第50話:生命の設計図
「……どいて。邪魔よ」
皇宮の地下、『封魔の独房』
ヴィスカリアは部屋に入るなり、不機嫌そうに私を押しのけた。
彼女はベッドに駆け寄ると、ティナの瞼を強引にこじ開け、脈を取り、循環装置の数値を鋭い目つきで確認していく。
「……やっぱりね。素人仕事だわ」
彼女は舌打ちをした。
「魔力を高速循環させて菌を洗い流す? 発想は悪くないけど、雑すぎるのよ。見てみなさい。血管(魔力回路)が圧力に耐えきれなくてボロボロじゃない。このままじゃ菌が死ぬ前に、この子の心臓がパンクするわよ」
「っ……それは……」
私は言葉に詰まった。
返す言葉がない。
確かに応急処置としての装置ではあったが、人命に関わることに言い訳はできない。
もしもヴィスカリアが見つからなければ、みすみすティナを殺すことになったのだから。
「ソフィア! 結界を張りなさい! 無菌室を……」
クロードが叫ぶが、ヴィスカリアが鋭く遮った。
「馬鹿! 魔法を使うなと言ったでしょ! 結界なんて張ったら、そこが『魔力の密室』になって菌が活性化するわよ!」
「なっ……ではどうする!?」
「黙って見てなさい」
ヴィスカリアは持っていた鞄をベッドの上に広げた。
中から取り出したのは、透明なビニールシートと、数本の薬剤スプレー。
シュッ、シュッ、シュッ!
彼女は手際よくベッドの周囲にシートを張り巡らせ、スプレーを噴霧した。
ツンとする刺激臭。消毒液の匂いだ。
魔法による不可視の壁ではない。
物理的な膜と、化学薬品による即席の「クリーンルーム(無菌室)」を、わずか数分で作り上げてしまった。
「……ここから先は『科学』の領域よ。魔力持ち(あんたたち)は、一歩も入らないで」
ヴィスカリアは白衣の袖をまくり、ゴム手袋をはめた。
その背中は、マッドサイエンティストのそれではなく、命と向き合う「外科医」のものだった。
そこからは、息詰まるような「医療」の時間だった。
私はシートの外側で、ただ立ち尽くしていた。
結界も、回復魔法も使えない。
私が手を出せば、ティナの体内の菌を助長してしまう。
私は、ここではただの傍観者だ。
「……サンプルA、凝固反応。……チッ、適合しない」
ビニールの向こうで、ヴィスカリアの声が聞こえる。
彼女はティナから採取したわずかな血液と、手持ちの薬液をシャーレの上で混ぜ合わせ、顕微鏡で反応を見ている。
魔法のような「鑑定」スキルを使えば一瞬かもしれない。
だが、彼女はそれを使わない。
使えない。
自分の目で、細胞の変化を確認し、手作業で数値を調整している。
「……濃度、0.1%下げて再調整」
スポイトを持つ手が動く。
その手つきは、恐ろしいほど精密で、迷いがない。
額から汗が流れ落ちても、彼女は拭おうともしない。
瞬きすら惜しんで、顕微鏡を覗き続けている。
(……すごい)
私はガラス越しに、彼女の横顔に見入っていた。
私は「国」という巨大なシステムを管理するのは得意だ。
だが、彼女は「生命」という、さらに複雑で繊細なシステムを、その手一つで修理しようとしている。
これが、本物の専門家。
私には決して真似できない領域だ。
手持ち無沙汰になった私は、せめてもの貢献として、襲撃者が持っていた「魔導銃」を調べることにした。
「……クロード様、これを見てください」
私は声を潜めて、分解した銃の機関部を見せた。
「この点火装置に使われている『赤い鉱石』です。これの成分スペクトルを、私の『解析眼』で読み取りました」
「……何か分かったか?」
「ええ。ヴィスカリアの研究室にあった、菌の培養土。あれと全く同じ元素配列(同位体)が検出されました」
「……どういうことだ?」
「つまり、この銃と、あの菌は、『同じ工場』から出荷された材料で作られているということです」
私は冷徹に断言した。
「バルデル伯爵家の紋章がついているだけなら、偽装も疑えました。ですが、鉱石に含まれる微量元素の一致は、魔法でも偽装できません。……やはり、犯人はバルデル伯爵で間違いありません」
「……動かぬ証拠、というわけか」
クロードが拳を握りしめる。
これで、敵は確定した。あとはティナが助かるのを待つだけだ。
「……できたッ!!」
その時、シートの中でヴィスカリアが叫んだ。
彼女の手には、一本の注射器。中には透き通った金色の液体が満たされている。
「適合率99.8%! これならいける!」
ヴィスカリアがティナの腕を取り、静脈を探る。
震えなど微塵もない。
ゆっくりと、確実に、薬液を注入していく。
全員が固唾を飲んで見守る中、モニターの波形が一瞬乱れ――そして、穏やかに安定した。
左腕を覆っていた石化部分。
その境界線が、さざ波のように引いていく。
カサブタが剥がれるように石が砕け散り、その下から、健康的なピンク色の肌が現れた。
「……ん……ぅ……」
ティナの口から、小さな吐息が漏れる。
苦悶の表情が消え、安らかな寝顔へと変わっていく。
「……はぁ、はぁ……」
ヴィスカリアはその場にへたり込み、汚れたゴム手袋を投げ捨てた。
乱暴に汗を拭うその顔は、疲労困憊だったが、どこか誇らしげだった。
「……峠は越えたわ。あとは……あんたの循環装置を使うわ。『低出力』で回しなさい。一週間もすれば走り回れるようになるわよ」
「……ヴィスカリア」
私はシートの隙間からハンカチを差し出した。
魔法使いとしてではなく、一人の技術者として、彼女に敬意を表して。
「お見事でした、先生」
「ふん。……当然よ」
彼女はハンカチを受け取らず、自分の白衣で顔を拭いた。
「言ったでしょ。私の『完成品』なら、失敗はしないって」
そう言ってニヤリと笑う彼女は、口は悪いが、誰よりも頼もしい『医者』だった。
「さて……患者の命は救いました」
私は立ち上がり、窓の外――白み始めた空を見上げた。
「次は、この国の『病巣』を切除する番ですね」
「ああ」
クロードが立ち上がり、剣を佩く。
手には、私が解析した「証拠の部品」が握られている。
「行くぞ。我々は夜明けと共に、伯爵に引導を渡しにいく」




