに集まるよううながし、人々は恐慌をかろうじて抑えてそれに従った。クネクトヴァとカトゥカもその中にいる。朝起きてから、自分たちの出番はないと思っていたが、本当になさそうだった。

 それと入れ違いに、コヴァクスらは六人の前に進み出て。人々を背後にかばう。

 その途中で、

「六魔」

 と言うのが聞こえた。バルバロネははっとする。

「六魔っていう悪趣味なのは、あんたらのことかい?」

「ふん。人が我々のことをどう言っているか知らんが、おそらくそれは我々のことだろうな」

 と、黒目に黒髪の男が応えた。

「それより」

 男は六人の頭分なのか、一歩前に進み出る。

「そこの男と女、お前たち、オンガルリ王国ドラゴン騎士団の小龍公に小龍公女というのは間違いないか」

 コヴァクスとニコレットを指差して問う。

 なぜ自分たちのことを知っている、と驚きを隠せないながらも、なめられてはいけないと平静をよそおい、「そうだ」と一言応えた。

「一つ問う。なぜヴーゴスネアの、こんな辺鄙なところにいるのだ。大龍公ドラヴリフトか、国王バゾイィーより何かの密命を帯びてのことか」

 ぞっとするような声だった。が、父と王の名を得体の知れぬ者に軽々しく口に出された怒りと不快感で、

「応える必要はない」

 とコヴァクスは強く突っぱねた。

「左様か。なら、いい。これより、お前たちを、抹殺する!」

 その唐突さに驚く間もない。六人は剣をひらめかせて一斉に飛び掛ってくる。

 戦わねばならぬだろう、とは思っていたが。ここまで問答無用で来られるとは思わなかった。こっちだって、相手が誰なのか知りたいというのに。

 悲鳴が響く。それを包むように剣の音が響く。

 四人は人々の壁になり、六人に立ちはだかるが。もとより六人は、主だった四人しか狙っていないようで難民の人々を無視し、四人を取り囲む。

「案ずるな。お前たちを殺すまで、他には手を出さぬ」

 確かに、難民の人々には手出しをしようとはしないが。それをどこまで信用してよいのやら。四人背中合わせになれればよいのだが、人々を守るためには、四人並列に並び壁にならざるを得なかった。

 また数も向こうが二人多い。コヴァクスには頭分らしき黒髪の男と、灰色の髪をした男が二人がかりで襲い掛かり。ソシエタスにも、金髪の男と赤毛の男が襲い掛かる。

 ニコレットには茶色の髪の女が来て、バルバロネには白髪の男が襲い掛かる。この男は六人の中で一番にやけている。

(こいつら、強い!)

 コヴァクスは内心うなった。その剣の威力は、父に稽古をつけられたときとほぼひとしく思えた。それでいて風と同化したかのように自在に舞い、どこに来るのかわからない。それが、二人がかりでだ。

 常に相手の動きに気を配り、我が剣を攻めより守りに用いるのが精一杯。ソシエタスも無論のこと、一対一のニコレットとバルバロネも同じようだった。

 クネクトヴァは短剣を握りしめて、カトゥカを背中にかばって戦況を見守っているが。それ以上のことは出来なかった。

 いざというとき、鍬や斧を持って戦うはずだった男たちも、六魔こと六人の異様な迫力に圧されて身動きままならず。一難民として、身を寄せ合って成り行きを見守るしかなかった。

(おのれ!)

 ソシエタス相手の剣をかわしながらも、一方的に攻められるをよしとせず、咄嗟に足を振り上げた。とともに、相手の足に当たる。と見えたがその直前、相手は後ろに飛びのき足は空しく風を切る。

 対照的に、コヴァクスは二つの剣に翻弄されてあがくうちに体勢をくずし不覚にも後ろに転びそうになり。その顔面に切っ先二つ迫って、やむなく咄嗟にたおれて地に伏し後ろに転がりながら急ぎ片膝ついて、左手も地に着けながら、右手で剣を握り横に構えて相手を睨みつける。

 六魔の黒髪と灰色髪はあざけるように笑って距離をとり、コヴァクスを見下している。

 他二人も、仲間に合わせて相手と距離をとり、不適な笑みを見せ付ける。

 コヴァクスらは、冷や汗で額を濡らしているというのに。

「ふん。他愛もない。お前らは、本当にオンガルリ王国が誇るドラゴン騎士団か?」

「偽者でしょ」

 女がニコレットの目を見つめながら、手で口を覆いあからさまに高笑いする。

「だって、どう考えても、騎士だなんていえない女も一緒にいるし」

 指差されて馬鹿にされたバルバロネは、褐色の肌を赤く染めるような怒りをあらわすが、女は意に介さない。

 ふと、黒髪の男はカトゥカが持っている長箱に目をやった。

「……」

 この少女は、長箱を大事そうにかかえている。何が入っているかまではわからぬが、よほどのものに違いない。

 ドラゴン騎士団には、バゾイィー王より下賜された紅の龍牙旗があると聞いたことがある。なら、あの長箱の中には。

「少女よ、その箱には、紅の龍牙旗があろう」

 と問えば、カトゥカは怖じ、がたがたと全身を振わせ。長箱を持つ手には、さらに力がこめられる。

「図星のようだな」

 彼ら彼女らは、まことドラゴン騎士団であった! 

 事情は知らぬが、一国の重要人物がいる。これだけでも、大ごとというもの。オンガルリで何かがあったのは、間違いない。

 そのドラゴン騎士団の小龍公に小龍公女が、異国の僻地で斃れたとなれば、オンガルリ王国に強い衝撃が走ろう。

(ならば、我が主は大変喜ばれよう)

 それまで冷徹であった黒髪の男が、にわかに顔をゆがめ、えもいわれぬ笑顔になった。

「お前たちを斃して、紅の龍牙旗をいただこうか。ならば、この血塗れた手と剣も報われようというもの」

 男の歪んだ笑顔に、皆背筋が凍りつく思いだった。ここまで美しくも、醜い笑顔があるのだろうか、と。



 皆類希な美しさをもちながら、その目の語る心は醜さは、千夜をもって語ろうとも語りつくせぬ濁りをたたえていた。

(こいつら、何者だ)

 コヴァクスは六人と対峙しながら、嫌悪感を感じつつ睨み合っている。瞳の奥に、光届かぬ闇が広がって、ひきこまれそうなのを気力を振り絞ってこらえている。

 バルバロネは六魔と言った。ヴーゴスネアでは、多少なりとも噂になっているようだ。オンガルリにもヴーゴスネアの情報は入ってくるが、六魔は聞いたことがない。

 そんな暗殺者集団でもあるのだろうか。

「誰に殺されたのか知らぬまま死ぬのも、くやしかろう。せめてもの情け、名前くらいは教えてやろう。オレの名は、グニスッレー」

 と頭分の黒髪が名乗ると、

「我が名はオナリハトク」

 と灰色髪は名乗り、続いて金髪、赤毛、茶色髪の女、白髪の順で、

「我が名はアンダルゾン」

「我はブラモストケ」

「私はアッリムラック」

「オレはルクトーヤンだ」

 と名乗った。

 名乗りの声も、声が出るたび、空気が凍てつきそうな冷たさをたたえていた。

「さあもういいだろう。これで地獄の獄卒どもに、誰にやられたのかくらいは告白できる」

 グニスッレーは言うや再びオナリハトクとともにソシエタスに襲いかかり、ソシエタスにはアンダルゾン、ブラモストケ。ニコレットにはアッリムラック。バルバロネにはルクトーヤンが仕掛ける。

「なめるな!」

 最初こそ不覚をとったが、今度こそはとコヴァクスは叫んだ。

 激しい剣戟の響きが鳴り渡る。

 コヴァクスも渾身の力を振り絞って剣を振う。ふた振りの剣の動きをよく見切り、すかさず隙を見つけて刺突を送り、あるいは横になぐ。

 しかし相手もさるもの。コヴァクスの攻めを難なくかわし、もてあそぶように剣先を突きつける。

 それは他も同じだった。ことにソシエタスもふたりがかりで来られ防戦一方だった。おまけに相手は騎士ではないから、人数に頼ることを恥ともなんとも思っていない。

 それは猫が鼠をもてあそぶのと、同じことなのかもしれなかった。

 ニコレットもアッリムラックの斬撃をかわすのが精一杯。顔面迫る剣をかろうじてかわしざま、その髪が数本切り払われ宙に舞う。

「ふふ、小龍公女ともあろう者が」

 嘲弄が漏れる。アッリムラックの目は冷たく光り、色違いの瞳を射通す。背筋がぞっとする。今までの戦いの中で、こんな冷たい目をしたものを相手にするのは初めてだった。

 集団対集団の戦争と違い、これは一対一の剣の戦い。思えば、こういった一騎打ちは初めてだった。ニコレットとて剣の腕が未熟というわけではない。だが、大将として軍勢を率いて戦うこととは勝手が違った。



 バルバロネもルクトーヤンに苦戦しきりだ。斧よりも盾で剣を防ぐ方が圧倒的に多い。 

「うぬっ」

 ソシエタスははっと閃き、ニコレットのそばに寄った。ニコレットも意を悟り、ソシエタスと組んで三本の剣を相手取る。

 これで一対二から、二対三。

「小癪な真似を」

 オナリハトクが憎々しげに言う。どうせ人数で不利。なら無理に一人で我慢せず、誰かと二人で一緒に戦った方がいい。ソシエタスはニコレットの副官として戦っていたので、息はぴったりだった。

 その手があったか、とバルバロネもすかさずコヴァクスのそばへ駆ける。

 が、こちらは知り合って間もないせいか、動きはちぐはぐのばらばらだった。それでも、コヴァクスにすれば受けて経つ相手が半人減ったのでたいぶ楽ではあったが、バルバロネは相手が半人増えたのでかえってわずらわしかった。

「しくじった」

 思わず口走る。コヴァクス「うるせえ!」と思わず吼える。

「はっはははは! お前ら面白い。すぐに殺すのは惜しい、しばらく遊んでやる」

 グニスッレーあからさまな嘲笑。

 避難民の人々はこのざまに絶望を覚える。

「くそったれ!」 

 大きく振った斧は空しく風を切る。バルバロネむきになって、さらに斧を滅茶苦茶に振り回す。これでコヴァクスとの息が合うわけがない。

 グニスッレー、オナリハトク、ルクトーヤン、にやにや笑いながらかわすばかり。言ったとおりに相手の無様さを楽しんでいた。

 ニコレットとソシエタスはアッリムラック、アンダルゾン、ブラモストケを相手にどうにか互角だったが、もう一方の様子に胆を冷やす。

 ともすれば二対六なのだ。

「も、もうだめだ」

 絶望の声が避難民から漏れる。

 行くも死、かといって、留まっても災厄が向こうからやってきて、死。所詮、期待も一夜の夢であったのか。

「へへーへー! あのアマにくらべりゃあ、てめえらなんざ屁だぜ、まったく!」

 ルクトーヤンが悪態をつく。それをグニスッレーが鋭く睨む。

「余計なことを言うな!」

 咄嗟に叫ぶグニスッレー。目もわずかにルクトーヤンに向けられている。

 コヴァクスすかさずグニスッレーめがけて刺突を繰り出す。と同時に他の二本はバルバロネが盾で弾く。

 しまった、と思う間もない。

 反射神経を生かし咄嗟によけたものの、相手の反射神経もさるものだった。

 どうにかかわすも、コヴァクスの剣はグニスッレーの右肩をわずかだがかすった。

 黒装束の肩の部分が裂け、血が飛び散る。

「くっ!」

 思わずうめく。

 戦いの最中視線をわずかでもそらせば、どうしても隙が出来てしまう。ことにそれが咄嗟のことだっただけに、相手に好機を与えること大であった。

 場数を踏んでいるだけあって、これしきの傷と物怖じせず、すぐに体勢を整えなおすも。屈辱であった。

「もう遊ぶのはやめだ!」 

 それはまさに悪鬼の形相ともいうべきものだった。

 迫る斬撃威力を増し、閃くたびに強い衝撃がコヴァクスとバルバロネに走った。たとえ剣で、盾でふせごうとも、さけようとも、同じ衝撃が身体に走った。

(なんて攻めだ!)

 奥歯食いしばり、やられないようにするしか出来ない。

 心のどこかで、もうだめか、という気持ちが頭をもたげた。

 父の遺志を遂げられず、早々に凶刃に果てるか。無念が広がる。

 そのときだった。

「おやめなさい」

 という声がした。

 同時に斬撃がやんだ。六振りすべて。

 六魔の六人は、すべて声の方を向いていた。 

 その視線の先はある家屋の屋根をとらえていた。

 コヴァクスらも声の方を向けば、そこにには、赤い服を着たひとり女がいた。

 不安定な屋根の上に立ちながらも、足は大地を踏みしめるかのように安定し。太陽を背にし、じっと下を見下ろしている。

(いつの間に)

 と驚くとともに、その容姿にも見入る。

 黒髪に碧眼は、珍しくはないものの。その顔立ちは、あきらかにここにいる誰とも違っていた。

 顔の彫りは浅く、鼻も低め。だが醜くはなく、なめらかさを感じさせる顔立ちは、むしろ美しい。

 いやそれ以上に、どこか儚げな面持ちをし、小さな口をつぐんで黙ったままでいると、そのまま風に吹かれて、消えてしまいそうだった。

(誰だろう)

 と思うや、女はひらりと跳ぶ。あ、という声が難民の人々から漏れた。

 女は風に乗ったかのように、姿勢を整え、風に遊ぶ木の葉のように宙を舞い。音も埃も立てず、静かに地に舞い降りた。



 もの言わず、すずやかにも思える眼差しの、碧い瞳を六魔の六人に向けると、静かに言った。

「あなたたちが狙うのは、私でしょう」

 目を剥いたグニスッレーが憎々しげにこたえる。

「おお、そうだとも。我らの狙いはお前だ」

「でも暇つぶしに、人殺しをしてもいいってご主人様からのお達しだから、お咎めを受けるいわれはねえぜ」

 とルクトーヤンはおどけるが、その目は心なしか震えているようだ。

「お前だな。我らのことを、六魔と言いふらしているのは」

 女に人差し指を突きつけるはオナリハトク。彼もまた目をやけにいからしている。アンダルゾンもブラモストケもアッリムラックも、それまで見せていた余裕はどこへ。

 女の出現から、がらりと様子はさまがわりしていた。

 女は六人の視線をかわすでもなしながら、目をそらしつつ、相手の言葉を聞き流し。碧い瞳は、足元を見つめて。意識は遠くに飛んでいるようで。

 仕掛ければ、簡単に勝てそうだった。

 と思ったルクトーヤン、すかさず剣を振い女に斬りかかる。

 鋭い斬撃が、女の頭を割るかと思われた。しかし、次の瞬間には、剣は女の右手の人差し指と中指にはさまれていた。

 いつ手を挙げて、剣を指ではさんだのか、誰も動きを見切れなかった。むろん、ルクトーヤンも。それでいて、張り付いたように剣は指からはなれず動かない。

「な、くそ」

 と剣を引き離そうとするが、うんともすんとも動かない。

「剣をはなせ!」

 とオナリハトクは叫んだが、叫びきらぬうちに女の左手が翻ったかと思うと、その掌がルクトーヤンの顎に打ち付けられ。

 白目を剥いて天を仰いだルクトーヤンは、顎を血まみれにして、どお、と仰向けに倒れて動かなかった。

(なんだあれは!)

 コヴァクスやニコレットらは、唖然とたおれたルクトーヤンと女を交互に見やった。見たこともない武術、とでもいおうか。

「パンクラチオン、ではない……」

 ぽつりとソシエタスはつぶやく。

 文明発祥の地といわれるエラシアから、文化文明のみならず、無手で戦う格闘術パンクラチオンも伝えられ。それは大陸に広く流布されている。コヴァクスやニコレット、ソシエタスも、たしなみはあるが。

 女の動きは流麗で、しかも掌で相手を打つ。彼らが知る限り、そのような動きはなかった。

 ルクトーヤンは白目を剥いたまま、仰向けにたおれ、動かない。

「おのれ、フージー……」

 我を忘れたように、オナリハトクがつぶやき。グニスッレーがその頬をしたたかにはたいた。

「余計なことを言うな!」

「……」

 オナリハトク無言。

 グニスッレーは拷問を受けているかのように、顔をゆがめる。なまじ美しい顔立ちをしているだけに、そのゆがみっぷりは醜さをひときわ印象付ける。

 ひとり斃され六魔は五人になった。人数にしても、コヴァクスら四人に女が加われば不利なことこのうえない、と見たか。

「引け!」

 と言うや、五人はだっと駆け出して背中を見せて、逃げ出した。コヴァクスらは追おうとするが、五人の手から光るものが飛んだ、と思うと咄嗟に身を伏せそれをかわす。それはナイフだった。フージーと呼ばれた女にもナイフが迫っていたが、彼女は簡単にそれを指で挟み込んでとめた。

 その間に、五人は逃げて影も形もなくなった。

 もの言わず横たわるルクトーヤンの屍骸をを横目に、コヴァクスにニコレットらは無言で女をながめた。

 女も、じっとコヴァクスらを見回している。

 見れば見るほど、不思議な女だった。ことにその容姿。

 服は手作りのようだが、袖を通して着るというより、赤い薄布が女の身体の一部のように纏わり着き、その息吹にふれて流れているような軽やかさを感じさせた。

 またその顔立ちは彫り浅くも、大理石の女神像が人間になったのかと思わせるほどに白く滑らかであった。しかしその碧い目。何かを瞳の奥に秘めているように、冷たく光っている。

 女は指で挟んだナイフを、忌々しそうに地に討ち捨てれば、きっさきは地面を突き刺して立った。

「あ、あなたは、誰なの……」

 おそるおそる、ニコレットがようやく声を絞り出す。女は碧い瞳で相手を見据え、

「フージー」

 とこたえた。本当は名乗りたくなかったのだが、ばれてしまったから名乗った、という感じだ。

 続いてコヴァクスが何か言おうとしたが。

「私は行くわ。縁があればまた会えるでしょう」

 と言うや、背中を見せて駆け出す。待ってくれと、咄嗟に呼びかけたが、スカートの裾が地面の上で流れるようにゆれ、まるで女を運んでいるように見えたことに驚きつい足を止めてしまった。

 いや実際は足で駆けているのだろうが、あまりにも流麗な動きで、宙に浮いているのかと思うほどだった。

 そうして皆が驚きの目で見守る中、フージーも姿を消した。それはまるで、風のようだった。



 ルクトーヤンの屍骸を忌々しそうに、集落から離れたところに捨て、コヴァクスとソシエタスが眉をしかめて帰ってくる。

 それからまた、話し合いがはじまった。

 あの連中は、フージーを狙っているようだが、どうしてなのかは無論わからない。

 それと、赤月公、イヴァンシムをどうやって探すか。

 混沌としたヴーゴスネアには、安全な場所などなさそうで、とどまっていても災いがやってくることを知った。だからといって、集団でほっつき歩いても、やはり同じように危険だった。

 そこで、意を決したコヴァクスとニコレットが、二人で行くと言い出す。

 大勢で動くのがまずいなら、少数で動けばいいと。

 最初渋っていたソシエタスは、クネクトヴァ、カトゥカはバルバロネとともに集落に残ることになった。

 紅い龍牙旗は、ニコレットが背負ってゆく。イヴァンシムに会ったとき、まことドラゴン騎士団の小龍公と小龍公女であるとの証しのために。

 ただ、来てくれるかどうかはわからない……。

 それでも、なにかを動くことで掴めれば、という希望を持って、

 留守の間は、ソシエタスやバルバロネが集落を守りかつ、男たちを訓練し有事に備えるようにする。

「とりあえずひと月。ひと月経っても戻らねば、ソシエタスで判断し、なんとかしてくれ」

「小龍公、そのような縁起でもないことを」

「オレだって、帰ってくるつもりさ。だけど、万一ってことがあるだろう」

「だめ、絶対帰ってきて!」

 と言うのはカトゥカだった。置いてけぼりにされるという哀しみを込めて、じっとふたりを見つめていた。

 ニコレットは微笑み、

「うん、きっと帰ってくるわ」

 とカトゥカの手を握った。クネクトヴァも寂しそうにしているが、

「無事を祈っています」

 と言ってくれた。集落の人々も、希望と不安の入り交じった眼差しをしていた。

(オレの命は、オレだけの物ではないということか)

 自分は責任ある人間なのだ。と思うと、おのずと気が引き締まる。そして、万一と言わず、必ず帰ってこようという決意が、胸に湧き起こるのであった。

 それと、できればフージーと再会し、味方に引き入れたいという気持ちもあった。正体がつかめていないものの、悪人ではないことは確かだろう。

(あの哀しいような瞳は)

 あれ以来、碧い瞳が、なぜか胸に去来し、脳裏に幾度となくひらめく。

「では、ゆくか!」

「はい、お兄さま!」

 景気づけにと、元気よく声を出し愛馬を駆ってイヴァンシムを捜し求める旅に出るコヴァクスにニコレット。その背中に、

「生きて帰って来いよ!」

 と言うバルバロネの声が人々の見送る声にまざってぶつけられる。

「コヴァクス! お前と渡り合って、どっちが強いのか腕試しをしたいからな!」

 と、皆が驚くようなことを、からから笑ってバルバロネは大きく手を振った。

「おう、帰ってきたら腕試しをしよう! それまで、あんたも腕磨いておけよ!」

 とコヴァクスもかえす。苦笑するニコレット。だけど、辛気臭いのよりは、ずっといい。バルバロネが人々を守ってこれたのは、ひとえにその武勇よりも明るさだったのかもしれない。

 やがてバルバロネの威勢のよい声も聞こえなくなって、コヴァクスとニコレットは、知らない土地のさらに知らない土地へと、飛び込んでいった。

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