第47話:生命の循環
「『循環』……?」
クロードが怪訝そうな顔をする。
私は執務室のホワイトボードに、川の絵と、池の絵を描いた。
「ええ。簡単な理屈です。水は、流れが止まると腐りますよね? 藻が湧き、ボウフラが湧く。ですが、急流の川には苔すら生えません」
私はペンで、池の絵に「×」をつけた。
「魔力も同じです。一般の魔導師は、体内のタンクに魔力を『貯水』しています。これが、あの病気にとって最高の温床になっている。対して、私とクロード様は常に魔力を垂れ流している『激流』です。病気の原因となる『何か』が取り付こうとしても、物理的な勢いで押し流されてしまっているんです」
「なるほど……。魔力を捨てていたことが、逆に防護壁になっていたとはな」
レインが感心したように眼鏡を押し上げた。
「なら、答えは一つです」
私は振り返り、宣言した。
「ティナの体内に、無理やり『激流』を作る。
強制循環装置を作り、彼女の体内の淀んだ魔力ごと、菌を洗い流すんです!」
私たちは地下の工房へ移動し、即席の装置を組み立てた。
水道ポンプの循環回路と同様の魔導回路を組み込み、『魔力透析機』を作り上げる。
準備は整った。
私たちは装置を台車に乗せ、ティナが眠る地下牢へ向かった。
「……術式接続。循環ポンプ、起動!」
ゴゥゥゥゥン……!!
機械が重低音を響かせ、ポンプが回転を始める。
ティナの体から、どす黒く濁った魔力が吸い出され、フィルターを通って、浄化された魔力が戻っていく。
「ぐっうぅぅ……!」
「耐えてティナ! 今、悪いものを流しているの!」
私はモニターを凝視し、流速を調整する。
これは魔法のような一瞬の奇跡ではない。
泥水を真水に入れ替えるような、地道で、苦痛を伴う作業だ。
30分後。
ティナの左腕の進行が止まった。
さらに数時間後。
石の表面から黒い煤のようなものが剥がれ落ち、わずかに肌色が覗いた。
「……止まった。いや、押し返している」
レインが安堵の声を上げる。
だが、劇的な回復ではない。
菌はしぶとく、少しでもポンプの出力を弱めれば、すぐに増殖を再開しようとする。
「……長期戦になりますね」
私は汗を拭った。
菌を殺すことはできていない。ただ、体外へ排出し続けているだけだ。
完治するまで、数日……いや、一週間はずっとこの装置に繋ぎ続けなければならないだろう。
ティナの容体が安定したことを確認し、私はクロードと共に執務室へ戻った。
「とりあえず、急場は凌げました。ですが、これは『個別の対処療法』に過ぎません」
私は窓の外、雨に煙る帝都を見下ろした。
今もどこかで、新たな感染者が石に変わっている。
「クロード様。今すぐ全土に布告を出してください。『魔力を体内に貯めるな。常に放出し続けろ』と」
「……魔力の垂れ流しを推奨するのか? 魔導師にとって、魔力は武器であり鎧でもあり、何より生命力の根源でもある。それを捨てろとなると……」
「しかし差し迫った命と天秤にかけさせてください。『循環』させれば、感染は防げます。軽度なら回復も見込める」
クロードは苦渋の決断を下し、即座に緊急放送を手配した。
だが――現実は甘くなかった。
数日が経過しても、死者の数は減らなかった。
長年「魔力を温存する」訓練を受けてきた魔導師たちが、急に「垂れ流せ」と言われても上手くできないのだ。
特に、魔力操作の苦手な子供や、既に発症して衰弱している老人には、そんな芸当は不可能だった。
『報告します! 第4地区で新たに10名が石化!』
『騎士団員十数名が意識混濁状態です! 魔力枯渇が原因と思われます!』
悲痛な報告が積み上がっていく。
私の「循環理論」は、予防にはなるが、特効薬にはなり得なかった。
「……くそっ!」
クロードが机を叩く。
私たちには力があるのに、それを万人に配ることができない。
「やはり、根本的に『菌を殺す薬』が必要です」
私は唇を噛んだ。
「ヴィスカリア……あの闇医者を見つけ出さなければ」
菌の正体を知り、治療法(抗体)を作れる可能性が最も高い人物。
彼女を見つけ出す以外に、このパンデミックを終わらせる道はない。
「ソフィア。その『ヴィスカリア』についてだが……」
クロードが、一枚の報告書を私に差し出した。
影の部隊に調査させていた資料だ。
「彼女がスラム街に流れ着き、廃墟に研究所を構えた時期。それが、最初の『石化熱』の患者が発生した時期と、ほぼ完全に一致している」
「……え?」
「さらに、彼女は森を追放された際、『禁忌の生物実験』を行っていたという記録もある。
……ソフィア。その女こそが、この病気をばら撒いた元凶ではないのか?」
クロードの灼眼が、鋭く光る。
状況証拠は真っ黒だ。
マッドサイエンティストが、実験のために菌を撒いた。あるいは──復讐のためとか。
そう考えるのが自然だ。
だが、私は首を横に振った。
「……いいえ。だとしても、関係ありません」
「ソフィア?」
「いいえ、むしろだったら好都合です。であればこの病に一番詳しいのは彼女ということになります。彼女の頭の中にある知識がなければ、ティナも、国民も救えません」
私は立ち上がり、モノクルを装着した。
「行きましょう、クロード様。犯人なら首根っこを掴んで解毒剤を作らせる。協力者なら金で雇う。……どちらにせよ、帝国の未来には必要な人材になるでしょう」
「……分かった。君がそう言うなら、信じよう」
クロードもまた、剣を帯びて立ち上がる。
私たちは再び、雨の降りしきる帝都の闇――スラム街へと足を踏み出すことにした。
今度こそ、魔女を捕まえるために。




