第40話 計算
「……で、立ち話もなんだ。ついてきな」
レースに敗北したレインは、泥だらけの私とティナを促し、ゴール地点であった大時計塔の重い鉄扉を押し開けた。
「え、ここに入るの?」
「ここに住んでいるんだ。ここからなら街全体を見渡せるからな」
私たちは彼に続き、螺旋階段を降りていく。
カチコチと巨大な歯車が噛み合う音が響く、薄暗い地下空間。
そこは、時計塔の管理室というよりは、狂った科学者の実験室だった。
足の踏み場もないほどに散乱した数式用紙。
壁一面に貼られた、この街の地脈図。
そして、ガラクタの山から突き出た無数の計測機器が、チカチカと不規則な明滅を繰り返している。
こういうのを、足の踏み場もない、というのだろう。
「適当に座ってくれ。椅子に置いてある本は床に捨てていい」
レインは温くなったコーヒーを啜りながら、ドサリとソファに身を投げ出した。
とは言え、座る場所もない。
仕方がないので、適当な椅子から本をのけて座ることにした。
「さて、約束通り話を聞こう。帝国の学校に俺をスカウトしたいんだったか?」
「ええ。ですがその前に、一つだけ疑問が解消されました」
私は散らばった数式の一枚を拾い上げ、彼に向けた。
「貴方がなぜ、こんな辺境の『カジノ都市』に執着しているのか。……ただギャンブルに溺れているわけではなかったのですね」
そこに書かれていたのは、ギャンブルの必勝法などではない。
『魔力質量保存則の崩壊』『空間歪曲の臨界点』……この街を蝕む異常現象への、必死の計算式だった。
「……まぁ、ギャンブルが好きなのは間違いないけど、多分考えている通りだよ」
レインは自嘲気味に笑い、天井を見上げた。
「元々、ここは『国』なんて大層なもんじゃなかったんだ」
「ええ、権力を嫌った数学者たちの集まりだったと聞いています」
「そうさ、全員が全員、数学狂いの変人たちだ。家族も仕事も捨てて、兎に角世の中を計算で予言したいっていうアホどもの『サークル』だった。とりわけ土地特有の魔力異常(特異点)をに興味があってね。ここを調べながら、夜な夜な『理論の実践』を行う……トランプやダイスは、元々はその内の一つだった。昔確率論を疑った奴がいて、『本当にそうか?』って10個のダイスのゾロ目が揃うまで振り続けた奴がいてね。笑えるだろ?」
レインの目が、遠い昔を懐かしむように細められる。
10個のゾロ目。
6の10乗か。
1秒に1回休まず振っても700日
単純に1日の半分ふったとしたら3年ほど振り続けることになる。
しかし、そんな狂気が、あの巨大カジノ『フォルトゥナ』の原型ということか。
金欲のためではなく、純粋な知的好奇心のために集まった学者たちの楽園。
「俺たちは楽しかった。金なんて二の次で、ただ『確率の女神』の正体を暴くことに熱中したりな」
だが、すぐにその瞳は冷たい光を宿した。
「だが、俺たちは計算はできても、商売はできなかった。俺たちが考えた『究極に公平で面白いギャンブル』は、外から来た投資家たちには『金のなる木』に見えたらしい」
「……なるほど、確かに自治を認められたということは、他のどの国からも干渉されませんからね。私は、実は逆だと思ってました」
つまり、カジノがあるから自治があるのだと。
多くの貴族、王族、資本家が金を使うから、そうした既得権益に守られていたのかと思っていたが。
成立は逆だったのか。
まぁその違いがだからどうということはないのだけれど。
「気づいた時には遅かったよ。『運営を効率化する』という甘い言葉に乗せられ、権利書にサインした瞬間、ここは俺たちの実験場ではなく、奴らの搾取場になった。……俺たちは、数学ができるが『社会のルール』には疎くてね。仕方ない。そういうのが嫌でここに来たんだからな」
レインは拳を握りしめた。
資本家たちが目をつけたのは、カジノだけではなかった。
ここにある魔力溜まりも、資源として利用することを考えた。
本来、自然に放出されるべき地脈のエネルギーに「蓋」をし、動力源として利用する術も考えたらしい。
「奴らにとってここは『安定した金のなる木』だが、俺たちにとっては『計算不能なカオス』こそが至宝なんだ。魔力が溢れ、空間が歪み、常識が通用しない……正直危険もあるが、
でも面白いだろ? どうしてこんなことが起きるのか、俺は知りたいだけなんだ」
レインは悪戯っ子のように笑った。
彼はふと、壁に掛けられた巨大な古時計と、手元の震える計器を見比べた。
「……そろそろ、見られるぞ」
「え?」
「蓋の限界だよ。俺の計算だと、後20秒くらいか」
レインはまるでオーケストラの指揮者のように、空間に向けて指を立てた。
「本当は数カ月後だったんだがな。理由は分からないが、お前らがこの街に来てから、変数が変わった。時計の針が一気に回り始めたんだ。まるでお前たちを待っていたみたいに。これはまさに『運命』かもな。おかげで逃げる暇もなかった」
彼はニヤリと笑い、カウントダウンを始めた。
「3、2、1――」
その時だった。
ズズズズズ……ッ!!
不気味な地鳴りが響いた。
いや、地面が揺れているのではない。
空気が、空間そのものが、悲鳴を上げているような不協和音。
「なっ、なんだ!?」
ティナが椅子から飛び上がる。
部屋中の計測機器が一斉に警告音を鳴らし、針が振り切れた。
「……計算通り。始まったな」
レインは冷静に、しかしその瞳に狂気的な光を宿して言った。
ドンッ!
と部屋全体が大きく突き上げられた。
天井からパラパラと埃が落ちてくる。
「どういうことですか!?」
「カジノがしている『蓋』の限界だよ。奴らは利益のために魔力を溜め込みすぎたんだ。 本来なら、定期的に噴き出していた安定していた。お前らの観測した魔力溜まりは、本当はあんなに小規模じゃなくて街全体を覆うほどのものだった。俺たちは『魔力噴出』と呼んでいるが……今回の規模は、予測通りなら以前のものの5倍くらいかな」
「噴出すると、どうなるの!?」
ティナが悲鳴を上げる。
レインは絶望的な顔で、壁に掛けられた街の地図を指差した。
「重力レンズは分かるだろ? ぴんと張った布でもある程度の重さなら耐えられる。だが許容量を超えたらどうだ? 破れるだろ。空間が耐えきれなくなる。この街は30分後、溜め込まれた魔力が重すぎるために質量崩壊によって裏返り――地図から消滅する。計算ではね」
「なっ……!?」
「逃げる場所はない。空間が歪んでいるせいで、外へ繋がる道も塞がっているよ。……チェックメイトってやつかな。確率0%の『死』だよ」
レインは椅子に座り込み、優雅にも冷え切った紅茶を啜る。
数学者として「解なし」という結論が出てしまったのだ。
しかし。
だからこそどうして!
「……どうして、貴方はそんなにおちついているんですか?」
「どうしてって、そりゃあ……」
レインは恍惚とした表情で、軋みを上げる天井を見上げた。
「この美しい『解』を前にして、狼狽する理由があるか?」
「……解、ですか?」
「ああ、そうだ。欲に目が眩んだ愚か者たちが積み上げた『エラー』が、物理法則という絶対的な審判によって修正されようとしているんだぞ? これほど完璧で、これほど美しい事象はそうそう拝めない」
彼は両手を広げ、まるで崩落してくる瓦礫を歓迎するかのように笑った。
「俺は観察者だ。自分の命という『微細な変数』が消えることよりも、この壮大な数式が完結する瞬間を特等席で見届けられることの方が、遥かに価値がある」
狂っている。
この男は、自分の死すらも実験データの一部としか捉えていないのだ。
死への恐怖よりも、知的好奇心が勝っているのだろう。
「それに、言っただろう? 確率は0%だ。
確定した未来に対して足掻くのは、数学的にも美しくない」
レインは冷めた目で私を見た。
それは「諦めろ」という視線ではない。
まるで、私を試すような、底知れない光を宿していた。
「――諦めるのはまだ早いです」
私の言葉に、レインの口角がわずかに、本当にわずかに吊り上がった気がした。
「お前、状況が分からないほどばかじゃないだろ?」
「ええ、分かっています。計算式があるなら、解法もあるはずです。……『蓋』が壊れそうなら、安全に開けてあげればいいだけのこと」
私はニヤリと笑い、震えるティナの肩をポンと叩いた。
「ティナ。貴女なら、壊れかけの機械を直すことくらい、造作もないでしょう?」
「えっ……」
ティナは一瞬きょとんとして、それから自分の手にあるスパナを握りしめた。
恐怖で涙目になってはいるが、その瞳にある「職人の魂」までは消えていない。
「も、もっちろん! 構造さえ分かれば、どんなポンコツでも動かして見せるよ! 私を誰だと思ってるの! 天才ドワーフ技師、ティナちゃんだよ!」
ティナが工具箱を掲げて胸を張る。
その根拠のない、しかし頼もしい自信に、レインは呆気に取られ――そして、ふっと笑った。
「……ハハッ、そうかよ。俺たちが『計算』しかできなかったから、こうなったんだっけな」
レインは立ち上がり、ズレた眼鏡の位置を直した。
その目に、先ほどまでの死を待つだけの虚無はない。
あるのは、難解なパズルを前にした時のような、ギラギラとした情熱だ。
「いいだろう。俺が『理論』を書く。ドワーフ、お前らが『実装』しろ」
「役割分担、ですね」
「狙うはカジノの地下、中央制御室。あそこにあるメインバルブを強制開放し、今いるこの大時計塔を『巨大な煙突』に改造して、魔力を空へ逃がす」
私たちは走り出した。
目指すは、崩壊の震源地であるカジノホテル。




