第44話:次の標的(えもの)
「ソフィアァァァッ!!」
帝都の皇城に到着し、馬車の扉が開いた瞬間。
烈風と共に黄金の影が飛び込んできた。
「ぐえっ」
私は優雅に降り立つ間もなく、強烈な抱擁を受け止める羽目になった。
銀色の髪が、私の胸元にグリグリと押し付けられる。
「無事か!? 怪我はないか!?
北の空が光った時は心臓が止まるかと思ったぞ! いや、実際に3秒ほど止まっていたかもしれん!」
「クロード様、苦しいです。あと公衆の面前ですよ」
出迎えの近衛兵やメイドたちが、見なかったことにして全員空を見上げている。
皇帝クロード・フォン・ヴァイムル。
大陸最強の覇者にして、私の最愛の夫。
彼は数日ぶりの再会に、尻尾を振る大型犬のような有様だった。
「だって……! 連絡も寄越さず、あんな大事件を起こすから……!」
「だってって……」
クロードは涙目で顔を上げ、私の頬を両手で包み込んだ。
そして、ペタペタと私の体を触り、怪我がないか確認し始める。
最近キャラ変が著しい皇帝陛下。
これ何かの伏線だったりする?
「指は全部あるな? 肌荒れは? 変な呪いとか受けてないか?」
「失礼な。私が誰かに後れを取るとでも?
指一本触れさせていませんよ。『物理的』にも『空間的』にも」
「相手は人間じゃないかもしれないだろ! あの光は戦略級魔法だぞ!」
「ああ、あれはただの『ガス抜き』です。ちょっと街一つ分のエネルギーを空へ『パージ(排出)』しただけですよ」
私が平然と言うと、クロードは「はぁ……」と深いため息をついた。
「君の『ちょっと』は、いつも国家予算規模の災害なんだよ……」
「それよりクロード様。離れてください。
紹介したい人がいるんです」
私はへばりつく皇帝を引き剥がし、馬車の奥を指し示した。
「……紹介?」
クロードの表情が一瞬で凍りつく。
彼の碧眼が、鋭い「皇帝の目」になり、馬車の暗がりを睨みつけた。
そこから、ヨレヨレのシャツを着た、猫背の男が降りてきた。
寝癖だらけの黒髪に、瓶底眼鏡。
手には数冊のボロボロのノートを抱えている。
「……初めまして、皇帝陛下」
レインは気だるげに会釈した。
敬意のかけらもない、コンビニ店員に挨拶するような態度だ。
「……ソフィア」
クロードの声が地を這うように低くなる。
「なんだ、この男は。
『お土産』というのは、まさかこの薄汚いモヤシのことか?」
「ええ。新しい『数学の先生』ですよ」
「数学だと? ……ふん」
クロードはレインを頭の先からつま先まで値踏みするように見回し、鼻で笑った。
「なんだか知らんが、ひどく貧相だな。
こんな男が、ソフィアの役に立つとは思えん。
おい近衛兵、こいつを地下牢へ――」
「ほう。これが『皇帝』か」
レインがクロードの言葉を遮り、興味深そうに眼鏡の位置を直した。
「なるほど。音声波形の乱れ、瞳孔の拡大、および発汗量。
……典型的な『依存型愛着障害』と『独占欲』のハイブリッドだ」
「……あ?」
クロードのこめかみに青筋が浮かぶ。
レインは空気を読まずに、ブツブツと独り言を続けた。
「権力者が陥りやすい孤独感と、唯一の理解者への執着。
なるほど、面白いサンプルだ。
『世界征服』という巨大な変数を制御している男が、女一人という『たった一つの変数』にここまで振り回されるとは。……実に非合理的で、興味深い」
レインはニヤリと笑い、ノートに何かを書き込み始めた。
「……ソフィア」
クロードが笑顔で私を見た。
だが、その目は笑っていない。赤い瞳が絶対零度の輝きを放っている。
「こいつ、処刑していいか?」
「ダメです。この人は私が苦労して手に入れた、世界最高の頭脳ですよ」
私はクロードとレインの間に割って入った。
「レイン先生も、あまり皇帝陛下を煽らないでください。
この人は権力とお金だけは持っていますから、スポンサーとして重要なんですよ?」
「……おっと、失礼。研究費を出してくれるなら話は別だ」
レインは悪びれもせずに肩をすくめた。
その後ろから、ティナがモグモグとクッキー(馬車のおやつ)を食べながら降りてくる。
「もー、喧嘩しないのー。
クロード様も、レインは口が悪いけど腕は確かだよ。あの光の柱を作ったのはコイツだし」
「む……あの光を?」
ティナの言葉に、クロードは少しだけ毒気を抜かれたようにレインを見直した。
以前、鋼鉄公国グラムでティナの技術力は目の当たりにしている。その彼女が言うなら、多少の信憑性はあると判断したようだ。
「……まあいい。ソフィアとティナが選んだのなら、無能ではないのだろう。
だが! ソフィアに指一本でも触れてみろ。その時は『数学的にあり得ない角度』に関節を曲げてやるからな」
「ご安心を。俺は三次元の女より、数式という二次元の美女の方が好みだ」
「……それはそれでどうかと思うが」
クロードは呆れたように息を吐き、ようやく剣呑な気配を消した。
そして、改めて私に向き直り、真剣な表情になった。
「さて、ソフィア。
無事の帰還を祝って宴でも開きたいところだが……そうもいかないらしい」
「何か問題でも?」
「ああ。君が北へ行っている間に、議会の『古狸たち』が騒ぎ出した」
クロードは眉間を揉みながら、皇城の奥――議事堂の方角を睨んだ。
「君が設立しようとしている『王立総合学園』。
その認可と予算案に対し、魔術省と貴族院の保守派が猛反発している」
「ほう? 理由は?」
「『魔力を持たぬ者の学問(科学)など、帝国の品位を下げる』……だとさ」
クロードは吐き捨てるように言った。
「奴らは新しい力が怖いのだろう。自分たちの既得権益である『魔法』が、科学とかいう訳の分からないものに脅かされるのがな」
「なるほど。想定通り(テンプレート)な反応ですね」
私はニヤリと笑った。
新しいことを始めようとすれば、必ず抵抗勢力が現れる。
だが、それは逆説的に言えば、彼らが「脅威」を感じている証拠でもある。
「で? 条件は?」
「『一ヶ月後の定例会議までに、科学が魔法より優れているという明確な実績を示せ』……だそうだ。できなければ、計画は凍結される」
「実績、ですか」
私はレインとティナを見た。
数学と、工学。
基礎は揃った。
だが、一般人に分かりやすい「成果」を見せるには、もう一つ足りない。
生活に直結し、誰もがその恩恵(あるいは恐怖)を理解できる分野。
「……ちょうどいいですね。次の一手、決めていましたから」
「あてがあるのか?」
「ええ。数学、工学ときて……次は『生命』です」
私は指を三本立てた。
「クロード様。帝都の貧民街に、奇妙な『闇医者』がいるという噂を知っていますか?」
「闇医者? ……ああ、聞いたことはある。『森を追放されたエルフ』とかいう奴か?」
「そうです。次はその方をスカウトしに行きます」
私は不敵な笑みを浮かべた。
古狸たちよ、震えて待つがいい。
私が集めるのは、ただの教師ではない。
世界をひっくり返す、最強の「変人集団」なのだから。




