第48話:魔女の隠れ家
「……特定したぞ。スラム街の第4ブロック、地下水道の奥だ」
レインが、帝都の地図の上に一枚のトレーシングペーパーを重ねた。
そこには、無数の黒い点が描かれている。
「これは?」
「スラム街における、大気中の『汚染濃度分布図』だ。患者の発生場所と、その感染経路を計算して分布図にした」
レインが地図の一点を指差した。
黒い点が密集する汚染エリアの中で、そこだけポッカリと、白い穴が開いたようになっている。
「ここだけ、濃度が『ゼロ』だ。不自然なまでな。人為的でなければ、こんな綺麗な『空白』ができるはずがない」
「……なるほど。何か強力な空気清浄結界などで、外界から遮断されている場所があるということですね」
私は目を細めた。
もし、この病気が自然発生したものなら、こんな不自然な場所は生まれない。
誰かが意図的に「清浄な空間」を作り出し、そこに引きこもっている証拠だ。
「十中八九、ヴィスカリアの隠れ家だ。自分の周りだけは安全にして、高みの見物を決め込んでいるんだろうよ」
「お手柄です、レイン先生。……行きますよ。その『特等席』から引きずり出してやります」
「俺も行きたいところだが……今回はパスだ。ティナについててやるよ」
レインは椅子に座り、コーヒーを啜った。
「俺は生まれつき魔力を持たない『欠陥種』だ。この菌に感染するリスクはゼロだが、戦力にもならん。ここでお前たちの帰りを待つ方が合理的だ」
「……助かります、レイン。ティナをお願いします」
レインが魔力を持たない種族だったとは初耳だが、今は深く追求している暇はない。
私とクロードは頷き合い、装備を整えて城を出た。
夜のスラム街。
雨は止んでいたが、湿った空気には腐敗臭が漂っていた。
私たちは警戒しながら廃墟を進むが――奇妙なことに気づいた。
「……静かだな。だが、死体の山があるわけではない」
クロードが周囲を見回す。
貴族街ではバタバタと人が死んでいるのに、この劣悪な環境のスラムでは、咳き込む人はいても、石化して死んでいる者は見当たらないのだ。
「……皮肉な話ですね」
私は足元の泥を見つめた。
「クロード様。この国の身分は概ね『魔力量』で決まります」
帝国には、皇室の親族を除けば、永世の貴族というものは存在しない。
貴族の称号は、授与された本人一代限りで、相続はできない。
しかしその授与は、8割方が国民皆学の魔法学校の、成績上位者に生徒数の割合に応じて行われている。
つまり、魔法が得意なものが上に立ち、下手なものは淘汰される。
軍国主義を標榜するために必要な、富国強兵の一貫だったが。
「魔力の高い者は貴族として優遇され、低い者はこうしてスラムに捨てられるますね」
「ああ。それが帝国の強さの源泉でもあった」
「ですが、今回はそれが逆転しています。魔力が低い──スラム街に住む彼らは、菌にとって『栄養不足』なんです。だから発症しても進行が遅く、死に至らない。……逆に、選民意識を持っていた高魔力の貴族たちは、その恵まれた魔力のせいで病に罹患し、自滅している」
「……弱者が生き残り、強者が淘汰されるか」
クロードは苦虫を噛み潰したような顔をした。
帝国の誇ってきた力が、まるで目の見えない病にここまで追い詰められるとは。
その現実が、彼には重くのしかかっているようだった。
「着きました。ここです」
私たちは、崩れかけた地下水道の入り口に立った。
レインの座標通りだ。ここだけ、嫌な気配がしない。
清浄な空気が漏れ出している。
「……行くぞ」
クロードが剣を抜き、重い鉄扉を蹴破った。
ドォン!
扉が弾け飛び、私たちは中へ踏み込んだ。
そこは、外の汚らしさが嘘のような、清潔で整然とした研究室だった。
壁一面のフラスコ。怪しげな標本。
そして、部屋の中央にあるソファで、一人の女が優雅に脚を組んで本を読んでいた。
「……あらあら。ノックもしないで入ってくるなんて。皇帝陛下ともあろうお方が、随分と野蛮な教育を受けてきたのね?」
彼女は私たちを見ても動じることなく、キセルをふかした。
「貴様がヴィスカリアか」
「ええ。そうよ。……で? 何の用? まさか診察依頼ってわけじゃないわよね?」
彼女はニタニタと笑いながら、私の顔を覗き込んだ。
「ねえ、聖女様。一緒にいた、あの小汚いドワーフの娘はどうしたの?」
ピクリ、と私の眉が跳ねる。
「……ティナのことですか」
「そうそう。あの子、結構な量の菌を吸い込んでいたわよね?魔力量もそこそこありそうだったし……今頃はもう、全身カチコチの石像になって、庭のオブジェにでもなってるんじゃない?」
ヴィスカリアは楽しそうにクスクスと笑った。
「残念だったわねぇ。もう少し早ければ、私が解剖して『中身』を見てあげたのに。石になった内臓って、どんな音がするか興味あるのよねぇ。今どんな気持ち? 自分の軽薄さのせいでお友達が死んじゃうなんて。ねぇ」
ブチッ。
私の中で、何かが切れる音がした。
隣で、クロードからは殺気が噴き出している。
「……貴様」
クロードが剣を突きつける。切っ先がヴィスカリアの鼻先に迫る。
「友を愚弄するか。……やはり、この菌をばら撒いたのは貴様だな?」
「さあね? でも、いい気味じゃない。あんたたち貴族が、自分たちの魔力で腐っていく様を見るのは……最高のショーだったわよ」
ヴィスカリアは悪びれもせず、挑発的に笑い返した。
こいつだ。
間違いない。
この女は、帝国の人間を憎んでいる。だからあんな菌を作り、高みの見物を決め込んでいたのだ。
「……もういい、クロード様」
私は冷たく告げた。
「交渉決裂です。生かして連れ帰るつもりでしたが……手足の二、三本なら無くても薬は作れるでしょう」
「同感だ。……後悔する時間を与えてやる」
クロードが剣を振り上げる。
ヴィスカリアはそれでも余裕の笑みを崩さない。
もしかして、何か切り札が――。
その時だった。
ドォォォォォンッ!!
研究室の壁が、爆炎と共に吹き飛んだ。
「なっ……!?」
私たちが体勢を崩す中、砂煙の向こうから、数十人の武装した男たちが雪崩れ込んでくる。
彼らが着ているのは、帝国の正規軍の鎧ではない。所属を表す紋章もなく、恐らくどこかの貴族の私兵団だ。
「――そこまでだ、魔女め」
兵士たちの後ろから、低い声が響く。
現れたのは、顔を隠した指揮官らしき男。
「誰だ、貴様らは!」
クロードが叫ぶが、男たちは私たちを無視して、ヴィスカリアに武器を向けた。
「見つけたぞ、疫病神。貴様の撒いた菌のせいで、我が主君の領地も甚大な被害を受けた」
「あら、お客さんが増えたわね」
ヴィスカリアはようやく本を閉じ、不愉快そうに舌打ちをした。
「余計な連中も引き連れてきたようね」
話たちたちを一瞥し、襲来者たちを睨みつける。
「……私のせい? よく言うわね。その菌の『培養』を依頼してきたのは、あんたたちの雇い主でしょうに」
「黙れ! 死人に口なしだ!」
指揮官が剣を振り下ろす。
殺気。
彼らはヴィスカリアを捕まえに来たのではない。
口封じのために――殺しに来たのだ。
「総員、構え! ここごと焼き払え!」
兵士たちが一斉に魔導銃を構える。
「……ちょ、馬鹿! やめなさい!」
ヴィスカリアが初めて焦りの色を見せた。
敵の敵は、味方か?
状況は読み込めないが、目の前で解決の糸口を殺される訳にはいかない。
私はクロードに目配せをした。
クロードも、同様に考えたようだ。
私たちは、無言の内に頷いた。




