表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/57

第4話:朝食と手紙

小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光。

私は、雲の上で寝ているような浮遊感の中で目を覚ました。


(……あれ? アラームが鳴らない?)


一瞬、背筋が凍りついた。

寝坊だ。遅刻だ。

王都の結界強度は大丈夫か?

朝の浄化システムは稼働しているか?

私は飛び起きようとして――ふかふかの羽毛布団に沈み込んだ。


「……あ」


そうだ。

私はもう、あのブラックな王国にはいないのだった。

見上げれば、高い天井に描かれた美しいフレスコ画。

肌に触れるのは、最高級シルクのシーツ。

ここは隣国、帝国の宮殿にある私室だ。


「……幸せすぎる」


私は二度寝の誘惑を振り切り、大きく伸びをした。

昨日、魔導炉を修理した後、私は宣言通り泥のように眠った。

睡眠時間、実に12時間。

こんなに長く、魔力消費を気にせずに眠ったのは生まれて初めてかもしれない。


「ソフィア様、失礼いたします」


控えめなノックと共に、専属のメイドさんたちが入ってきた。

彼女たちは手際よく私をベッドから助け出し、温かい蒸しタオルで顔を拭き、着替えを手伝ってくれる。

用意されたドレスは、王国の聖女服(ただの白い布)とは比べ物にならない、淡いブルーの美しいシルクドレスだった。


「陛下がお待ちです。朝食の用意が整っております」


通されたのは、テラス席のあるサンルームだった。

ガラス張りの窓からは、帝都の整然とした街並みと、私が修理した魔導炉が放つ淡い青色の光が見える。


「おはよう、ソフィア。よく眠れたか?」


テーブルの向かいで、クロード皇帝が優雅にコーヒーを飲んでいた。朝の光を浴びた彼は、悔しいけれど絵画のように美しい。

黒髪がサラリと揺れ、赤い瞳が私を捉えて緩く細められる。


「おはようございます、陛下。おかげさまで、人生最高の目覚めでした」


「それは何よりだ。顔色も少し良くなったな」


クロードは満足げに頷くと、私の皿に次々と料理を取り分け始めた。

焼き立てのパン、ふわふわのオムレツ、瑞々しいフルーツ、そして香り高いスープ。


「さあ、食べた食べた。君は細すぎる。我が国の『最高技術顧問』が栄養失調で倒れたら、国の恥だからな」


「ちょ、ちょっと陛下! そんなに食べられません!」


「ならん。これは業務命令だ」


そう言って、彼はナイフで桃を綺麗に剥くと、フォークに刺して私の口元に差し出してきた。


「はい、あーん」


「……自分で食べられます」


「手が汚れるだろう? ほら、口を開けて」皇帝スマイルによる圧力。


私は……少しだけ逡巡したけれど、結局口を開けた。

逆らうのもカロリーを使うし、何よりこの人は私の雇用主だ。

言うことを聞くのが正しい社畜のあり方だろう。たぶん。


ぱくり。


「……んむ。美味しいです」


口いっぱいに広がる果汁の甘さ。それ以上に、胸の奥がむず痒い。

王国の王子なんて、私が食事をしている最中でも「おい、水を持ってこい」とこき使ってきたのに。

「あーん」なんて、人生で初めてされたかもしれない。


(これが……優遇ってことなの……?)


「そうか。なら全部食べようか」


私が呆然としている間に、次々と桃が運ばれてくる。

私は雛鳥のように、ただ口を開けて餌付けされることしかできなかった。

……甘い。

桃も甘いが、この皇帝の扱いが甘すぎる。ニコニコと私を餌付けするクロード。

平和だ。

私が求めていたのは、この穏やかな時間だったのだ。

しかし――そんな至福の時間は、唐突に破られた。


「陛下、失礼いたします」


重苦しい顔をした老執事が、銀の盆を持って現れた。

盆の上には、一通の封筒。

そこには、見間違えようもない「王国の紋章」が、赤い蝋で封印されていた。

一瞬にして、クロードの纏う空気が凍りついた。


「……チッ。朝から不愉快なものを持ってきたな」


先ほどまでの甘い声が嘘のような、地を這うような低音。

クロードはフォークを置き、冷徹な皇帝の顔に戻った。


「捨てておけ。どうせ『返してくれ』だの『金を出せ』だの、ろくな内容ではない」


「ですが陛下、『緊急・親展』の印が……」


「知ったことか。我々の食事を邪魔する権利など、あの小国の王族にはない」


クロードが指先を動かす。

おそらく、魔法で手紙ごと燃やし尽くすつもりだ。


「ま、待ってください陛下!」


私は慌てて彼の腕を止めた。


「一応、確認させてください」


「なぜだ? 見る価値もないぞ」


「もしかしたら……私の『未払い給与』と『退職金』の振込通知かもしれませんから!」


私は社畜根性を発揮して、執事から手紙を受け取った。

未払いの残業代は、ざっと計算しても金貨5000枚はあるはずだ。

もしそれが支払われるなら、貰っておくに越したことはない。


「……はぁ。君は本当に、妙なところで現実的だな」


クロードが呆れたようにため息をつく。

私はペーパーナイフを手に取り、王家の封蝋を慎重に剥がした。


「では、拝見しますね」


封筒から出てきたのは、分厚い羊皮紙が一枚。

私はそれを広げ、目を通した。

そして――。

最初の一行を読んだ瞬間、私の表情は「無」になった。


(……はい?)


そこには、謝罪でも、給与明細でもなく。

私の理解を超える、斜め上の文章が綴られていた。


「……」


私は手紙を持ったまま、石像のように固まっていた。

思考が停止する。いや、あまりの内容に脳が理解を拒否していると言ったほうが正しい。


「どうした、ソフィア。顔色が悪いぞ」


異変を察知したクロードが、心配そうに覗き込んでくる。


「……陛下。私、少し考え違いをしていたようです」


「ん?」


「王国のエリック王子は、ただの『わがまま』だと思っていましたが……どうやら、頭のネジが根本から外れ落ちていたようです」


私は乾いた笑いを漏らし、手紙をテーブルに置いた。

震える指で、その文面をなぞる。

そこには、常人の想像を絶する「勘違い」が綴られていた。


【親愛なる(笑)ソフィアへ】

突然だが、君に慈悲を与えることにした。

君が城を出ていってから、奇妙なことが起きている。

天空の結界が消え、雨風が吹き荒れ、あろうことか城内の下水道が逆流しているのだ。

原因は明白だ。

君は退職する際、腹いせに『国を蝕む呪い』をかけたのだろう?

本来ならば、国家反逆罪で処刑されるべき大罪だ。

だが、リリィは優しい。「ソフィア様にも事情があるはずです」と泣いて庇っている。

そこで、私は特別に温情をかけることにした。

今すぐ城に戻り、その薄汚い呪いを解きなさい。

そして、結界を元通り張り直して、リリィに土下座して謝罪しなさい。

そうすれば、罪は不問とし、『聖女見習い』としてリリィの下で働くことを許可してやろう。

給金は出ないが、罪滅ぼしができることを光栄に思うように。


追伸:

戻ってくる際は、私とリリィのために、有名な帝国のスイーツを買ってくること。

王国第二王子 エリック


「……………………」


読み終わった瞬間、私の口から魂が抜けかけた。

すごい。

ここまでポジティブに現実逃避できるなんて、ある種の才能だ。


「呪い? 土下座? しかもタダ働きで、お土産まで要求……?」


あまりの図々しさに、怒りを通り越して感心してしまった。私が維持していたインフラが止まっただけだという発想は、彼の中には1ミリもないらしい。


「……ソフィア」


その時。

部屋の温度が、急速に冷凍庫並みに下がった。


「貸せ」


短く、低い声。

クロードが横から手紙をひったくった。

彼はものすごい速さで文面に目を通し――そして。


パキィィィィィィィン……ッ!


「へ?」


異様な音がして、テーブルの上の食器にヒビが入った。

いや、違う。

クロードの手元から発生した「冷気」が、テーブルを一瞬で凍りつかせたのだ。

手紙を持つ彼の手は、怒りで白く震えている。

美しい顔からは表情が消え失せ、赤い瞳だけが、ゆらりと殺気を帯びて輝いていた。


「……なるほど。理解した」


クロードが、地獄の底から響くような声で呟く。


「この国の王子は、死に急いでいるらしい」


ゴゴゴゴゴゴ……ッ!

部屋全体が振動する。

窓ガラスがカタカタと鳴り、外の空すら暗くなってきた気がする。

これはマズい。

この人は「魔導皇帝」だ。本気で怒らせると、天災(マップ兵器)が発動する。


「ソフィアを……私の至宝を、『呪い女』呼ばわりだと?」


「へ、陛下! 落ち着いて!」


「あまつさえ、あの素晴らしい自動化プログラムを『薄汚い呪い』と愚弄し、タダ働きを強要し、土下座をさせる……?」


クロードの周囲に、黒い氷の結晶が浮かび上がる。

これは帝国の禁呪、『ニブルヘイム(永久凍土)』の予備動作だ。


「万死に値する。……いや、死では生温い。この手紙を書いた指を一本ずつ氷砕し、その愚かな脳髄を永久凍結させて、未来永劫後悔させてやる」


クロードが右手を掲げる。

その掌には、圧縮された極大の魔力が渦巻いている。


「消え失せろ、愚か者ども。地図からその国ごと消滅させてやる」


「ちょ、ストップーーーッ!!」


私は慌ててクロードの腕にしがみついた。


「ダメです陛下! ここで極大魔法を撃ったら、帝都まで吹き飛びます! 私の研究室が壊れちゃう!」


「離せソフィア! これは侮辱だ! 君への侮辱は、私への宣戦布告と同義だ!」


「気持ちは嬉しいですけど! 燃やすのはもったいないです!」


「もったいない? こんな紙切れが惜しいのか?」


クロードが動きを止める。

私は彼の腕をホールドしたまま、キリッとした顔で告げた。


「違います。『請求先』が消滅したら、お金が取れないじゃないですか」


「……はい?」


クロードの殺気が霧散し、きょとんとした顔になる。

私はニヤリと笑った。


「向こうは『仕事に戻れ』と言ってきたんです。つまり、これは『業務委託のオファー』です」


「……ほう」「ならば、提示すべきは魔法(暴力)ではありません」


私は懐から、愛用の万年筆を取り出した。


「『適正価格の見積書』です」


―――――――――


「……ふぅ。危ないところでした」


私の説得(という名の物理的なしがみつき)により、クロードの怒りはなんとか鎮火した。

部屋に充満していた殺人的な冷気が引き、凍りついたテーブルの氷がパキパキと音を立てて溶けていく。

伝説の戦略級魔法『ニブルヘイム』の発動は、寸前で回避されたようだ。


「……ソフィア。本当にいいのか? あんなナメた手紙を寄越す国など、更地にした方が早いが」


「ダメです。更地にしたら、お金を回収できませんから」


私はキッパリと言い放ち、新しい羊皮紙を広げた。


そして、サラサラと愛用の万年筆を走らせる。


「見ていてください、陛下。魔法より恐ろしい『現実』というものをお見せします」


私はかつての社畜時代に培った、高速事務処理スキルを発動させた。

脳内で計算式を組み上げ、過去5年間の労働データを参照する。


「えーと、まずは『未払い残業代』ですね」


カリカリカリッ! とペンの走る音が響く。


基本勤務時間: 24時間(睡眠中も魔力供給のため)休日: なし(365日稼働)

深夜割増・休日割増: 適用

危険手当: 汚水処理および魔物結界維持のため適用


「これを5年分……単純計算で、金貨8億枚ですね」


「ほう」


クロードが面白そうに覗き込んでくる。


「次に『技術提供料』です。私は現在、帝国で『最高技術顧問』の待遇を受けています。つまり、私の時給は王国の相場の500倍です」


「うむ。私の妻になるのだから、それくらいは当然だ」


「ですので、再雇用にかかるコンサルティング費用は、帝国の相場で請求します。……プラス、金貨20億枚」


桁がおかしいことになっているが、私は止まらない。

エリック王子は「タダで働け」と言った。


その対価がいかに非常識かを、数字でわからせる必要がある。


「最後に、今回の『不当解雇』および『名誉毀損(呪い呼ばわり)』に対する慰謝料。さらに、緊急対応のための特急料金を上乗せして……」


私は最後の数字を書き入れ、ドンッ! と力強くアンダーラインを引いた。「完成です。締めて、金貨50億枚(国家予算3年分)になります」


私はその羊皮紙をクロードに見せた。

そこには、王国が逆立ちしても払えない天文学的な数字が並んでいた。


「……くっ、ふはははは!」


クロードが腹を抱えて笑い出した。


「素晴らしい! 最高だソフィア! 魔法で都市を凍らせるよりも、よほど残酷で美しい攻撃だ!」

「お褒めいただき光栄です。……で、これを送ろうと思うのですが」


私は封筒を手に取った。

しかし、クロードがそれを制した。


「待て。ただ送るだけでは、あの愚かな王子は『紙切れ』だと思って破り捨てるだろう」


「あー……たしかに。あの人の頭の悪さは伝説級ですからね」


「だから、私が『箔』をつけてやろう」


クロードは指を鳴らし、執事に何かを持ってこさせた。


それは、黄金に輝く『皇帝の印章』だった。


「へ、陛下? それを押すと……」


「うむ。これは私の名における『公式文書』となる」


クロードは楽しげに、私の作った請求書に『承認』の印をドンッ!と押した。


「これで、この請求書はソフィア個人からの手紙ではない。『帝国皇帝クロード・フォン・ヴァイムルから、王国への正式な賠償請求』へと昇格した」


「……えっと、つまり?」


「無視すれば、帝国に対する宣戦布告とみなす。……ということだ」


私はゴクリと唾を飲み込んだ。

ただの嫌がらせのつもりが、ガチの国際問題(外交カード)に進化してしまった。

金貨50億枚を払うか、帝国と戦争して滅びるか。

究極の二択だ。


「さあ、送ってやろう。帝国の『最速竜便』を使え。今日の夕方には届く」


「悪趣味ですねぇ……」


クロードは凶悪な笑みを浮かべ、私は苦笑した。


「エリック王子、お土産に『帝国のスイーツ』をご所望でしたよね?」


私は窓の外、荒れ狂う嵐の向こうにある故郷を見つめた。


「たっぷり味わってください。甘くなくて、胃に穴が開くほど重たい『現実』というお土産を」


その日の夕方。

王国の執務室で、エリック王子は優雅に紅茶を飲んでいた。


「ふん、そろそろソフィアから返事が来る頃か。泣いて喜んで戻ってくるだろうな」


「そうですわね、エリック様。ついでに帝国の美味しいクッキーも楽しみですわ」


リリィと二人で笑い合っていると、窓ガラスを突き破らんばかりの勢いで、帝国の使い魔が飛び込んできた。


「おっ、来たか! どれどれ……」


エリックは封筒を受け取った。

そこには、以前よりも遥かに高圧的な魔力が込められた、帝国の紋章が輝いている。


「……ん? なんだこの重厚な封筒は……」


彼が震える手で封を開け、中身を取り出した瞬間。

部屋の空気が凍りついた。


【請求書】

ご請求金額:金貨 5,000,000,000 枚

(支払い期限:即日)


「……は?」


エリックの目が点になる。

そして、その下にある、真っ赤な皇帝の印章と、添えられたメッセージが目に飛び込んできた。


『払えぬ場合は、我が国への侮辱とみなし、相応の対応(焦土化)をする。 ――皇帝クロード』


「ヒィッ!?」


エリックは悲鳴を上げ、手紙を取り落とした。

紙が床に落ちる音が、彼には断頭台の刃が落ちる音のように聞こえた。


「な、なんだこれはぁぁぁぁぁぁッ!!」


王宮に、王子の絶望の叫びが響き渡る。

しかし、それを解決してくれる「便利な聖女」は、もうどこにもいなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ