第49話:魔女の矜持
「総員、構え! ここごと焼き払え!」
指揮官の怒鳴り声。
それと同時に、数十の銃口が火を噴くのがスローモーションに見えた。
狭い地下室で焼夷弾?
正気じゃない。
自分たちも巻き添えになることすら計算できていないのか、それとも任務遂行のためなら死んでもいいという狂信者か。
どちらにせよ──「非効率」だ。
(……鬱陶しい)
私の思考は、怒りを通り越して氷点下まで冷え切っていた。
私は一歩踏み出し、ヴィスカリアの前に立つ。
彼女を守るため?
違う。
彼女の脳内にある「知識」という重要資産が、灰になっては困るからだ。
「――消えなさい」
私は指先を軽く振る。
脳内で構築した術式は、防御ではない。
この程度の熱量、防ぐまでもない。
「『多重反射結界』……部屋が煤けるので、お返しします」
私の目の前に展開されたのは、幾何学模様の鏡の壁。
着弾した炎弾は、物理法則を無視して180度反転し、倍の速度で射手へと戻っていく。
「な、ぎゃあぁぁぁっ!?」
断末魔の悲鳴すら、一瞬で爆音にかき消された。
自らが放った炎に巻かれ、兵士たちが踊る人形のように吹き飛んでいく。
壁に叩きつけられ、黒焦げになって沈黙するまで、3秒ほどだろうか。
「……煙たい」
私はドレスについた煤を払い、冷ややかな目で見下ろした。
「……あらあら。随分と過保護なこと」
背後から、クスクスという笑い声が聞こえた。
振り返ると、ヴィスカリアはソファで頬杖をつき、面白そうに私を見ていた。
目の前で人が吹き飛んだというのに、眉一つ動かしていない。
「別に助けてくれなくてもよかったのに。いざとなれば床下の『溶解液』をぶちまけて逃げる算段はついていたんだから」
彼女は「私の獲物を横取りされた」と言わんばかりに肩をすくめた。
……食えない女だ。
この状況でまだ軽口を叩ける神経の図太さだけは、評価してあげてもいい。
「勘違いしないでください」
私は彼女を見下ろし、淡々と言い放つ。
「貴女を助けたのではありません。必要なのは貴女の『脳みそ』だけです。焼けてなくなると、私が一から解析する手間が増えますから」
「あはは! 言うわねぇ、元聖女様。その『合理的』で可愛げのない性格、嫌いじゃないわよ?」
ヴィスカリアは楽しそうにキセルを吹かす。
私の嫌味を褒め言葉として受け取るとは。相性が悪そうだ。
「ソフィア。こいつらは……」
クロードが、黒焦げになりながらも息のある指揮官の襟首を掴み、引きずってきた。
その鎧の胸元にある小さな紋章を見て、私は鼻を鳴らした。
「……なるほど。『バルデル伯爵家』の私兵団ですか」
「バルデル……。魔導具利権を独占している保守派の筆頭か」
クロードの声に殺気が混じる。
私が「正解」と呟くと、ヴィスカリアがパンと手を叩いた。
「あの狸オヤジ、やっと尻尾を出したわね。口封じに来たってことは、相当焦ってる証拠だわ」
「……知っていることを全て話しなさい、ヴィスカリア。この菌を作ったのは貴女なの? それとも良いように利用された被害者なのか。はっきりさせて」
私が問うと、彼女は面倒くさそうに立ち上がり、研究室の奥から一冊の古びたファイルを放り投げてきた。
「作ったのは私よ。……正確には、『未完成品』をね」
私は空中でファイルを受け取り、中身をパラパラと確認する。
『魔力枯渇地帯における植物の生存戦略』……なるほど。表向きは農業研究か。
「半年前、バルデルに依頼されたのよ。『どんな荒地でも育つ強い穀物を作ってくれ』ってね。金払いは良かったし、面白そうなテーマだから引き受けたわ」
ヴィスカリアは、ゴミを見るような目で倒れている兵士たちを一瞥した。
「でも、途中で気づいた。奴らが欲しがっているのは、魔力を『浄化』する植物じゃなく、魔力を『食い荒らす』菌類だとね。……呆れちゃうわ。人殺しの道具を作りたいなら、素直にそう言えばいいのに」
「だから、意図的に『失敗作』を渡して逃げたと?」
「ええ。でも、奴らは私の残した『失敗作のサンプル』を元に、勝手に培養を続けたみたい。……結果がこれよ。制御不可能な欠陥品をばら撒いて、自分たちまで感染して自滅。滑稽すぎて涙が出るわ」
彼女の説明を聞きながら、私は彼女の瞳を覗き込んだ。
「……嘘ではないようですね」
「あら、信じるの? 私が演技しているかもしれないわよ?」
「いいえ。貴女の『プライド』がそれを否定しています」
私は、倒れている兵士の皮膚――石化しかかっている腕を指差した。
「この菌は、宿主を殺すのが早すぎる。感染拡大の観点からすれば『欠陥品』です。……もし貴女が本気で生物兵器を作るなら、もっと芸術的で、逃げ場のない『傑作』を作るでしょう?」
「ふふ……当たり前でしょ。私なら、潜伏期間を一ヶ月設けて、国中に広まった瞬間に一斉発症させるわ。こんな中途半端なゴミ、私の『作品』だと思われたら心外ね」
技術者としての矜持。
発言内容は最悪だが、その理屈は信用できる。
「それに……貴女がここに残っていた理由も、察しがつきました」
私は部屋の奥にある棚へ歩み寄り、そこに並べられた無数のシャーレを指でなぞった。
日付が書かれたラベル。数ヶ月前から、毎日欠かさずデータが取られている。
そして、いくつかのシャーレには「抑制成功」「失敗」のメモ。
「責任感がないなんて言いつつ、貴女はずっとここで『解毒剤』の研究を続けていた。違いますか?」
「…………」
ヴィスカリアの表情から、初めて余裕が消えた。
「菌が漏れ出したことに気づき、自分の技術が悪用された落とし前をつけるために、逃げずに残っていた。……狸オヤジへの復讐よりも、自分の美学を貫くことを選んだわけだ」
「……あーあ。可愛げのない女」
ヴィスカリアはバツが悪そうに頭を掻き、ふいっと顔を背けた。
「勘違いしないでよ。私は私の汚名を雪ぎたいだけ。不完全な論文が出回るのが許せない、学者のエゴよ」
「ええ、それで結構。その『エゴ』、私が買い取りましょう」
私は彼女に右手を差し出した。
「ここでの研究は限界でしょう? 機材も古いし、サンプルも足りない。私の『学校』に来なさい。最新鋭の設備と、最高の魔力タンク(皇帝陛下)、そして私の演算能力を提供します」
「……ふん。スカウトのつもり?」
「対等な『取引』です。貴女は最高の環境で、そのふざけた『失敗作』を完全論破する薬を作れる。私は友人を救える。……どうですか、ヴィスカリア先生?」
ヴィスカリアはしばらく私を睨みつけ――そして、ニヤリと妖艶に唇を歪めた。
「……高いわよ、私の契約金は」
「帝国の国家予算でお支払いします」
「交渉成立ね」
彼女は私の手をパチンと叩き、白衣を翻した。
「さっさとずらかりましょう。……ついでに、あの狸オヤジに『完成品(解毒剤)』を叩きつけて、絶望のどん底に叩き落としてやるわ」
最悪の出会い。
性格も合わない。
だが、これ以上ないほど強力で、頼もしい「共犯者」を得た瞬間だった。
「……今回も、私の出番はなさそうか?」
少し拗ねたような、それでいて呆れたような声色。
私は苦笑して彼を見上げた。
「あら。指揮官を捕まえるという大役を果たしたではありませんか」
「いや……私がいることを忘れ去られていそうだしな」
クロードは肩をすくめ、気絶して転がっている兵士たちと、私の背中を交互に見た。
「帝国最強」の自分が、妻の護衛どころか観客になっていたことが、少し不服らしい。
全く、この旦那様は。
「安心してください、クロード様。これから始まる『治療』には、貴方のその規格外な魔力が不可欠です。……たっぷり働いてもらいますから、覚悟しておいてくださいね?」
私は彼の腕に自分の腕を絡ませ、悪戯っぽく微笑んだ。
クロードは一瞬きょとんとして――それから、嬉しそうに「望むところだ」と笑った。




