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助けてと言われても、何もできなかった

次の日から。


「あの言葉を、まるでなかったことのように」と言いたくなるほどに、私たちへの教育は続いた。


「余計なことはするな。教育も不要だ」


あの命令があったはずなのに。


読み書き。礼儀。簡単な計算。そして――生きるための知識。


厳しい。


けれど。


そこには、確かに優しさがあった。


叱る声の奥に、守ろうとする意志があった。


数ヶ月が過ぎた頃。


ガランが、いつもと同じ落ち着いた声で告げた。


「本日は、村へ向かいます」


「村?」


ノエルは目を瞬かせる。


すぐに、ぱっと表情が明るくなった。


「ルーク、楽しみね」


「はい」


短く答えながら、ルークもどこか期待を滲ませていた。


二人は、自然と手を繋ぐ。


もうそれは、当たり前のことになっていた。


 


村へ着いたとき。


ノエルは、思わず足を止めた。


家々は、どれも古く、崩れかけている。


壁はひび割れ、屋根は歪み、ところどころに空き家が目立っていた。


風が吹くたびに、軋む音が鳴る。


 


――薄気味悪い。


 


無意識に、そう思ってしまった自分に。


ノエルは、少しだけ胸がざわついた。


 


「すみません」


村の奥から、年老いた男が現れる。


村長だった。


「崩落で物流が止まっていて……食べ物が入って来ないんです」


ガランが、わずかに眉をひそめる。


「この前の大雨で、ですか……」


「はい。それに――」


村長は、言葉を濁す。


「食糧調達に向かった村人も……まだ帰ってきておりません」


空気が、重く沈む。


 


そのときだった。


「お貴族様ですか?」


声が、割って入る。


振り向くと、ひとりの少年が立っていた。


痩せている。服はところどころ擦り切れ、手には泥がこびりついていた。


「俺の名前は、トアっていいます」


まっすぐな目だった。


「俺の父ちゃんが、帰って来なくて……」


一歩、踏み出す。


「探していただけないですか?」


そして。


その場に、膝をついた。


「お願いします」


頭が、地面に触れるほど深く下がる。


 


ノエルは、言葉を失った。


「え……」


何が起きているのか、理解が追いつかない。


村長が、慌てて声を荒げる。


「やめなさい、トア!」


「この方は貴族様だが……まだ子供だ」


トアは、顔を上げない。


「でも……」


震える声。


「貴族なんだ。助けてください」


もう一度、深く頭を下げる。


 


ノエルの胸が、ぎゅっと締めつけられる。


助けて。


その言葉が、重くのしかかる。


(私に……?)


何かを言わなければいけない。


そう思うのに。


言葉が、出てこない。


助けたい。


そう思った。


でも。


どうやって?


どこを探せばいいの?


何ができるの?


何も、分からない。


頭の中が、真っ白になる。


 


隣で、ルークが小さく息を呑む。


その手が、ほんの少しだけ強く握られた。


ノエルは、その手を握り返す。


 


けれど。


それだけだった。


何も、言えない。


何も、できない。


ただ、立っていることしかできない。


 


トアの額が、土に触れたまま。


時間だけが、過ぎていく。


その光景が。


どうしようもなく、痛かった。


 


(……違う)


胸の奥で、何かが軋む。


(私……)


“お嬢様”だった頃。


何でもできると思っていた。


欲しいものは手に入り、困ることなんて、何もなかった。


でも。


今、目の前で。


「助けて」と言われて。


私は――


何もできない。


 


ノエルは、唇を強く噛んだ。


視界が、わずかに滲む。


それでも。


目を逸らすことだけは、できなかった。


 


トアの背中が、震えている。


その現実から、逃げることだけは。


できなかった。


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