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第51話:魔女の残業

「……よし。バイタル安定。この数値なら、あと数時間は目を離しても大丈夫ね」


ヴィスカリアはカルテ代わりのメモ帳に走り書きをしながら、大きく伸びをした。

窓の外は完全に明るくなっている。


徹夜の治療劇は、ひとまずのハッピーエンドを迎えた。


「お疲れ様でした、ヴィスカリア先生」


私は彼女に歩み寄り、声をかけた。


「ティナの状態は安定しました。これ以上の監視は、皇宮の専属医に引き継がせても問題ないでしょう。……少し、休んではどうですか?

貴女も体力を消耗していますし、これ以上の稼働はパフォーマンスの低下を招きます」


彼女を気遣っての提案だった。

だが、ヴィスカリアは私を振り返り、心底呆れたような顔をした。


「はぁ? ……あんた、馬鹿?」


「……はい?」


「あのねぇ。この子が助かったからって、世界が平和になったわけじゃないのよ? 外にはまだ数千人の予備軍がいる。その全員に行き渡る量のワクチンを精製するのに、どれだけの手間がかかると思ってるの? 休んでいる暇なんかないわ」


ヴィスカリアは、先ほど採取したティナの血液データと、培養タンクを睨みつけた。


「ここからが本番よ。幸い、効きそうなワクチンのサンプルができたわ。工場レベルの生産ラインを組んで、私の最高傑作を帝都中にばら撒く。休んでる暇なんてあるわけないでしょ」


「……ですが、貴女一人では手が足りません」


「そうね。だから――」


ヴィスカリアはキセルをくわえ、部屋の隅で待機していたレインを指差した。


「そこの眼鏡。あんた、ちょっと借りるわよ」


「……俺か?」


レインが眉をひそめる。


「ええ、そうよ。あんた、さっき私の滴定作業を見て、瞬時に配合比率を計算してたわよね? あの計算速度スペックなら、私の助手が務まるわ」 


ヴィスカリアはニヤリと笑った。


「レシピ作り手伝って。それから、雑用係集めも……文句ないわよね?」


「……なるほど。光栄な指名だな」


レインは眼鏡を押し上げ、フッと笑った。


「計算と論理なら誰にも負けん。戦闘で足手まといになるより、ここで世界を救う手伝いをする方が合理的だな」


「交渉成立ね」


ヴィスカリアは満足げに頷き、私に向き直った。


「というわけよ、ソフィア。ここは私たち『科学班インテリ』に任せて、あんたたち『暴力班ゴリラ』はさっさと元凶を殴りに行ってきなさい」


「……ふふ、分かりました」


私は苦笑した。

彼女なりの気遣いであり、最強の布陣だ。


「では、後は頼みます。……行きましょう、クロード様」


私が背を向けて歩き出すと、背後からヴィスカリアの声が飛んできた。


「あ、そうだ。ねえ、ソフィア」


「はい?」


「あんた……もしかして『ラプントゥ人』の生き残り?」


聞き慣れない単語に、私は足を止めた。


「ラプントゥ……? いいえ、ただの人間ですが」


「ふーん。なら、先祖に混ざってるのかしらね」


ヴィスカリアは興味深そうに、私が先ほどまで使っていた解析機材と、そこに残された術式のメモを眺めた。


「『ラプントゥ』は、遥か昔に滅びた古代種族よ。伝承じゃあ、空に浮かぶ島に住んでいて、一日中『数学』と『音楽』のことばかり考えていた変人たち。……あまりに理屈と計算に没頭しすぎて、地面を歩く方法すら忘れて滅びたって言われてるけど」


彼女は私の目を覗き込んだ。


「魔法を『信仰』や『感覚』ではなく、徹底した『数式』として扱うその思考回路。今の人間離れしたあんたのやり方、そっくりだわ」


ドキリ、とした。


私の効率主義や論理的思考。それは『おじ様』もとい、先生の受け売りなのだが……。


『いいかソフィア。魔法とは神秘ではない。物理法則の拡張だ。祈るな。計算しろ。神に頼るな、己の脳を信じろ』


幼い頃、私に魔法の基礎を叩き込んだ、あの奇妙な家庭教師。


ボサボサの白髪に、片方の目は空を、もう片方の目は内側を見ているような、常に上の空で数式をブツブツと呟いていた老人。


彼は確か、食事を摂るのも忘れて計算に没頭し、私が叩いて気づかせないと餓死しかけるような人だった。


「……違うと言っているでしょう。私はただの、勉強熱心な人間ですよ」


私は平静を装って答えた。


「そう。ま、どうでもいいけど。あんたに魔法を教えた『師匠』には興味があるわね。……きっと私と気が合う、とびきりの変人だったんでしょうから」


ヴィスカリアはクスクスと笑い、再び顕微鏡へと向き直った。


「さっさと行きなさい。あんたたちが暴れてくれている間に、世界を救う特効薬マジックアイテムを完成させておくから」


「……ええ。期待しています」


私はクロードと共に、地下室を後にした。

廊下を歩きながら、私は自分の掌を見つめた。


ラプントゥ人。

空飛ぶ島の数学者たち。


あの人がその生き残りだったのだろうか。

まぁ、今は関係のない話なのだけれど。


「ソフィア? どうした、難しい顔をして」


クロードが心配そうに覗き込んでくる。


「いえ……昔のことを少し、思い出していただけです。  それより行きましょう、クロード様。……バルデル伯爵には、たっぷりと『治療費』を請求しなくてはなりませんから」


私は思考を切り替え、前を見据えた。

今は過去の謎よりも、現在の敵だ。

私たちは朝霧の立ち込める地上へと、足早に向かった。


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