第37話:数理狂
「――というわけで、お客様方。当ホテルおよびカジノへの、今後の出入りはご遠慮願います」
カジノホテルの裏口から、私たちは寒空の下へと放り出された。
手には、戦利品である大量の換金済み小切手と、ティナの工具箱。
そして背後では、重厚な鉄の扉がガチャン!
と無慈悲な音を立てて閉ざされた。
「えぇー……。出禁になっちゃったよぉ」
ティナがモコモコの帽子を目深にかぶり直し、残念そうに呟く。
吐く息が白い。北国の夜風は、勝負の熱気を一瞬で冷ますほどに鋭かった。
「仕方ありませんね。あそこまで派手に勝てば、招かれざる客認定もされるでしょう」
私はコートの襟を立て、シルバーフォックスのファーに顔を埋めた。
元々、長居するつもりはない。
ティナを取り戻し、結果的に活動資金も(十分すぎるほど)確保した。
「さて、ティナちゃん」
私は立ち止まり、極上の聖女スマイルを浮かべて振り返った。
ティナが悲鳴を上げて後ずさる。
私は逃がさないように、彼女の冷え切った両頬をむにゅっと摘み上げた。
「あだだだだ! ごべんなざい、ソフィアぢゃん! ごべんなざぁぁい!」
「勝手にいなくなる。怪しい誘いに乗る。ここまでは百歩譲って許しましょう。子供の好奇心ですからね。……ですが、挙句の果てに『自分の身柄』を賭ける? エンジニアとして、最も重要な『リスク管理』がなってないんじゃないですか?」
私は少しだけ力を込める。
「だってぇ……あの機械の構造が気になっちゃってぇ……まさか負けるなんて思わなくってぇ……」
「解析したいなら、私に言えばカジノごと買い取って差し上げましたよ。というのは冗談ですが。……いいですか、ティナ。自分の価値を安売りしないでください」
私は手を離し、涙目のティナの頭をポンと撫でた。
「貴女はもう、私の大切な『仲間』なんでふ。たかだか金貨数千枚やそこらで、その人生を放棄するような真似は、この私が許しません。……分かりましたか?」
私の言葉に、ティナはきょとんとして――それから、ボロボロと大粒の涙をこぼして抱きついてきた。
「うわぁぁぁん! ごめんなさいぃぃ! もう絶対にしませんんん! ソフィアちゃんの言うこと聞くぅぅぅ!」
「よしよし。分かればよろしい」
まったく、手のかかる子だ。
私は鼻水をすするティナをあやしながら、改めて思考を切り替えた。
「――さて、と。無駄な寄り道をしてしまいましたが、本題に戻りましょう」
あとは、本来の目的である「彼」を見つけるだけだ。
「アドミン。ターゲット──ギャンブルにハマって首になったという学者先生は見つかりましたか?」
私は虚空に話しかける。
アドミンには、一連の騒動と並行して目的の人物を探させていた。
一応、顔も割れているし噂が本当ならカジノにいると踏んでそこを拠点に探そうと考えていたのだけれど。
即座に、コンタクトレンズに青白いマーカーが表示された。
『現在位置より北北東へ800メートル。カジノエリアではなく、下町の市場通りに反応があります』
「市場? 博徒がそんなところで何をしているんですか?」
「んー、普通に買い物とかかな?」
私たちは雪の積もった石畳を踏みしめ、カジノのネオンが届かない路地裏へと足を進めた。
そこは、煌びやかな「表の顔」とは対照的な、生活感溢れる下町だった。
屋台から上がる蒸気、行き交う人々の喧騒。
その一角、古びた井戸のそばに、その男はいた。
「……ふむ。流体力学的にはここでおよそ1.2秒の遅延が生じるか。だが、表面張力の計算が合わないな……」
地面に這いつくばり、井戸から溢れ出した水が地面の窪みを流れていく様子を、拡大鏡で食い入るように観察している男。
ボサボサの黒髪に、ヨレヨレのシャツ。
背中には「論より証拠」という謎の直筆スローガンが書かれた紙が貼り付いている。
信じたくはないが、アドミンの付与したマークは、彼こそが元天才数学者にして稀代の変人、レインだ示している。
「あの……何してるの、この人?」
ティナがドン引きしながら囁く。
「聞いてみましょうかね……ごきげんよう。随分と高尚なご趣味をお持ちですね」
私が声をかけると、レインは面倒くさそうに顔だけをこちらに向けた。
その死んだ魚のような目は、私とティナを一瞥し――ふん、と鼻を鳴らした。
「なんだ、さっきの『カジノ荒らし』のコンビか。あの支配人を泣かせた手腕は見事だったぞ……イカサマでしか勝てない阿呆には丁度良いお仕置きだった」
どうやら、あの一件は彼も知っていたらしい。
彼は私の顔を見るなり、先制攻撃を仕掛けてきた。
「要件はなんだ? 言っておくが、教鞭を取れというのなら他を当たれ」
「おや、まだ名乗ってもいませんが、ご存知なのですか?」
私が小首をかしげると、レインは呆れたように肩をすくめた。
「先日、帝国議会で大規模な学術機関設立のための予算が組まれたという報道があった。そして今、こんな辺境のカジノ都市に、あんたが現れた。聞いていたよ、ソフィア嬢。そして俺みたいな『教団のつまはじき者』をわざわざ探し回っているときた。……これだけの変数が揃っていて『答え』を導き出せないなら、数学者なんて廃業だ」
「流石ですね。噂に違わぬご明察です」
「明察じゃない。ただの『確率論』だ。もっとも確率の高い可能性を提示したに過ぎない。頭を使えば誰にでも思いつく」
「ご理解していただいているのであれば、話が早いです」
私は単刀直入に切り出した。
「私はソフィア。新しく設立する学校のために、貴方の頭脳をお借りしたいのです」
「だから今言っただろ。他を当たれと」
レインは興味なさそうに立ち上がり、ズボンの泥を払った。
「俺は今、自分の研究で忙しいんだ。どうせまた、貴族のボンボンに『1+1』を教えるだけの退屈な仕事だろう?」
「1+1ではありません。私が教えたいのは、魔導工学と自然科学。そして貴方に任せたいのは、既存の魔法理論を根底から覆すための『新しい数学』です!」
私は熱弁したが、レインはあくびを噛み殺している。
「あのな、ソフィア嬢。俺は他人に教えることに興味はないんだ。俺は教育者ではなく、ただの探求者だ。欲しいのは『真理』だけ。金も名誉も、地位もいらん」
レインは足元の水たまりを指差した。
「見ろ。風、気温、湿度、人々の意思……この世界では無数の変数が複雑に絡み合い、計算式を常に裏切り続ける。俺はこれを、この『カオス』を全て数式で記述したいんだ。分かるか? 一生かかっても時間が足りない難題なんだよ。他のことにかまけている暇はない」
「……なるほど、理解しました」
「理解したならありがたい。適当なやつに連絡しておいてやる。教団に向かえ」
レインは背を向け、去ろうとする。
偏屈だとは聞いていたが、意外と面倒見がいいのかも。
ますます欲しくなる。
もともと金銭で釣れる相手とは思っていなかったが、やりたくない相手に、そのやりたくないことをさせようというのであれば、それに見合う対価を提示しなければならない。
彼の興味を引くには、彼の土俵――つまり私たちに協力することが、彼の研究に役に立つということを示すしかないだろう。
「――では、賭けをしませんか?」
私の言葉に、レインが足を止めた。
彼は肩越しに、面倒くさそうに私を見下ろす。
「賭け? カジノで俺と勝負ってか? さっきも言ったが俺は金には興味がないぞ」
「ええ、いえ、賭けるのは金ではありません」
私は一歩、彼に近づき、不敵な笑みを向けた。
「私が貴方を満足させる『計算』を見せたら、私たちの話を聞いてください。貴方がまだ解き明かしていない、この世界の『真理』……私たちがそれを攻略してみせます。もしできなければ、二度と貴方の前には現れませんし、研究の邪魔もしません」
「……ほう」
レインはゆっくりと振り返り、私の目を覗き込んだ。
その濁った瞳の奥に、ギラリと鋭い光が宿る。
それは、今まで見せた気だるげな表情とは違う、子供が悪戯を思いついた時のような、純粋な好奇心の色だった。
「俺の計算を上回るだと? ……いいだろう。その度胸に免じて、とっておきの難問を出してやる」
彼は懐から一通の手紙と、奇妙なゼンマイ仕掛けの人形を取り出した。
人形は高さ30センチほどで、郵便配達員のような帽子を被っている。
「ここから北へ3キロ先に、街のシンボルである『大時計塔』があるのは知っているな?」
「ええ、来る時に見ました」
「ルールは単純だ。この手紙を、時計塔の管理人まで届けること。制限時間は15分」
「15分? 3キロなら、走れば余裕だよ!」
ティナが即答する。
確かに、ドワーフの健脚や、身体強化魔法を使える私なら、造作もない距離だ。
「ただし――対戦相手がいる」
レインがゼンマイ人形のネジを巻くと、ジジジ……と音を立てて人形が動き出した。
「こいつは『自動配送ゴーレム・マーク』。
機能は単純。目的地に向かって、ひたすら一定速度で『直進』するだけだ。歩く速度は人間の早歩き程度。障害物があれば乗り越えるが、決して走ることはない」
レインは人形を地面に置いた。
人形はコンパスのように正確に北を向き、カシャン、カシャンと頼りない足取りで歩き始めた。
「このゴーレムよりも先に、手紙を届けろ。
それができれば、前向きに検討してやる」
「……は? それだけ?」
ティナが拍子抜けした声を上げる。
人間の早歩き程度のゴーレムに、私たちが負ける要素がない。
3キロの距離なら、私たちが全力疾走すれば数分で着く。倍以上の差をつけて圧勝できるはずだ。
「それだけだ。……だが、忠告しておこう」
レインはニタニタと笑いながら、空を指差した。
「ここは『数学の国』だが、お前らもカジノで体験しただろ? この国の実態は『カオス』だ。決して既存の数学通りにはいかない。
ここでは、1メートルが1メートルであるとは限らないんだ」
意味深な言葉。
だが、考えている暇はない。ゴーレムは既に歩き出している。
「行きますよ、ティナ!」
「うん! 楽勝すぎてあくびが出るね!」
私たちは地面を蹴り、雪の積もった大通りを駆け出した。
目指すは、遠くに見える尖塔のシルエット。
最初は、そう思っていた。
──────────
スタートから5分経過。
「はぁ……はぁ……! ねぇ、ソフィアちゃん……」
隣を走るティナの息が上がっている。
おかしい。
ドワーフ族はスタミナには自信がある種族だ。たかだか数分走った程度で、こんなに消耗するはずがない。
それに、何より――。
「……近づかない」
私は前方の時計塔を見上げた。
スタートした時と、大きさがほとんど変わっていない。
それどころか、走れば走るほど、周りの景色がゴムのように引き伸ばされているような、奇妙な感覚に襲われる。
「ど、どうなってるの!? 私、全速力で走ってるよね!? なのに、全然前に進んでる気がしない!」
足元の石畳は確かに後ろへ流れている。
風も切っている。
物理的な速度は出ているはずだ。
だが、ふと横を見ると。
カシャン、カシャン、カシャン……。
「……うそ」
路地の脇を、あの小さなゴーレムが、無表情に歩いていた。
私たちと同じ位置に。いや、少しずつ私たちを追い抜こうとしている。
あんなに遅い歩みなのに。
『警告します。周囲の空間座標に異常を検知。
対象物までの相対距離、縮まっていません』
アドミンの警告音が脳内に響く。
「……まさか」
私は立ち止まり、背後の景色と、前方の景色を見比べた。
街の中心、カジノホテル「グランド・ロワイヤル」。
そこから放たれる目に見えない圧力が、まるで蜘蛛の巣のように街全体を覆っている。
レインの言葉が蘇る。
『1メートルが1メートルであるとは限らない』
この街は、何かがおかしい。
物理的な距離ではなく、概念的な「何か」によって、地図そのものが書き換えられているようだった。
「待って、ティナちゃん。……このまま走っても、多分永遠に着きませんよ」
「えぇっ!? じゃあどうすればいいの!
あいつ、先に行っちゃうよ!」
先行するゴーレムの背中は、ゆっくりだが、確実に時計塔へと近づいていく。
直線の道を、ただ真っ直ぐ歩いているだけなのに。
私たちには踏破できない「見えない沼」の上を、あいつだけが歩けている。
これは、ただのレースじゃない。
この世界の「法則」を解き明かさなければ、私たちは一歩も前には進めないのだ。




