第39話:測地線
「跳びますよ! ティナちゃん!」
「らじゃー!」
ダンッ!
私たちは石畳を蹴り、目の前の建物の非常階段を一気に駆け上がった。
錆びついた鉄骨が悲鳴を上げるが、構わない。
3階部分の踊り場から、さらに上の屋根へとジャンプする。
「うわっとっと!」
瓦屋根の上に着地すると、雪で足が滑りそうになる。
だがティナは、ドワーフ特有の重心の低さと体幹の強さで踏ん張り、私は結界魔法の応用でバランスを修正する。
「アドミン! ルートガイド!」
『了解! 前方12時の方向、隣のビルの給水塔を経由して、向かいの鐘楼へジャンプ!
そこから地下水路へダイブ!』
視界に赤いライン(ナビゲーション)が表示される。
それは常人の感覚では「自殺行為」としか思えない、空中の点と点を結ぶルートだった。
「無茶苦茶だね!」
「それが『最短』です!」
私はドレスの裾を翻し、跳躍した。
眼下には、歪んだ空間に捕らわれ、蟻地獄の底を這うように進むゴーレムの姿が小さく見える。
あいつは「直進」している。
だが、私たちは「空間の外側」を飛んでいる。
「っ……!」
風を切る音が耳元で唸る。
カジノ都市の上空。
ここからは、街全体に現れる「魔力の歪み」がよく見えた。
まるで蜃気楼のように揺らめく空間の海。
その波間を縫うように、私たちは屋根から屋根へと飛び移っていく。
「次は地下です!」
鐘楼の屋根から、路地裏のマンホールへ向かって落下する。
着地寸前に結界魔法を前方に射出し、衝撃を殺、ティナと共に地下水路へと滑り込んだ。
ザパァァァン!
冷たい汚水が跳ねるが、気にしている場合ではない。
『警告。右側壁面に高濃度の魔力溜まりを検知。接触すれば、空間圧縮によりどっか別のところに弾き飛ばされるよ!』
「右に寄らないで! 左の壁を走るよ!」
「ええええ!?」
私はティナの手を引き、遠心力を利用して壁面を走った。
すぐ右側では、空間がねじれ、鉄柵が飴細工のようにひしゃげているのが見える。
一瞬でも判断を誤れば、私たちもあの鉄屑の仲間入りだ。
「心臓に悪いよぉぉぉ!」
「文句はあの数学者に言いなさい!」
地下水路を抜け、再び地上へ。
目の前には、ついにあの大時計塔がそびえ立っていた。
「見えた! ゴールだ!」
ティナが叫ぶ。
だが、同時に別の影も見えた。
カシャン、カシャン……。
大通りの向こう側から、あのゴーレムが淡々と歩いてきている。
距離はほぼ互角。
あちらは障害物なしの平坦な道。
こちらは泥だらけで息も絶え絶え。
「あと100メートル……!」
私は残った魔力を全て脚部に集中させた。
特段魔法として術式を纏わなくても、魔力による肉体強化もある程度は可能。
「ティナ、私に合わせて!」
「うん!」
「いっ――せーの――」
「せぇぇぇぇい!!」
私たちは同時に地面を蹴った。
雪を爆発させ、弾丸のように飛び出す。
ゴーレムもまた、最後の直線を機械的な正確さで進む。
時計塔の入り口。
そこに立つ、管理人の姿。
そして、その横で懐中時計を見つめるレイン。
(届け――!)
私は懐から手紙を取り出し、腕を限界まで伸ばした。
カシャン。
ゴーレムの手も伸びる。
一瞬の静寂。
そして――。
バシィッ!!
乾いた音が、寒空の下に響き渡った。
「……はぁ、はぁ……!」
私は膝に手をつき、荒い息を吐いた。
隣ではティナが大の字になって倒れ込み、空を見上げている。
「……判定は?」
私が顔を上げると、レインは驚きに目を見開いたまま、ストップウォッチを握りしめていた。
管理人の手には、私が叩きつけた手紙。
そしてゴーレムの手は――わずか数センチ、届いていなかった。
「……14分59秒82」
レインが震える声でタイムを読み上げた。
「ゴーレムの到着予想時刻より、0.18秒速い」
彼はゆっくりと視線を落とし、泥だらけでボロボロになった私たちを見た。
そして、ゴーレムを見やり、再び私たちを見る。
「……『測地線』か」
レインがポツリと呟いた。
「直線を捨て、あえて危険な屋根や地下を選んだ。この歪んだ空間において、それが唯一の『解』だと見抜いたか」
「……ええ、まあ。身体を張った『実地検証』でしたけどね」
私が髪をかき上げて笑うと、レインは呆れたように、しかしどこか嬉しそうに口の端を歪めた。
「なるほどね……なるほどなるほど」
突然、彼は腹を抱えて笑い出した。
「面白いよ。なるほどね。君みたいな行動力の塊が、きっと世界を変えるんだろうね」
彼は笑い涙を拭い、私に手を差し出した。
「わかった。いいよ、ソフィア・エレオノーラ・フォン・オルステッド。……負けを認めよう。約束通り、話を聞こうじゃないか」
私はその手を取り、しっかりと握り返した。
「ええ。では改めて、スカウトさせていただきます。レイン先生」
こうして、最高の頭脳を持つ数学者との交渉の機会を得た。
代償として、ドレスは泥だらけ、全身筋肉痛のおまけ付きだったけれど。




